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『 ごめんなさいです 』

  

  

 太陽は地平線の向こうへと沈み、山脈の後ろから満月が顔を見せはじめる。

 春の陽気が急激に冷めていく。まるで冬を思い出したように。


 その寒さの中を、大勢の人たちが山を登っていく。ゴブリンから逃げるために、避難してきたシャーウッド村の人々たちだ。

 顔には、疲労と不安が浮かび、口は閉じられていた。ただ歩く音だけが夜空に吸い込まれていく。

 やがて、その先頭は中腹にある大岩へとたどり着く。

 そして、そのまま岩の中へと消えていった。まるで神隠しにあったかのように。


「こ、これは……」


 村長たちと一緒に登ってきたカエデは、その光景を見て驚きの声を上げ、あわてて手で口を塞いだ。

 そんな少女を老人は、静かに笑って慰める。


「ほっほっほ。驚いたじゃろう?

 なに、よく見てみるとええ」


 言われたとおりに、カエデは岩へと近づき手にしていたランプで照らす。

 すると、表面に薄い影の線が幾重にも走った。一枚岩に見えたものは、数枚の薄い岩が重なって立っていたのだ。

 通路の途中に、少しずつずらした板を立てると、正面からだと壁に見えるのと同じである。


「遠くから見ただけでは、気がつかないじゃろう?

 まして、何も無い丘じゃからな。わざわざゴブリンたちがここまで来るとも思えん。

 万が一、やってきおっても、この狭い入り口からでは、一度に大勢入ることもできんしの」


 ジェイムスの自慢げな言葉に、カエデも同意のうなずきを返す。確かにこれなら隠れる場所としては、申し分ないだろう。


 逆を言えば、逃げ込むときにも数人ずつしか入ることができない。だが、あらかじめ準備を整えていたこと、早めに村を出発したことで、問題を解決していた。


「みなさん、無事に避難できそうです」


「そうじゃな。みなが、中に入ったのを確認できたら、わしらの番じゃ。

 カエデ、すまぬがこれを頼むぞ」


 ジェイムスは懐から、一通の封筒を取り出し、カエデと差し出した。中身は、領主への騎士団派遣の陳情書だ。

 カエデは、それを届けることを今朝頼まれて、引き受けていた。

 それは、村へ助けを呼ぶためのものでもあると同時に、カエデをゴブリンたちから遠ざけるためのものでもあったからだ。


「めったなことで見つからぬ。じゃが、いつまでも隠れることも、またできぬからのう。

 一日でも早く、騎士たちがゴブリンどもを追い払ってくれるように、しっかりと頼んでおくれ」


 だが、その手紙はいつまでもジェイムスの手の上にあった。

 カエデが、受け取らないからだ。彼女は、その手をあげることなく、ただぎゅっと握り締めていた。


「どうしたんじゃ?

 ひとりで、行くのが怖くなってきたのかのう?」


 昼前に、部屋で話したときは、彼女は納得していた。そう考えていたジェイムスには、彼女の行動は意外だった。途中で放り出したりするような無責任な娘ではない事は、この数日でわかっている。

 それなのに、今になって、少女は躊躇している。いや、何かを迷っているようだ。


「あ、あの……」


「何かあったのかの?」


 ようやく口を開いた少女に、老人は優しく先を促した。

 その言葉に、カエデは何か決めたらしく、思い切ったように喋りだした。


「ボク、やっぱり違うのです」


「違う? 何が違うというのじゃ?」


「ボクの……全力じゃないのです。ボクが、やりたいこと、しなくちゃいけないことと違うのです」


「やりたいことと違うのは、よくあることじゃよ。

 誰しも、したい事ができるわけではないのじゃ。

 それでも、みなできることを精一杯することで……」


 ジェイムスは、よくある若者の葛藤だろうと思い、諭すように話し始める。

 人間とは無力な生き物なのだ。怪物に、災害。天候による不作、そして病。どうにもならない事などいくらでもある。

 それを知り、そして飲み込んで生きていく。それが大人になるという事なのだから。


「だから、違うのですっ」


 カエデは、それを遮った。あまりのその声の切実さと大きさに、順番待ちをしていた村人たちも驚いて二人のほうを振りかえる。


「ボクは……ボクは、精一杯していないのです……。サボっているんです」


「何を言っておるんじゃ?

 おぬしは、いつも一生懸命やっておったではないか。たとえ上手くいかなくても、投げ出したり弱音を吐いたりせんかったではないか。

 誰も、カエデ嬢ちゃんがサボっておるなどとは……」


 落ち着かせようと、ジェイムスはカエデの肩に優しく手を置いて、語りかける。

 偶然、〈フェアリーリング〉に迷い込み、見も知らぬ土地に放り出された、小さな少女。それでも、ひとりで老人相手に交渉し、村での仕事を一生懸命にやり、ケビンを引っ張って店を始めようとしてくれた。

 ジェイムスは、そんなカエデを良くできた娘だと評価していた。だからこそ、色々と手を焼いたのだし、故郷に帰るために手助けをしたのだ。

 もし、彼女が望むならばこの村に残り、ゆくゆくはケビンの嫁になって欲しいくらいだ。


 だが、カエデはそれでも自分を否定した。


「違うんです……。ボクは……ボクには……」


 風船が割れる直前のような緊張がただよう。そしていよいよ割れようとしたときに、切羽詰った男の叫び声が割り込む。


「大変だっ、村長っ」


 ふたりともその叫び声に振り向く。村の方から急いで来たらしく、顔中から汗を流している木こりのウォレンの姿がそこにはあった。

 ジェイムスは、それを話を変えるチャンスだといわんばかりに、そちらへ駆け寄る。

 カエデは、話を切り出すことができず、そのまま見送ってしまった。



「どうしたのじゃ?」


 ウォレンに、水袋を差し出しながら、ゆったりとジェイムスは問いかける。

 よほど、喉が渇いていたのだろう。彼は、水袋を一気に飲み干した。


「ぷはっ。生き返った……。

 そ、そうだった。大変だ、村長っ。

 ケビンの奴が、逃げやがらないんだ」


 何が起きたのだろうと、黙って耳を傾けていたカエデは、その知らせに驚きの声があげる。


「ど、どうしてですっ。もうすぐ、ゴブリンが来るのですよ?」


「なぜ、そんなことを……」


 ジェイムスの疑問に、ウォレンが申し訳なさそうに頭を下げた。


「お、俺が悪いだ」


「ウォレン、どういう意味なのじゃ?」


「俺がうっかり言ってしまったんだ。

 もし、この村に冒険者が来ていたのなら、ゴブリンたちを追い払ってくれただろうって」


「……っ!?」


 冒険者のひとことに、カエデはびくりと反応してしまう。


(もしかして、ケビン君もボクのこと気がついていたのですか……? でもそれなら何故ひとりで村に残るなんて事を……)


「それが、なぜケビンが残るという話になるんじゃ……」


 村長は、ぴしゃりとおでこを叩き、天を仰いだ。

 そこへ今まで野次馬のように様子を見ていたひとりが疑問を挟む。


「けどよ、ケビンひとりでどうするつもりなんだ?

 あいつ足がないし、戦うどころか、走るのだって大変じゃないか。

 30匹もいるゴブリンどもに、なんにもできないだろう?」


 もっともな話だ。確かに冒険者がいたらゴブリンを倒してくれるかもしれない。だがケビンは冒険者ではないのだ。彼が残ってもまったく意味は無い。

 そんな、疑問をウォレンも持っていたのだろう。だからこそ、その答えをあらかじめケビンから聞いていた。


「そ、それが……。あいつ、昨日親御さんの店で、すごい杖を見つけたんだそうだ。

 まるで魔法使いのように、魔法を使うことができる杖らしくて。

 それを使って倒してやるって……」


(魔法が使える杖……?)


 カエデは、首をかしげた。昨日、預かり屋を掃除したときに、それらしき杖など一本も見つけた覚えが無いからだ。

 でも、それが嘘やはったりとも考えられなかった。そのような強力なマジックアイテムでもなければ、ケビンはゴブリンに勝てるとは考えないだろう。まして、ひとりで村に残ったりなどするわけが無い。魔法の杖は、本当にあるはずだ。


(じゃあ、一体どこで見つけたのですか?

 ……魔法がつかえる杖。そんなものはなかったのです。

 あったのは……)


 銀行の簡易施設としてのために置いてあった魔法の箱。


(冒険者のアイテムを預かるための箱……。

 冒険者……?

 あ、ああ!? そ、そうです。魔法の杖……マジックワンド……。

 ボクの、リーチェのアイテムですっ)


 魔法の箱を開いたとき、カエデはパニックに陥って、あのまま店を飛び出してしまっていた。

 つまり、蓋は開いたままだったはずだ。そしてその中には、おそらくゲームのときに預けていた、マジックワンドが大量に入ってる。


(ケビン君は……それの使い方に気がついて……。

 魔法が使えて……だから、ゴブリンと戦えるって思っちゃったのです)



 驚きのあまりに、固まってしまったカエデを横において、男たちのやり取りは続いていた。


「だからって村に戻らなくても……みんな避難しているんだぞ?」


「多分、店を守りたかったんだろうな。ようやく始めるって話だったし」


「あいつ気にしていたもんな。仕事がないって。……親の形見だし気持ちはわかるよ」


「どうする、村長? 今から何人か集めて村へ……」


「ダメじゃっ」


 村長であるジェイムスは、静かにだが、反論を許さない威厳をこめて一言だけ告げた。

 あまりの断言に、その場から話し声が途絶えてしまった。


 彼の持つ杖が震えている。それは、まるで泣いて震えているようにカエデには思えしまう。


「村に戻ることは、許さん。

 もう、ゴブリンどもが来てもおかしくない時間じゃ。

 迎えに行く者達はもちろん、この場所に戻るときに後を着けられでもしたら、みなが危険になる。

 そのようなことを、許すわけにはいかぬ。

 騎士団が来るまでわしら男は、女や子供たちを守らなければならないのじゃぞっ」


「…………」


 男たちは沈黙して地面を見る。

 ウォレンは、ぼろぼろと泣いていた。ケビンが死んでしまうのは自分のせいだと思っているのかもしれない。



「じゃあ、女ならかまわないね」


 年老いた女性のしゃっきりとした声が沈黙を壊した。

 周りにあつまっていた野次馬の輪から、ひとりの老婆がゆっくりと進み出てくる。


「カディアさん……?」


 それは、カエデが最初の仕事でお世話になった、機織りのカディアだ。いつもと同じように肩には紫色のストールをかけている。そのことが、彼女がいつもと変わりないことを示しているようだった。


「カエデっていったね。さっさと、いきな」


 じろりと睨むあの目で、カエデを見つめてくる。

 だが、いきなり話をふられても、カエデは戸惑うしかできない。


「え、え?」


「詳しい話は、さっぱりわからんがね。

 村へいくって顔に書いてあるよ。あんたの顔にね」


「……!?」


 口をちいさく開けたまま固まるカエデ。じっと睨み続けるカディア。

 そのふたりの間にジェイムスが、ようやく正気を取り戻して割り込む。


「か、カディア。何をいいだすんじゃ。

 危険なのは、男も女もないじゃろうがっ。揚げ足をとるでないっ」


 そんな村長の言葉は、老婆にとっては春のそよ風らしい。涼しい顔をしたまま言い返す。


「村長。あんたは正しいさ。いつだってそうやってあたしらを、まとめて来てくれた。

 だがね、今回だけは間違ってるよ。

 見てみな、その娘の顔を。思い出してみな、言葉を。

 ……その子は最初から、ゴブリンに怯えていないさね」


 カエデに、ジェイムスを始めとするみんなの視線が集まった。

 その迫力や無言の重圧に、思わず一歩後ろに下がってしまう。


「逃げるんじゃないよっ」


 だが二歩目はカディアの言葉によって下がれなかった。


「……あんたは、上手く行かないことだって簡単に諦めなかった。

 失敗ばかりしていても挫けなかった。

 なのに……今は、やりもしないで怖がってる。

 なあ、それでいいのかい? それが、本当のあんたなのかい?」


「……よく、ないです。……ち、違うです」


 カエデはようやく口を動かして言葉を紡ぐ。自分の意思を世界に放つ。

 そう、良いわけがない。何もしないで諦めて良いわけが無い。

 本当の自分が、こんな風だなんて思いたくない。


 少なくても、今は絶対に認められない。……リーチェがこんな風に、かっこ悪いわけが無い。


「そう、です。今は……カエデじゃ、ないのです」


「カエデ嬢ちゃん? 何を言っておるんじゃ……?」


 ジェイムスの戸惑いの声に、振り向いて笑ってみせた。上手く笑えた自信は無い。

 けれど、ここは笑って見せるシーンだ。頼もしく笑みを浮かべて見せるシーンだ。


(そう、そうです。ボクは……)


 ようやく、思い出す。自分は何だったのかと。


(ボクは、カエデです。この……)


 カエデは、リーチェの腕を上げてそっと豊かな胸の上に置いた。手のひらから心臓の鼓動が伝わってくる。もうゲームのキャラクターじゃない。そのことに囚われていた。自分自身だと思っていた。


 それが正解なのかもしれない。それが正しい感覚なのかもしれない。

 でもそれじゃ……カエデのままではダメなのだ。


(ボクは、このリーチェ=フルーのプレイヤーなのです)


 プレイヤーとは、そのキャラクターを操作する人、演技する人だ。つまり、キャラクターがかっこよく活躍するのも、かっこ悪く泣いて怯えるのもプレイヤー次第なのだ。


 ここは、異世界で〈エルダー・テイル〉じゃない。ここは、現実で、ゲームじゃない。

 だが、世界は彼女を『リーチェ=フルー』と記述した。目の前に浮かぶウィンドウにも、預かり屋で浮かんだメニューにもその名前が刻まれていた。


 なら、簡単な話だ。

 カエデの本気でやりたかったことは。本当に望むことは。


「ボクは、リーチェ。リーチェ・フルー。冒険者の施療神官クレリックなんですっ」


 いつも一緒にいた友達で、理想的な可愛い女の子で、どんな怖い敵にも挑む英雄で。

 そしてなにより、もうひとりの自分だったリーチェが、それらしくあること。


(そうだよね、リーチェ。キミだったら……ケビン君を見捨てたりなんかしないですっ)





「ジェイムスさん、ごめんなさいですっ」


 ジェイムスに大きく頭を下げる。今まで、甘えていたことを謝る。助けようと色々してくれたことを台無しにしたことを謝る。

 指示を無視して、いまから村へケビンを助けに戻ることを謝る。


「いってきますです」


 そして返事を聞く前に、振り返り村への坂道へ駆け出した。


 後ろから、止める男たちの声を足音が聞こえる。

 だが、それもすぐにやんだ。きっと村長が止めたのだろう。

 村人たちが、ケビンを迎えにいこうとしたのを止めた様に。


 だからきっと、最後に聞こえた声は空耳なのだ。


「ケビンを頼む」


 と聞こえたのは。


(リーチェ……。頼まれたですよ。依頼されたのですよ……。

 なら冒険者として絶対に、この依頼成功させるのです)


 そして、リーチェは答えた。もう、ここに居るのはプレイヤーとしてのカエデではない。カエデが操るキャラクター、冒険者としてのリーチェだ。


「ジェイムスさん、その依頼(・・)……冒険者のリーチェが引き受けたですっ」


 少女の声は、月が照らしだす夜空に吸い込まれていく。目の前に伸びる、白く照らされた道は、まっすぐにシャーウッド村へと伸びているのだった。









 いつも人がいる場所から人が消えると、ここまで寒々とした光景になるのだと、少年は初めて知った。見上げる夜空には、ぽつぽつと星がまっている。月はまもなく、真上に届くだろう。

 そしてそのころには、緑子鬼ゴブリンたちが森を抜けて村へと来るはずだった。


「くそ……っ」


 村を囲む柵。その森側の出入り口に、ケビンは震えながら立っていた。

 夜がふけてきて、寒くなってきたのもある。だが、それ以上に怪物に対する怖さと、ひとりきりという不安が身体を震わせていた。


(だ、大丈夫だ。この、杖さえあれば)


 腕に抱えた数本の杖をぎゅっと握りしめる。『預かり屋』にあった魔法の箱に入っていた杖。振るうだけで、魔法の矢が飛び出す、魔法の杖だ。


(ゴブリンにだって、俺でも倒せる……倒せるはずだ)


 昨日、店から飛び出していったカエデを、追いかける時に、箱の中にあった杖をつかんでまま、持ち出してしまっていた。

 カエデが、戻ってくるまで、入り口でまっている間、手持ち無沙汰になり、ぶらぶらとその杖をいじっているとなんとなく使い方がわかったのだ。


(念じて相手のほうへ向ければ、光る矢が飛んでいく……。簡単だ)


 ただ、何度か使うと出なくなってしまって壊れてしまうこともわかった。とても脆い杖らしい。だから、今回は持てるだけの杖を持ち出しておいた。


(けど……。この杖、他のやつには持つことさえできなかった……)


 この発見を、ケビンは驚き、ぜひ村のみんなにも教えようとした。自慢したかったのもあるし、こんなにすごい杖があれば、もっと色々出来るかもしれないと思ったのだ。

 だが、入り口を通りかかった誰もが、持つことさえできなかった。それどころか、空想で遊んでいると言われてしまった。

 ケビンは、もう誰にも話すのを辞めようと決めた。自分だけの秘密にしようと。



(そうだ。これはチャンスなんだ……。役立たずだった俺が、英雄になれるチャンスなんだ。

 しっかりしろ、俺っ)



 次の日の朝になって、ゴブリンたちが襲ってくるとみんなが騒いでいた。

 そしてカエデは、その話を聞いて青ざめて震えていた。きっとよほど怖かったのだろう。もしかしたらゾンビに追いかけられたことを思い出したのかもしれない。


(カエデ……。俺が、怖いものを追い払って見せるからな)


 もう一度、ワンドを握り締める。店の箱から持ち出せるだけもってきた杖を。

 拾った少女のことを考えると、ケビンは胸がじんわりと温かくなってくる。


 カエデは、変わった子だ。

 ケビンよりもチビの癖に、妙に大人っぽいことばかりいいだす。ちっとも泣いたり、八つ当たりしたりしない。そして生意気にもケビンをすぐ子ども扱いする。でもけして見下したりしない。


 カエデは、不器用な奴だ。

 何をやっても失敗ばかりする。そして、すぐに困ったという表情になるのだ。そのくせに、簡単に諦めないし、全然くじけない。


(それに……可愛いしな。なんだか悔しいから、ぜったい言ってやらないけど)


 きらきらして長い黒い髪。ころころ変わる表情。そして同じくらい変わる綺麗な眼。なにより、いつも楽しんでいるように笑みを浮かべていた。

 何も悩みなんてないんじゃないかと思うくらいに。



「じいさんも言ってたしな。男ならほれた女のために命をかけろって」


 必死に声をあげて、なけなしの勇気を搾り出す。震えよ止まれと念じる。

 好きな女のために、魔物戦う。男ならあこがれる話だ。

 足を失って、諦めていたことだ。でも、今ならできるとケビンは思っていた。


 ガサ。


 草を踏む音が、耳をうつ。

 ケビンは、驚きから手を開いてしまい、杖が地面に転がっていく。乾いた木の音がカランコロンと響いた。


「だ、誰だっ!?」


 それでも、精一杯強がりながら振りむいたケビンは、月明かりに照らされた人影を見つける。



 白い月の女神が立っていた。



「……カエデ?」


 よく見るとそれは、カエデだ。ケビンが森で拾い、一緒の家で暮らし始めた少女だ。

 だが、月明かりのしたで、じっとケビンを見つめるカエデは、彼の知っている少女とは別人のように見える。


 服装が違っている。

 いつもの麻できた茶色いシャツとスカートではなく、白い色の神官みたいなローブを着ていた。

 髪型も違う。

 ぼろ布で頭の後ろでさっくりとまとめたポニーテールじゃない。後頭部で二つに束ねられて不思議な髪飾りで留めてある。まるでふたつの尻尾が、うしろになびいているようだ。

 何より雰囲気が違う。

 背伸びして大人ぶろうとする妹だったのが、急に成長して子供っぽく振舞う姉になったような感じがした。


「……お前、だれだ? 本当にカエデなのか?」


「ボク、ですよ」


 その声は間違いなくいつものカエデのものだ。緑色の瞳が優しく少年を見つめていた。

 まるで、ずっと覚えておくためのように。


「その格好は……」


 ケビンは、ようやく思い出す。あの格好は、森で倒れていたのを拾ったときに、着ていたものだ。

 あの時は、汚れていたし地面に倒れていた。だから気がつくのが遅れてしまった。

 つまり、目の前のいる少女は、間違いなくカエデなのだ。


「な、なにしに来たんだよ。危ないから早く避難しなきゃダメだろ」


 別人だと感じたことを拭うかのように強気に振舞う。カエデといつものやり取りと同じように。いつもを取り戻すかのように。


「ケビン君こそ、避難して下さいですよ。

 ジェイムスさんたち、心配していました」


 カエデの言葉は、困った弟を叱るように、ちょっときつい調子だ。彼女も心配していたということが、伝わってくる。

 そのことに、ケビンは安心する。そしてもう一度覚悟を決める。彼女を自分の手で守るのだと。


「俺は、いいんだよ。

 この杖で戦うんだ。すごいんだぞ。この杖は、魔法が使えるんだ。

 俺が、この村もお前も守ってやるよ」


 落とした杖を慌てて拾って見せてやる。だが返ってきたのは、厳しい表情と冷たく硬い言葉だった。


「……ケビン君」


「なんだよ? 心配してるのか?」


「怪我したり、死んだりするですよ? 相手を傷つけるってことですよ?

 戦うってそういうことなのです。……本当にわかっているのですか?」


「……っ!?」


 少年は、自分がバカにされたと思った。臆病者と言われた気がした。だから大声で怒鳴る。そんなことは無いのだと。


「わかってるさっ。そんなことはっ。

 親父たちも、そうやって死んだのだからっ。

 でも、違うだろ? そういうんじゃないだろ?

 俺は、戦えるんだっ。だったら戦わなきゃいけないんだよっ。

 守りたいんだからっ。家も、村も、お前もっ」


 一気に言った後、自分の言葉の意味を考えて、ケビンは自分で驚いた。そんなことを考えていたのかと。


「ボクも……なんですか?」


 カエデの瞳が大きく開いて色が青に変わった。驚いているような喜んでいるようなそんな気がする。

 ケビンはなんとなく照れてきた。とても恥ずかしいことを言ったのかもしれないと自覚する。


「そ、そうだよっ」


 必死にケビンは考える。何かの言い訳を。じゃなければ何も言えなくなる、そんな気がした。


「だ、だって、お前を拾ったのは俺なんだからっ。

 俺が拾ったんだ、最後まで面倒みるのが当然だ」


「ボクは、犬か猫なのですか?」


 くすくすとカエデは、おかしそうに笑っている。

 さっきまでのりりしい顔よりも、今の笑顔の方がいいなと、ケビンは思った。


「べ、別に馬鹿にしてるわけじゃないぞ。

 ほ、ほらお前、不器用だし、だから俺が面倒みてやろうってだけで……。

 わかっただろ? 俺に任せておけばいいんだよ。早くみんなのところに戻れよ」


「ケビン君は、魔法の杖があるから戦うのですね?」


 急にカエデの声が変わった。今まで、暖炉の暖かい火だったのが、焼き尽くす炎になったように。


「そ、そうだよ」


 びくっと妬けどをしたように、自分の身体が震えたことにケビンは驚く。


「ケビン君は、守りたいから戦うのですね?」


「そうだって言ってるだろっ」


 炎に負けないように、勇気を搾り出す。


「……ケビン君」


「な、なんだよ?」


「ありがとうなのです」


「は?」


 ほにゃっと笑顔になって、カエデはぺこりと頭を下げた。

 さっきまで目の前に炎があったのに、小川のせせらぎに変わってしまった。

 ケビンは、戸惑ってばかりだった。知っているはずなのに、知らない少女がいた。



「そして」



 下げていた頭が、上げられる。そこには、冷たい瞳が青く光っていた。

 小川のせせらぎが、冬の吹雪に変わる。


「ごめんなさい」


 少年には何が起きたのかわからなかった。

 目の前の少女が消えて、夜空の月が見えて、背中に衝撃がはしる。


「ぐあ!?」


 手から杖が消える。痛みで閉じた目を開いたら、そこには魔法の杖があった。

 背中から地面に叩きけられた、ケビンの顔に向けて、カエデが杖を突きつけていた。


「な……っ」


「……貴方は、戦えませんです。

 もしかしたら、一人は倒せるかもしれません。でも30人は、絶対に倒せないです。

 理由の説明は……いりますか?」


「カ、エデ?」


 どんな仕事もできない不器用でダメな少女が、まるで手品のように自分を倒していることがケビンには信じられなかった。足がなくても、守ってやらなきゃいけないと、そう考えていたのに。


「ごめんなさい」


「なにが……だよ。なにを、謝っているんだよ……」


「ボクは、冒険者なのです。でも怖くて……黙っていましたです」


「ボウ、ケン、シャ?」


「だから、ケビン君はもう、戦わなくていいのです。

 ケビン君のお仕事は、お父さんと同じ『預かり屋』さんをすることです。

 怪物と戦うのは……ボクの仕事なんですよ」


「何を……何を言っているんだよっ。わけわかんねーよっ」


「……〈肢体再生リジェネレイト〉」



 カエデが静かに呪文を呟くと、少年と少女の間に光る円模様が出現した。その円はゆっくりと回転しながら、ケビンの身体に入っていく。


「いつっ!?」


 右足に走った痛みに、ケビンは顔を引きつらせた。


(って右、足?)


 痛みを堪えながら、右足があった場所を見る。いや……そこには右足があった。光に包まれて右足の形が作れようとしていた。


「がっつっ」


 もう一度強い痛みが足に走る。それと同時に光は散って消え、そこには裸足だけが残った。

 そっと膝に力を入れると、ゆっくりと動く。多少の違和感は残っているけれど、それは間違いなくケビンの右足だった。。


「リジェネレイトは、結構高レベルの魔法なんですよ。

 ペナルティ……じゃわかんないですね。ええと後遺症なども無いはずです。

 ゴブリンが来るまで時間がないのです。急いで走って逃げてくださいです」


 目の前の少女は、嬉しそうに笑顔になりながら、泣き出しそうな声でそんなことを言っている。

 ケビンには、何がなんだかわからない。そして、理解するまでの時間がなかった。


「本当に……カエデ、なんだよな?」


「ボクもそう思っていたのですけど……違ったみたいです」


 笑顔のままだ。笑顔のままだけど、泣いていた。


「ボクは、リーチェなのです。

 冒険者のリーチェ・フルーです」


「かえで……」


「ごめんね、ケビンくん。

 絶対、逃げてくださいです。お願いしますです」



 少女は、地面に倒れたままの少年を置いて、森へと駆け出していった。

 ケビンは、ゆっくりと身体を起こして、その去っていった方を見つめる。


「な、なんだよ、それ……。

 なんなんだよぉぉぉっ」


 森に向かって叫ぶ。叫べるだけ叫んだ。追いかけることなど出来なかったから。

 わけがわからなかった。何が起きたのか、何が起きているのか、わからなかった。

 ただ、わかったのは、置いていかれた事だけだ。


「こんなの、ありかよぉぉぉぉっ」


 怖がって泣いている女の子に置いていかれた、それだけがわかった。

 真新しい右足は、夜風に当たって寒いはずなのに、ほんのりと温かかかった。そこに少女の手が触れているように。

  

  

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