『 賑やかな朝なのです 』
イギリス、ロンドンの郊外にある、静かな住宅街。その一角にある一軒の大きな家がある。
古びてはいるが落ち着いた雰囲気を称えている白い洋館。樹木が生い茂り、花壇には色とりどりの花が咲き乱れる広い庭。テラスには、もちろん白いウッドチェアとティーテーブルが置いてある。
きっと、散歩で前を通りかかった人たちは、どんな上品な人たちが住んでいるだろうと空想することだろう。
だが、現実はいつだって空想をこなごなに砕くものなのだ。
ガンガンガン。
まるで、フライパンとをおたまで叩いているようなそんな耳障りな金属音がリズミカルに鳴り響いた。音の発生源は、お洒落な白いお家からだ。
あんまりガンガン鳴るものだから、隣家の犬が驚いて飛び起き、一緒にきゃんきゃんきゃんとわめきだす。
飼い主のおじさんが慌てて庭に飛び出して、愛犬に静かにしろと、ガミガミと怒鳴りだして、ますます騒ぎが大きくなっていく。
トレンディードラマのお洒落な風景が、一瞬でコメディードラマの残念な舞台なってしまった。
まったく現実は、いつだって非常なものなのだ。
さて、肝心のガンガンとうるさい部屋の方である。
部屋の様子は、一言でいうなら、男が夢見る女の子の部屋だろうか?
桜の花びらが舞っている壁紙。かすかに漂うさわやかな花の匂い。大きさ種類別に整頓された本棚。机やチェストの上にあるちょっと大きめなヌイグルミたち。
部屋の中央には、小さなガラステーブルとその周りに色とりどりのパステルカラーのクッションがおいてある。
壁際には大きなベッドがででんとあり、その半分のスペースに丸まって布団をかぶり、ちょこんと部屋の主は眠っていた。
ガンガンガン。
そんな部屋の扉を開けて、黒髪黒目の一見若い日本人女性が、音を鳴らし続けている。それは予想されたフライパンとおたまではなくて、中華なべとおたまだった。うるさいことにたいした違いは無いけれど。
ガンガンガン。きゃんきゃんきゃん。ガミガミガミ。
部屋の中と外で、不協和音の合唱は続いている。けれどベッドの上の布団の塊は動かない。
「うるさいのです……眠いのです……静かにして欲しいのです……」
かわりに出てきたのは、弱々しい抗議の声。
だがそれは、無視されて、調理器具が盛大にぶつかり合う音は、鳴り止まない。
「かーえーでー、おーきーろー。
あーさーでーすーよー。
おーきーろー、おーきーろー。
おーきーなーさーいー♪」
それどころか、間伸びして真面目さがまったく無いの声が騒音に足された。
ガンガンと鳴らすことが楽しくなってきているように、鍋とおたまが軽快なリズミでぶつかりあう。
ガン ガガン ガンガン ガガガン♪
「うう……。眠いのです~。寝たばかりなのです~」
観念したように布団の中から、カエデと呼ばれた女の子の頭がにょっこりと出てきた。
寝癖ではねまくった黒く長い髪に、眠そうに細められた、灰色とも青とも見える瞳。
二つの血が交じり合ったことを示すその容貌は、神秘的と言えるかも知れない。
だが、今は布団の甲羅を背負った亀である。
ベッドのスペースが余るほど身体も小さい。背は150cmほどしかないだろう。女性でも170cm超えることが珍しくない英国だと、子供にしか見えない。いや、眠いと駄々をこねている様子は、子供そのものだ。
「ねむいのです~。
あと~50分~です~。お母さん~お願いです~」
騒音を楽しそうに鳴らしまくる女性、つまり母親であるモミジに、布団を被ったまま眠そうな声をあげる。
彼女なりの妥協の提案のつもりらしい。
だが、娘のそんな提案を、受け入れる母親はいない。モミジも、カエデの文字通りに寝ぼけた言葉を当然のごとく無視する。
無視したついでに、布団亀になった愛娘をじっと見つる。そして、今まで鳴らし続けていた鍋をとめて、気がついたように、ぽつりと一言ささやいた。
「ははーん。朝まで〈エルダー・テイル〉をしていたでしょう?」
図星をつかれたカエデは布団の中で、「うっ」とうなることしか出来なかった。
〈エルダー・テイル〉とは、MMO-RPG(大規模同時参加型オンラインロールプレイングゲーム)のメジャータイトルのひとつだ。
稼動して今年で20年目。ユーザー数も全世界で2000万人を超える、規模、実績、歴史のどれをとっても最も有名なネットゲームと言っても過言ではない。
カエデは、小学生のころに両親に巻き込まれて始めてから、10年以上ずっと続けて遊んでいた。
それだけに、遊び方のコツは心得ている。この手のゲームは、毎日同じ時間だけ遊ぶのが楽しむ上でも上達する上でも大事なのだ。普段なら朝に起きれないほど、長時間プレイしたりはしない。
だけど、ここのところある目的のために、ついつい明け近くまでプレイすることが多かったのだ。
そして、睡眠不足が重なっていき、ついに今朝は睡魔に敗北したわけである。
モミジは、沈黙して唸る布団亀の様子から予想通りだと確信すると、きりっと真面目な顔をつくる。
そして、まるで糾弾するようなポーズをとり、悲しげな表情を作った。
「私は、娘を、カエデを、そんな風に……」
さらにぐっとためを作って。
「そんな風に、情けない娘に育てた覚えは――無いっ」
漫画なら派手な効果音がなるような勢いで言い切った。最近彼女が、はまってる漫画の真似である。
真似ではあるのだが、迫力にびっくりして、カエデは布団にまたもぐってしまった。本当に首を引っ込める亀っぽい。
だが、そんなある意味愛らしい行動でも。追撃の言葉は、勢いを緩めない。
「いつも言っているでしょ? 体調管理もゲームの一部だってっ。
もし、風邪でも引いて寝こんだら、その分だけプレイ時間が、楽しい時間が減るのよ?
私は、そんな人生の無駄使いは許しませんっ。
ゲームは全力で楽しむっ。それが我がルイズ家の家訓なのよっ」
「あうう。その通りなのです……。
その家訓を聞いたのは初めてですけれど」
「だったら、そんな眠気くらい、どうにかしてみせなさい。
さあ、おきた、おきた」
「あうう……」
モミジがいう事は、ただしいのだ。ゲームをやりすぎて眠いから寝坊するなんて、まったく弁解の余地は無い。判決は下りた有罪である。刑は、すみやかに起きて朝食を取ること。
眠い目を擦りながらカエデは観念して、いまだに暖かさが残る布団から、名残惜しそうにさようならをする。
もぞもぞと、布団から這い出して起き上がる娘を見て、母はスキップをしながらキッチンへと戻っていった。
「あれ?」
窓の外がきゃんきゃんガミガミと騒がしいことに、いまさらカエデは気がついた。どうやら隣の家の犬が鳴いていて、おじさんが怒っているらしい。
「朝から、騒いで困ったものです。
せっかくの爽やかな始まりが台無しですよ」
もし、近所の方々がこのセリフを聞いていたのなら、きっとみんな同じことを言うだろう。
『お前が言うな』
と。