『 隣村が襲われたのです 』
ざわめきが聞こえてくる。大きな声ではないので、話している内容は聞き取れない。
だが、そのやり取りに込められている感情だけは十分に伝わってくる。不安と、恐れと、悲しみ。誰かに助けを求めて、必死に訴えるおじさんの声。
それは、今のカエデの心情にとてもよく似ていて、それだけに無視することはできなかった。
「……何があったのです……?」
部屋で毛布を被って寝ていたカエデは、むっくりと身体をおこす。馴染み始めた部屋を見渡すと、閉め忘れた窓から、朝日が差し込んできていた。
「もう、明けきっていましたですか……」
さっきからの会話はリビングの方から聞こえてくるようだった。
その内容は非常に気になるのだが、出て行くのは少々気が重い。
特にケビンに会うと、どんな顔をすればいいのか判らなかった。
「ずっと泣いてしまって……。そのまま部屋に篭ってしまったのです……」
預かり屋で、自分がリーチェであることを知り、パニックになってしまった。
そしてそのまま、彼をひとりにして森へ逃げ出した。
「……それだけでも、悪いことをしてしまっているのに……」
落ちついてから村に戻ったカエデを、ケビンは出迎えてくれた。ずっと村の入り口で待ってくれていたのだ。
でも、カエデはそれが嬉しい以上に、彼に対しての罪悪感で、心がいっぱいになってしまった。
彼の失われた右足を見て、気がついてしまったからだ。
リーチェの魔法を使えば、彼の足を治すことができるのだと。
「ボクは……」
けれど、できなかった。
言い訳や理由はいくらでも作れる。理屈の上では、納得できなくはない。
それでも、ケビンに対して申し訳が立たない。自分に対しての嫌悪感が納まらない。
「だから、それじゃダメだって言ってるだろっ。わからないのかっ!」
薄い気の壁の向こうから、テーブルを激しく叩く音が響き、それ以上の叫び声が響いた。
カエデはびくっと身体を緊張させる。まるで自分が怒られたようだったから。
「び、びっくりです。
……やっぱり何かあったようなのです」
ケビンのことは気になるが、それ以上に今のやり取りの方が気になる。この手の会話は、カエデにも馴染みがあった。ギルドとかで行動方針が決まらなくてもめた時などに、よく起こることだ。
「つまり……それだけ重大なことを決めなくちゃいけないことが起こったという事です」
起きたことを知らなくていいのだろうか?
その問いに、カエデは否を唱える。
何も知らないでいても、事態は動く。そして知らなければ、何かが起きたときに十分な対応が出来ない。
「すーはー」
深呼吸をひとつして気持ちを切り替える。
「ひとまずケビンとのこと、冒険者のことは、保留です」
そう決めると、手早く髪を手櫛ですいて簡単なポニーテールに直し、服装をできる範囲で整える。
そして、ゆっくりと部屋の扉を開けてリビングをのぞいてみた。
いつも食事をしているテーブルの周りには、村の男たちが集まっていた。一様に驚きと不安の表情を浮かべているようだった。
テーブルに着いているのは、ふたり。ひとりは、村長であるジェイムス。もうひとりは、カエデが知らない中年の男性だ。
「どなたなのだろうです?」
カエデは、会話をジャマしないように静かにリビングに入ると、村の男たちの後ろに隠れるように立つ。そして、村長の前に座っている、知らない男性を伺った。
普段は、外で仕事をしているのだろう。日に焼けた肌とたくましい体つきをしている。
だが、その顔は疲労と不安でやつれてしまっていた。目は血走り、村長をすごく睨んでいるみたいだ。
袖は枝で引っ掛けたように破れ、ズボンは泥と草の汁で汚れている。顔や腕にもこすったような傷がたくさんあった。
まるで、森の中を逃げてきたように。
「頼むから、いそいでくれよっ。このままじゃ、みんな……みんな、死んじまうっ」
ぼろぼろの男は、懇願するように声を張り上げる。部屋にまで聞こえてきた、怒鳴り声もどうやら彼のものだったらしい。
「一体何があったのでしょう……」
いつもの癖でカエデが独り言を呟くと、そばに立っていた大柄な男が、身を屈ませて小声で話しかけてきた。
「誰かと思ったら、カエデか」
彼が、二日前に仕事でお世話になった、木こりのウォレンだと、カエデでも気がつく。相変わらず、大きな体に人懐っこい笑みを浮かべた顔がのっていて奇妙な愛嬌がある人だ。
「ウォレンさんでしたか。おはようなのです」
「うん、おはよう。
騒がしい朝になったけどね。えっと、何があったかだったな。
あの男は、隣村のレッドフィールドの奴でな。助けを求めてきたんだよ」
「助け、ですか?」
「ああ。緑小鬼に村が襲われたそうだ。で、俺たちに村を助けるために武器をもって駆けつけて欲しいんだと」
「ゴブ……っ!?」
カエデは、思わず叫びそうになる口を慌てて手でふさいだ。
緑小鬼とはその名前のとおりに、頭部には小さな角がある、緑色の肌をした小さな人型の怪物だ。レベルとしては大体10~20前後が多いが、ごくまれに、すごくレベルが高い者もいることがある。
特徴は、群れをつくり、多数で行動すること。繁殖力が強く数が多いこと。多種のバリエーションがあり、狼を馬のように乗りこなす者や、魔法を使う者がいることだ。
もっとも、この知識はあくまで〈エルダー・テイル〉のものだ。この異世界でどこまで同じなのかはわからない。けれど、カエデは多分十分参考にはなるだろうと考えていた。
この世界はあまりにも〈エルダー・テイル〉と似ていたから。
再びテーブルの方を見ると、ジェイムスを説得しようと、隣村の男性は必死に村の惨状を訴えかけていた。
彼は、ひとり助けを呼ぶために村を逃げ出してきたらしい。
そして、まだ村に残っている人たち助けるために彼は、ここまで走ってきたのだ。あの深く暗い森を抜けて。
だが、ジェイムスはその訴えに頷かない。ただ難しそうな顔を作り、静かに目を閉じているだけだ。
なぜ、そんな風に黙っているのか、不思議に思ったカエデは、再びウォレンに小声で尋ねる。
「あの……どうして、ジェイムスさんは、頷かないのです?」
「え? なぜってそりゃあ……。ああそっか。他所の国から来たんだったな、あんたは。
じゃあわかんないかもしれないけど、ゴブリンって大抵いっぱい群れて襲ってくるんだよ。
この村で、戦える奴は少ないんだ。とてもじゃないけど、助けになんて行けないよ」
「そんなにいっぱいいたのですか?」
「ああ。少なくても30はいたらしいよ。……彼には悪いけど、もうレッドフィールドは助からないだろうね」
「30……ですか」
「ああ、絶望的だよな……」
「そ、そうですね」
諦めきったその声に、かろうじてカエデは同意の頷きを返す。
なぜなら、あまりにも認識の差があったからだ。
カエデにとっては「たった30匹」だったのだから。
なぜなら、彼女にとっては、いや『90レベルの冒険者』にとっては、レベル20くらいのゴブリン30匹くらいなら、負けることは無いのだから。
そもそもあいての攻撃があたることすら、殆どないし、数回殴れば相手は倒れてしまう。ソーサラーならば、下手すると一撃の魔法で、半分くらいは倒してしまうかもしれない。
レベル差というのは、そこまで大きく隔てている。90レベル冒険者とは、そこまで強いものなのだ。
少なくてもゲームだった〈エルダー・テイル〉では。
でも、ここがゲームとどこまで同じかはわからない。
それに、ここにいるのは〈大地人〉と呼ばれる人たち。かつては脇役だった人たち。
今のカエデには、彼らのレベルや職業が表示されているウィンドウが、見ることができた。
そこに書かれたレベルの数値は高くても15くらいしかない。つまりレベルだけ比べてもゴブリンたちに劣ることになる。
それに、村の中で誰かが、戦うための練習をしているところをカエデは見たことがなかった。それは、戦うことを仕事にしている人がいないということだ。
つまり……モンスター退治ができる人たちではないのだ。
(でも、ボクなら……。
ううん、リーチェだったら……)
リーチェならば戦うための力を持っている。ゴブリンたちを倒すことができる、かもしれない。
けれど……カエデは、それを言い出すことができない。ぎゅっと握り締めた手を開くことができない。話の中に入って行くできない。
言えない。
言える訳が無い。
怖い。モンスターと戦うこと、そのものが怖い。それは、おそらく殺し合いなのだから。
怖い。ひとりになってしまうかもしれないことが怖い。今までの笑顔が恐怖になってしまうのが怖い。
怖い。負けることが怖い。ここはゲームの〈エルダー・テイル〉そのものじゃない。勝てる保証なんて無い。
(……ボクじゃなくてもいいのです。
でも……それでも……)
不安そうな村の人たちが。
ケビンの無くなった足が。
必死に助けを求める人が。
村を守ろうと悩む村長が。
目の前にいる。
そして、カエデは、いやリーチェなら何とかできるかもしれないのに。
(ボクは……)
「よし、わかったのじゃ」
ジェイムスがようやくといった感じで頷いた。
カエデの動きが一歩だけ前にでたところで びくっと止まる。
「……すまんが、この村には、30ものゴブリンと戦えるものはおらぬ。
領主様へ騎士団の派遣を求めよう」
「そ、それじゃ、俺の村は……っ」
ガタンと椅子が倒れる。隣村の男が立ち上がり、村長につかみかかろうとテーブルに上がったのだ。
「お、おいっ!」
ウォレンを始めとする周りにいた村の男たちが、あわてて飛び出して、羽交い絞めにした。
それでも、隣村の男は、あきらめきれずに叫ぶ。
「俺の村はどうなるんだっ。家族はどうなるんだっ。あの化け物どもに……全部……全部っ」
暴れる男に、ジェイムスは落ち着くように手で促して、静かに言葉を続けた。
「わかっておるよ。おぬしの頑張りを無駄にはせん。
おい、ロビン」
「なんだい? じいさん」
部屋の壁にもたれかかり、矢じりを手元でいじっていた若い男が、返事をする。
カエデは、彼がロビンという狩人だったことを、その手の物を見て思い出した。
「すまぬが、レッドフィールドの様子を見てきてくれぬか?
領主様への報告するためにも、この村が今後どうするか決めるためにも、ゴブリンどもの様子を知りたいのじゃ」
「あいよ。夕方には戻る」
ロビンは軽く手を上げて、承知したことを示すと、そのまま窓枠を乗り越えていってしまった。
あの身軽さなら、森の中でゴブリンなどに捕まったりはしないだろうと、カエデも思うほどの身のこなしだ。
(……ボクじゃなくてもいいのですよね……)
「お、おいっ!? いまさら、何を見に行くんだよっ。
俺は……」
でも、隣村の男はそれでは、満足できなかったらしい。村長に対して怒鳴りつけようとする。
そんな彼に対して、村長は手を上げてその先の言葉をさえぎった。
「わかっておる。じゃが、わしらではおぬしの村を助けることはできないのじゃよ。
そして、領主様へ懇願するためには、ちゃんとした説得材料が必要なのじゃよ」
「……くそっ。じゃ、じゃあ、あいつ大丈夫なのか?
あいつが、途中で死んじまったら、それこそ説得材料ってやつがなくなるんじゃないのか!?」
「大丈夫じゃよ。この村一番の狩人じゃ。あやつでダメなら、他の誰がやってもダメじゃろうよ」
不安そうな、隣村の男の肩を叩きながら、村長はそんな風に励ましている。
その言葉にカエデも安心すると同時に納得した。
(そうですよね。ボクは……カエデなのです。
そしてここには、今まで生きてきた人たちがいる。
ボクが、でしゃばる必要なんてないんです)
思えば、何を気負っていたのだろう。戦う必要なんてどこにも無いのだ。そう彼女は納得した。
カエデは、カエデのままでいればいい。今まで得たみんなからの信頼を捨てる必要は無い。
(これで……いいのです)
「この村にもゴブリンどもは来るかも知れぬ。
念のためじゃが、みなのものも、避難する準備をしておくのじゃ。
大事なものはまとめておいて、すぐに持ち出せるようにしておくのじゃよ。
あと、若い者たちで、避難所の確認も頼むのじゃ。水や食料も運んでおいた方が良いじゃろう」
村長の締めの言葉で、家からあわただしく村人たちは出て行く。それぞれの仕事をするために。
そして家には、三人だけが残る。村長と、カエデと、ケビンの三人が。
「あ……」
いままで、ケビンも他の人の影に隠れていたらしい。ふたりの視線が交差して、お互いを見詰め合う。
「カエデ……」
「あ、あの、ケビン君……」
カエデが、ケビンに話しかけようと近づこうと一歩前に足を出すと同時に、ケビンは後ろに下がった。
それが、カエデにはケビンに拒否されたように感じ、不安になった。
「……俺に任せろ、カエデ。
だから、そんな顔するんじゃねよ」
ケビンは、そういい残すと、そのまま振り向いて、外へと駆け出してしまった。不器用に杖をつきながら。きっと、彼は彼なりにできることをするために、行ったのだろう。
「あ、う……」
カエデは、その背中に声をかけようと手を伸ばすが、途中で止まる。
さっきまでの躊躇。そしてケビンに対する引け目。
見えない何かにしばられて、カエデは動けなくなってしまっていた。
(ボクは……これでいいのですか。本当に、これでいいのですか?)
問いかけに、答えはまだでない。