『 村長さんに案内されたのです 』
次の日。まだ東の空がわずかに青くなってきた頃。
カエデとケビンのふたりは、ジェイムス村長に連れられて、村を南北にはしる大通りを歩いていく。
踏み固められた土の道は、村の中央にある広場へ続いていた。
お祭りや、行商人が来るときなどは、みんなこの広場に集まり、賑やかになるのだと、ジェイムスはカエデに話して聞かせる。
しかし、カエデの前にあるのは、閑散としている丸い広場。そしてその広場を囲むように、店らしき建物が三件ほど並んでいた。
それぞれの店の入り口には、木で出来た小さな看板がぶら下がっている。一番大きな建物には「宿屋&酒場」とあり、その隣には「雑貨屋」と書いてある。
その二つと少しだけ離れた、三つ目の店には看板が無かった。いや、かつてはあったのだろう。壁に日焼けで出来た看板の後が残っている。
二階建ての、青い屋根の元店舗だった建物。そこには生活感がなく誰も使っていないことがわかる。
その寂れた店こそが、ジェイムスがふたりを連れてきた場所だった。
「ここじゃよ」
ジェイムスは、店を手のひらを向けて、連れてきた子供たちに紹介する。
カエデも、何度かこの前を通ったけれど、店の扉はいつもしまっていたし、誰かがいたことは無かった。
「ここは、今はやっていないのです?
何のお店だったのですか?」
カエデの素直な質問に、ジェイムスはケビンの方を向いて頷いた。
視線で促された、ケビンは、多少躊躇した後、ぼそぼそと答える。
「預かり屋、だよ」
ケビンはそのままジェイムスを、じっと睨んだ。八つ当たりをぶつける様に。
もちろんケビンのそんな反応を予想していた、老人はひょうひょうと説明を続ける。
「大きな街にある銀行の小さな奴じゃな。制限はあるのじゃが、お金を預けたり、道具を預けたり出来るのじゃよ」
「はあ……。預かり屋さん、ですか?」
カエデは、いまひとつどんな店なのか理解できない。多分、質屋か、貸し倉庫の類なのだろうと思っておいた。
それより彼女は、ケビンの様子の方が気になっている。あきらかに、この場所についてから妙に落ち着きをなくしていたからだ。
「で、なんだよ、じいさん。
こんな店で、どうすんのさ」
「昨日言ったじゃろうが。
ふたりで仕事を一緒にしてもらうとな。
預かり屋をやるんじゃよ。おぬしらで」
「はっ。冗談だろ? 俺たちに出来るわけないじゃないか」
「いかんのう。やる前からあきらめては」
「やってからしか、わかんねーのは、バカだろ」
ケビンは、だんだんと語気を荒くしていき、最後には村長に詰め寄っていく。杖を握る右手にも力が入ってるらしく、ふるふると杖が震えていた。
「ど、どうしたのです?
なぜ、ケビンくんは、そんなに怒っているのです?」
あわててカエデはふたりの間に割って入った。ケビンは、舌打ちをしてカエデと村長から離れてそっぽを向く。
ジェイムスは、わざとらしくやれやれと呆れたポーズをしながら、カエデに説明を始めた。
「怒っておるのとは違うのじゃよ。
この店はな、ケビンの両親がやっておったのじゃ。
2年ほど前、小緑鬼の群れに、村を襲われたことがあっての。その時にに、亡くなってしもうた」
「……そう、なのでしたか」
カエデは、薄汚れた建物を見上げる。
おそらく一階は店舗で、二階は住居なのだろうと察しが付いた。ケビンは、両親と共にこの店に住んでいたのだろう。
そして、ひとりの残されたケビンにとって、この店は悲しい記憶を思い出してしまう場所なのかもしれない。
「あの……もしかして、ケビン君の足も?」
「うむ」
カエデの無遠慮な質問に、ジェイムスは頷きだけを返す。
(ジェイムスさんは……ボクにというよりも、ケビン君にこのお店をやらせたいのですね。
ご両親が残したこの店を。……その足でひとりで立つために)
カエデは、もう一度店を見上げて、静かにケビンに向き直った。
ケビンは、そんなふたりのやりとりを横目にしながら、かつての自宅を眺めていた。
生まれてずっと暮らしてきた家。そして、両親が死んだ場所でもある家。
(おやじ……おふくろ……)
ふたりは、逃げ遅れたケビンを庇って、ゴブリンに殺されてしまった。
庇われたケビンも、ゴブリンの斧に切られて……一命は取りとめたものの右足を失った。
もう、ケビンには何も残ってない、そう思っていた。
だが、家は静かに建っている。ケビンを見守るように。
「俺のことは、いいんだよっ。
それより、どういうことだよっ」
沸いてくる郷愁を振り切るように、ジェイムスに向かって叫ぶ。
もうこんな場所から離れたかった。
「じゃから、おぬしたちに〈預かり屋〉を……」
「出来ないって言ってるだろっ」
「ほほう。なぜ、出来ないのじゃ?」
ジェイムスは、淡々と質問する。
「なぜってそりゃあ……。
預かり屋っていうのは、ちゃんと誰に何を預かったって、記録しなきゃいけないんだよ。
それに、預かった物を運んだりするんだよっ。
俺じゃ、文字もかけないし、お金の勘定だってわかんねえ。運ぶだって無理なんだ。
な? わかっただろ? 俺になんか出来るわけないんだよ」
ケビンは、必死に理由を並べていく。
この店は両親が大事にしていた店だ。自分のせいでダメにしたくなかった。自分のせいでこれ以上何かを無くしたくなかった。
「つまり、ボクが、運べばいいのですね」
にっこりと微笑みながら、カエデが唐突にそんなことを言い出す。
ケビンは目を丸くして驚く。次の瞬間、勢いのまま叫んでいた。
「ちょ、おま、何を言いだしてんだよ!?」
「何って……ボクがやることを言っているのですよ。
ボクは文字も書けますし、勘定だって出来ますです。
もちろん、それをケビンくんに教えることも出来るのですよ」
「なめてんのか!? 何も知らないんだろっ。預かり屋っていうのは、そんなに簡単じゃないんだぞっ」
「つまり、簡単じゃないってことがわかるくらい、ケビン君は知っているのですね」
「そのとおりだっ。ずっと見てたからなっ。
だから、俺たちに無理だってこともわかるんだよっ」
何も知らない少女が口を出すなと、ケビンは腹をたてて怒鳴る。
だが、目の前のケビンよりも小さな少女は、そんな少年に、にこっと笑って見せた。
「だから、出来るのです。
……たぶん、ですけれど」
最後こそは照れ交じりだったが、カエデは自信たっぷりに言い切る。
それがケビンには、気に食わない。なぜそんなことがいえるのかわからない。
「何でそんなことが言えるんだよっ」
ケビンは、カエデの顔にぐっと近づいて怒鳴る。
今まで緑色に見えていた彼女の瞳が、影になって優しい黒い瞳になった。
(くっそ。怒鳴りにくいじゃないか……っ)
色を変える不思議な瞳を見つめるのが、ケビンは苦手だった。どうしても目をそらしてしまう。
だけど、それをカエデは許さなかった。
両手が優しくケビンの頭を包み込み、目をそらせないようにする。
「言えるです。
だって、ケビンくんは、詳しいのですよね?
ボクが知らないことを知っているのです。
なら、ボクが一緒に手伝うのです。ケビン君が出来ないことは、ボクがしますです。知らないことは教えるのです。
村長さんは、ボクが一緒ならケビンくんが、お父さんたちの仕事を継げると思ったから、ここに連れてきたのですよ」
じっとケビンの顔を、黒い瞳が見つめてきた。薄い唇が、優しく容赦なくささやく。
(ち、近い!? 近い、ちかい)
少年は、顔を赤くして必死に、離れようと手を勢いよく払いのける。
パシッ
思ったより小気味よい音が響いた。思わず、払いのけた手を背中に隠す。
カエデは、悲しそうにしながらも、必死にケビンをじっと見る。
(ち、ちくしょう……ちょ、ちょっと可愛いからってそんな顔をしても……)
何も言えない純情な少年に、少女は声を震わせて言い募る。
「お願いしますです。ケビン君。
ボクは、ケビン君に助けてもらいました。ジェイムスさんにお世話になっています。この村の皆さんによくしてもらっていますです。
このまま……何もできないで、村を去るなんてことしたくないのです。
ボクに、仕事を下さいです」
「な、なんで俺に言うんだよ!?
他の奴になにかさせてくれって言えば……」
言葉は途中で止まった。
ケビンは思い出したのだ。目の前の少女は、「何も出来なかった」ことを。
右足がなくてケビンは、何も出来ないと、毎日悔しい思いをして過ごしてきた。
ならば、ちゃんと全部あるのに、何も出来なかったカエデはどんな思いをしてきたのだろうか?
(……く、くそ。どうして、俺が……)
「ケビン君だけなんです。
今のボクに、仕事を与えられるのは。
ボクと一緒では、ダメですか?」
ケビンは、何も返事できない。ただひたすら、お互いの顔を見つめあう。
(ダメなんて……いえるわけ無いだろう!?
なんで、こいつは、泣きそうなんだよ。なんで、そんなに仕事をしたいんだよ。
わけわかんないぞ、ちくしょうっ)
ぐるぐる悩む少年。
その背中をばんっと力強く叩かれた。
「おぬしの負けじゃな」
「く、くぞじいい。最初からわかってやがったな……」
悔しげにするケビンの耳元に、ジェイムスはそっと小声でささやいた。
「ほれた女には勝てんからの」
(ほ、ほれてる? そ、そんなことあるかよっ)
動揺して、言葉にならない。
にやにや笑う老人に、顔を真っ赤にしながら言い返そうとする。
「こ、これだから、年寄りは嫌いなんだっ
なんでも見通した気でいやがってっ」
「ふふふ。じゃが、今回は当たったようじゃな」
「うぐぐ……」
思わずにらみ合う親子。そんなふたりにおずおずと、少女は話しかけた。
「ケビン君……」
「……ああもうっ。わかったよ。
しょうがないから、やってやるよ、預かり屋っ」
ケインは、半ばやけくそ気味に叫ぶ。
「ありがとうですっ。
一緒に、頑張ろうですよ」
そんなケビンにカエデは、左手を差し出した。そしてにっこりと微笑む。
「……仕方なくだからな」
ケビンも左手を出して、しっかりと握手する。
握った手は、柔らかくて温かかった。
「それじゃ、後は若いもんに任せるからのう」
「はいです」
「おう」
こうして、ジェイムスの目論見どおり、ケビンは、カエデとふたりで預かり屋を始めることになったのだった。