『 村での朝ご飯です 』
身だしなみを整えて、リビングに戻る。髪型も、井戸のそばにあった布を使って、ポニーテールにまとめておいた。この方が動きやすいからだ。
老人は、既にテーブルに戻っており、少年の隣の席に、昨日と同じ粥がおいてある。
カエデは、ぺこりとふたりに一礼してから、席に向かってちょこんと腰かけた。やっぱり足が届かない。
「遠慮せずに食べなされ」
「はいです。いただきますです」
老人の勧められるままに、カエデは、木のスプーンで穀物らしき粥をすくって口に運んだ。
口に入れた粥は……なんの味もしなかった。
(たぶん……ポリッジですよね、これ。
ここまで美味しくないポリッジも初めてなのです)
ポリッジというのは、今で言うオートミールの一種で、燕麦を柔らかく煮た粥である。
最近は、シリアルフレークなどが主流になってきて食べられることは少なくなったが、英国の郷土料理の一つである。
特徴は、ひたすら煮るので、柔らかくて舌触りがよく、味が無い。
とはいっても本来は、麦の甘みがわずかにあるものなのだが……これには、それすらないようだ。
(まあ、ここは英国に似た土地のようですし、しょうがないのです)
英国の食事は、不味いことで世界的に有名なのだ。
有名な人が言った言葉に「英国で、美味い物が食べたければ三食朝食を食べろ」というのがある。朝食に出てくる、簡単で手間をかけない食事が一番まともという皮肉なのだ。
原因は、食材や水、文化などがあるのだが……一番の問題は料理方法だと母はいつも言っていた。
『この国の人って、料理が雑なのよ。食材の風味を生かそうとしないの。
肉は、ひたすら焼くものだし、野菜は味が飛ぶまで煮ちゃうのよね。
不味い食べ物しかなかった、昔の名残なのよね。そんな風に料理しなきゃ、食べれなかったんだもの。
でも今は、農業も発達したし、輸入で美味しい野菜が手に入るようになってる。でも、料理方法はそのままなんだもん。困ったものよね』
そんなことを言いながら、いつも日本の食事を作ってくれていた。和食ではない。あくまで日本の食事なのだ。
カエデは、特にトンカツやオムライスが大好きだった。
「う……」
思わず涙が滲みそうになる。こういうのもホームシックというのだろうか?
カエデは、ごまかすようにテーブルの上においてある、塩の皿に手を伸ばして、一つまみ自分の粥皿に振りかけた。
英国料理の味が雑な理由のひとつに、自分の皿の料理の味は、自分でつけるものという風習もある。
調味料を振りかけて調整するのがマナーであり、むしろ味付けを自由に出来るように、あまりソース類を最初から使うことをしない。
当然、味付けを自分でしないでマズイなんていう人は、言いがかりでしかないのだ。
「うん、美味しいです」
塩味が入ったためか、甘みも感じた気がした。何より空腹が、一番のスパイスとなって美味しさを感じさせてくれる。
カエデは、かみ締めるように久しぶりのご飯を食べ始めた。
「あー食べながらでいいのじゃが、話をさせてもらって、よいじゃろうか?」
そんな彼女を、優しく見守っていた村長は、そんな場合ではないと思い出し、こほんと一つ咳払いをする。
「もぐ……。はい、いいのです」
スプーンを口から慌てて話して、こくこく頷く、カエデ。
「話とは、なんです?」
「まずは、改めて自己紹介をしておこうかの。
わしは、このシャーウッド村の村長をさせてもらっている、ジェイムスという。村のもんは、村長と呼んでおるから、おぬしもそう呼ぶとええじゃろう」
「はい、わかりましたです。ジェイムスさん」
「……おぬし、本当にわかったのか?」
「わかっているのです。
ジェイムスさんは、村長なのですよね」
一瞬、バカにされたのかと思ったジェイムスだったが、少女の本気でわかってないらしい顔を見ると違うことに気がついた。
おそらく、人はちゃんと名前で呼ぶように教わってきたのだろう。
(やはり、いい育ちのお嬢様のようじゃな。かなり天然気味のようじゃが)
彼は、こほんと咳をひとつして、次にカエデの隣に座っている少年を紹介する。
「こいつは、わしの養子のケビンじゃ。
見ての通り少々、ひねくれておるが根はいい奴じゃから、安心するがいい」
「ちょっ。じいさん、ひどい紹介じゃないか」
老人の紹介に、くってかかる少年。その少年の前にカエデの手が差し出された。
「ケビンくんですね。よろしくです。
ボクを見つけてくれたんですよね? ありがとうなのですよ」
「お、おう。よろしくな。見つけたのはたまたまだ。気にすんな」
ケビンは、差し出された手を握ることもなく、ぷいと顔を背けた。声には、起こっている様子はないので、カエデはまたしても戸惑う。
「さて……。もう、身体は良い様じゃの?
おまえさんが、この村に……というか、森に倒れていたわけは、昨日の話でわかったのじゃ。
じゃが、どこから来たのかわからない、そうじゃったの?」
妙な沈黙になりそうな、一歩手前で村長が話を切り出し始めた。カエデも、そちらに向き直り、言葉に頷きを返す。
「はいなのです。
ボクがいた国は、日本というのですが……。聞いたことないですよね?」
「聞いたことないのう」
「じゃあ……〈ヤマト〉という名は聞いたことありませんか?」
カエデは、故郷である英国のことは聞かずに、留学している日本のことを訪ねてみた。
英国は、どうやらここのことらしいからだ。英国のことを聞いても混乱させるだけだろう。
案の定、彼は日本を知らなかった。だから今度は〈エルダー・テイル〉で日本に相当する島の名を聞いてみる。
「ふむ…………。
おお、息子の話で聞いたことがあるぞ。たしか、はるか東にあるという黄金の国だそうじゃ」
村長からの答えは、その考えが正しいことを示していた。
なので、カエデはその話にあわせる事にする。いきなり別世界から来たなんて言うのは、やはり突拍子も無いことだと考え直したからだ。
「じゃあ……多分なのですけれど。ボクは、その〈ヤマト〉から来た……のかも、なのです」
「ふむ。何かややこしい事情がありそうじゃの。だが、今それを考えても益はなさそうじゃ。
とりあえずおまえさんは、〈ヤマト〉から迷い込んだ、そういうことでかまわぬな?」
「はいなのです」
「へえ、あんた、黄金の国から来たのか? ぴかぴかなのか?」
ジェイムスとカエデの会話に、ケビンがここぞとばかりに割り込んできた。どうやら機会をうかがっていたらしい。
カエデは、4年前の〈アキバ〉での冒険を思い出しながら答える。
「ええと……黄金の国というのは、比喩なのですよ。金の輸出は多いですし、金色のお寺とかもありますが、あくまでも一部です。
それ以外は、ここの国と大きくは変わらないのですよ」
「そ、そうなのか?」
すいそくという言葉が良くわからず、ケビンは目をぱちぱちと瞬きする。
自分より年下っぽい子が、難しい言葉を話すというのは、居心地が悪いと初めて感じた少年だった。
「では、本題に入るのじゃが……。おまえさん、これからどうするつもりなのじゃ?」
「帰る方法を探しますです」
言い辛そうにしながら問いかけた村長に、カエデはすっぱりと軽く答える。
彼は、その答えに少々驚きながらも続けた。
「帰れるあては、あるのじゃろうか?」
「あてはないのです。どうしてこうなったか、原因すら判らないですから。
でも起こった以上、原因はあるはずです。それが判れば、帰る方法も見つかるはずなのです」
「もし、見つからなかったらどうするつもりなのじゃ?」
「そのときに考えるですよ。どこかで生きていく方法を探すのです」
老人は少女の言葉を強がりか、なにかといぶかしむ。だがまるで、今日の天気が良かったというのと同じ調子でこの少女は、話すのだ。
(この娘にはそれが、当たり前という事なのじゃろう。
世間知らずのお嬢様というわけでもなさそうじゃな)
ジェイムスは、しばし考えるフリをした後、次へ話を進めていく。
「それでは、どうやってその原因を探すつもりなのじゃ?」
「そこ、なのですよね。
ボクはまだ、ここのことをよく知らないのです。なので、まずはどこかで『勉強』できればと思うのですよ」
「ほほう。『勉強』か、悪くないじゃろう。だが、学ぶには金がかかるのじゃよ?」
「ええと、バイト……じゃない。日雇いとかで、稼ぎながらじゃ、無理です?」
カエデは、起きてから漠然として考えていたことを、村長と話しながらまとめていく。
どうも、自分ひとりでは上手く考えることが苦手だった。あちこちに見落としが生まれてしまう。
「おまえさんに、それだけの才能があれば無理ではなかろうな。
もっとも、学べる場所と、稼ぐ仕事がある街であれば、じゃがのう」
「才能があるかどうかはわからないですけれど……。
そうですね、まずは王都のロンデニウムへ、行きたいのです」
カエデの言葉に、ケビンは顔を曇らせる。
村長との話が、大人同士の会話に見えた。ケビンには、けして加われない会話に。
そして見たこともない王都へ行こうとしている。それが当たり前のように。
(なんだよ、これ……。これがお嬢様と、村生まれとの差なのかよ)
そんな隣の男の子の葛藤に、カエデは気がつかず村長と言葉を重ねる。
「王都に、知人などがおる……わけがなかったの。おぬしは、この島の名さえ知らぬようじゃったし。
さて、聡いお主のことじゃ、あとはわかるじゃろう? これから、何が必要なのか」
「お金、ですよね。あと、コネ。
みなさんは、親切にしてくれましたが、このまま王都にいっても途方にくれるしかないです」
「そうじゃのう。
だが、おぬしは、知り合いは誰もおらぬし、金を持っているようでもなさそうじゃ。
……ところで、お主の家は裕福なのじゃろうか?」
村長が口元に、にやりと笑みを浮かべる。
カエデはその笑みを、母がいたずらをするときに浮かべる笑みと同じだと思った。
だから同じ笑みを返す。
「家に戻れたら、十分なお礼は出来るです。恩は忘れないのです」
「良い返事じゃ。なら、お主に恩を売るとしよう。高くかうのじゃぞ?」
「はい、ありがとうございます。ジェイムスさん。お世話になるのです」
そこでカエデは、自分の名前をちゃんと名乗ってないと気がついた。
恥ずかしさで声が小さくなってしまう。
「な、名乗っていなかったのです。ボクは、カエデ・ルイスなのです。
呼びにくかったら、カーデと呼んでくださいですよ」
「うむ、しばらくの間じゃろうが、よろしく頼むぞ。カエデ嬢ちゃん」
ぺこりと頭を下げるカエデ。それに手を上げて了承する老人。
ふいに、少女のシャツの袖が、隣から引っ張られた。振り向くと、ケビンが何か不満そうにカエデを見つめている。
「俺は、ケビンだからな。覚えろよ、カエデ」
「もう覚えているですよ、ケビン君。命の恩人なのです、忘れないですよ」
カエデは、にこやかに頷いて、よろしくねと同じように頭を下げた。
だがケビンには、それが面白くない。
(なんだよ『くん』って。同じ歳なのに年下あつかいかよ……。
たしかに頭はいいんだろうけどさ)
彼は、むすっと黙ってしまう。そして、そのまま椅子から立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。
「あ、あうー」
カエデには、彼がなぜ機嫌を悪くしたのかわからない。
わからないから、困った顔になって首を傾げてしまう。
そんな二人をみてジェイムスは一人、『若さじゃのう』と堪能していた。