幸せってなに?
ハッピーエンドへ歪曲点:幸せって何だろう?
「幸せって何だろう」と問いかけることは多々あるが、「不幸ってなんだろう」と考えることはほとんどない。
幸せでないことが、不幸なのだろうか?
そうであれば、幸せと定義された状況以外は、すべて不幸となる。
不幸でないことは、幸せなのだろうか?
そうであるとするなら、不幸と定義された状況以外はすべて、幸福となる。
……直感的に、いずれも的を得ていない。
多くの場合我々は、不幸の中で常に嘆き悲しんでいるわけでもない。また、だからといって、常に幸福の園で微笑んでいるわけでもないのだから。
バッドエンドへ歪曲点:幸せって何だろう?
幸福と定義された状況のみが幸福で、不幸と定義されたものは不幸なのだろうか?
……ある意味では、正答だ。
おそらく我々は、恒常的に幸福でもなければ、不幸でもない存在である。
しかし、人という存在はその中から幸福と不幸をくみ上げることができる、希有な思考体でもあるのだ。
これは「個々の価値観や判断基準の違い」とは無視して起る、ある種の普遍性である。幸福のくみ上げという普遍性は、無数の価値観でもって、成されるーーー故に。
故に、世界は歪曲する。
歪曲し、破綻する。
もし我々が「幸せな結末」という幻想を望むなら、それは幸福により定義された終わりではなく、不幸の否定により肯定されたーーー消極的幸福以外には、成しえない奇跡であろう。