第6話 最初の友達と、使わない勇気
幼稚園に通い始めて数日。
俺は早くも一つの現実を理解していた。
友達という存在は、作ろうとして作るものではない。
少なくとも、この年齢ではそうだ。
理屈で選ぶのではなく、なんとなく近くにいる。何度か話す。気がつけば隣にいる。そういうものらしい。
前世の会社員時代、人間関係はもっと打算と相性と距離感の計算で成り立っていた。だから、こういう“理由の薄い接近”は新鮮だった。
その筆頭が、初日に話しかけてきた男の子だった。
とにかく元気だ。
朝から走る。昼も走る。帰る直前まで走る。なぜそんなにエネルギーがあるのか本気で不思議になるくらい、ずっと動いている。
だが、ただ騒がしいだけではない。
相手の反応をよく見ているし、意外と空気も読む。押しが強いぶん鈍感に見えがちだが、集団の中心に立ちやすいタイプだ。
(将来、営業向きだな)
そんなことを考えてしまうあたり、自分でもだいぶ毒されていると思う。
「おまえ、きょうなにする?」
朝、教室へ入るなり聞いてくる。
「まだきめてない」
「じゃあおれとあそぶ」
「……うん」
こういう決め方は嫌いじゃない。
そしてもう一人、自然と近くに来るようになった子がいた。
初日に「さみしくない?」と聞いてきた女の子だ。
こちらは逆に、静かなタイプだった。
言葉数は少ない。だがよく見ている。誰が困っているか、誰が無理をしているか、そういうことに敏感だ。
人の機微を読むのが早い。
おそらく、家庭環境か性格か、その両方だろう。
俺はこの二人が近くにいることで、幼稚園での立ち位置がかなり安定してきているのを感じていた。
元気な中心と、静かな観察者。
その両方に受け入れられているのは大きい。
もちろん、ここで能力を使えばもっと簡単に関係は作れる。
共鳴で信頼を深め、会話を誘導し、不安を取り除けばいい。
だが——
(それは、なるべくやらない)
これが今のルールだ。
使えるから使う、では歪む。
少なくとも、友達に関してはそうしたくなかった。
本当に俺を好きなのか。
能力で好意を増幅しただけなのか。
それが曖昧になるのは、後々きっと嫌になる。
だから、日常の人間関係にはなるべく能力を使わない。
必要最低限。場の事故を防ぐ時と、どうしても危険がある時だけ。
そのルールは、意外と俺の心を軽くした。
この年齢でこんなことを考えるのは妙だが、人を動かせる力を持っているからこそ、“動かさない自由”を持つことが大事なのだと思う。
その日、先生は粘土遊びを用意していた。
子供たちは一斉に机へ集まる。色つきではない、ごく普通の粘土だ。
「なんでもいいから、すきなのつくってみようね」
先生の言葉に、教室の空気が少し弾む。
工作や絵は、子供の性格が出る。
勢いで作る子。慎重に形を整える子。途中で飽きる子。隣の子の作品を真似る子。
俺は粘土を手に取りながら、少しだけ困った。
(これ、加減が難しいな)
前世の手先の感覚はある。さらに《ひらめき》を軽く使えば、見栄えの良い形も構造もすぐ浮かぶ。
だが、やりすぎるとまずい。
とはいえ、あまりに下手すぎても不自然だ。
俺は少し考えてから、犬を作ることにした。
子供でも選びやすい題材だし、多少形が崩れても成立する。
ただし、本気では作らない。
耳を少し大きくする。足をやや短くする。顔も単純化する。ぱっと見で“上手な子供の作品”程度に留める。
隣では元気な男の子が謎の塊を量産していた。
「これなに?」
「きょうりゅう!」
「……つよそう」
「だろ!」
本人が楽しそうなら、それが正解だ。
反対側では静かな女の子が、小さな花を丁寧に作っていた。
こちらは几帳面だ。集中力が高い。
先生が机の間を回ってくる。
「わあ、みんな上手だね」
そして俺の犬を見て、少しだけ目を留めた。
「こういちくん、これ、いぬさん?」
「うん」
「おみみ、かわいいね」
「ありがとう」
短く返す。
先生はにこっと笑ったが、その感情の奥にまた少しだけ“印象更新”があった。
この子は雑に作っていない。ちゃんと見て作っている、という認識だ。
(まあ、そのくらいなら)
許容範囲だ。
問題は、その直後に起きた。
元気な男の子が自分の恐竜を見て、急に不機嫌そうな顔をしたのだ。
「なんか、へん」
自分でも納得していないらしい。
さっきまであんなに自信満々だったのに、急に形が気に入らなくなったようだ。
この年齢ではよくあることだ。
勢いで始めて、完成形とのズレにぶつかる。そこで機嫌が崩れる。
先生は別の子を見ていて、まだ気づいていない。
俺は隣を見る。
少しだけ泣きそうな顔。
(……どうする)
助けるのは簡単だ。
共鳴で落ち着かせる。あるいは軽く《ひらめき》を使って、子供にも真似しやすい整え方を教える。
だがここでふと、別の考えが浮かぶ。
(使わないでやってみるか)
俺は自分の犬の耳を一つ取って、彼の前へ置いた。
「これ、つのにしたら?」
「つの?」
「うん。きょうりゅう、つのあるのいる」
その言い方が正しかったのかは分からないが、彼の目が少しだけ戻る。
「……あー!」
そして、自分の塊にその“角”を付け始めた。
形が変わる。
印象が変わる。
本人の中で「失敗」が「こういうものだった」に変換される。
「できた!」
表情が一気に明るくなる。
(なるほど)
これだ。
能力がなくても、人は少しの視点の変化で救える。
いや、能力があるからこそ忘れそうになるが、本来はこういう積み重ねが人を助けるのだ。
元気な男の子は満足した顔で俺を見る。
「おまえ、すごいな!」
「……たまたま」
「たまたまじゃない!」
大きな声で断言される。
先生も振り向いて、微笑ましそうに見ている。
静かな女の子も、俺の手元と彼の作品を見比べて、小さく言った。
「やさしいね」
その言葉に、少しだけ胸が詰まった。
やさしい、か。
前世の俺はそんなふうに言われるタイプではなかった気がする。悪い人間ではなかったと思うが、積極的に誰かを助けるより、自分の生活を回すことに精一杯だった。
だが今の俺には、明らかに“余裕”がある。
能力の余裕。視野の余裕。時間の余裕。
それをどう使うかで、人間は変わるのかもしれない。
昼食の時間、俺は二人と近い席になった。
子供の弁当には個性が出る。
派手なキャラ弁もあれば、質実剛健な中身重視もある。母はそこまで凝るタイプではないが、きちんと整っていて、食べやすく、小さな工夫があった。
ありがたい。
「それ、からあげ?」
元気な男の子が聞く。
「うん」
「いいなー」
その一言で、一瞬だけ前世の死因が脳裏をよぎった。
(……お前のせいじゃないのに複雑だな)
唐揚げは悪くない。悪いのは俺の反射神経と判断だ。
「ひとつこうかんする?」
「いいの!?」
食べ物を使った関係構築は強い。
だが、それ以上に単純に彼が嬉しそうだったのでよかった。
静かな女の子とも、少しだけおかずの話になった。
「それ、たまごやき、すき?」
「すき」
「わたしも」
たったそれだけの会話。
でも、その程度で充分だった。
友達というのは、案外こういう断片からできるのかもしれない。
昼食後、先生が絵本を読み始める。
教室全体が少し落ち着く時間だ。
俺はその間に、周囲の感情の流れをぼんやりと追っていた。
すると気づく。
元気な男の子は、表面ほど自信家ではない。
中心にいようとするのは、自分が取り残されるのを恐れているからでもある。
静かな女の子は、人の感情に敏感すぎる。
だから自分が前へ出るより、周囲の変化を優先してしまう。
(……みんな、ちゃんと事情がある)
当たり前のことだ。
だが、この年齢でそれが見えるのは、やはり大きい。
問題は、その“見えすぎる”感覚をどう扱うかだ。
相手の不安が見える。
寂しさも見える。
助けることも、導くこともできる。
でも、それを全部やっていたら、俺はきっと人との距離を見失う。
だから決める。
友達相手には、なるべく能力を使わない。
そのかわり、本当に困った時だけ使う。
このルールは今後、俺の人生で何度も揺らぐことになる。
だが少なくともこの日、幼稚園の机に頬杖をつきながら絵本の声を聞いていた俺は、そのルールを大切にしようと本気で思っていた。
帰り際、元気な男の子が言った。
「またあしたもいっしょにあそぼうな!」
「うん」
静かな女の子も、小さく手を振る。
「ばいばい」
「ばいばい」
母が迎えに来て、俺の顔を見るなり少し笑った。
「楽しかった?」
「……うん」
短いが、本音だ。
楽しかった。
疲れたし、気を遣ったし、能力も抑えたし、子供の集団は予想以上に濃かった。
それでも確かに、悪くない一日だった。
そして何より。
この日、俺は初めて実感したのだ。
力がなくても、人と繋がれる。
力を使わないからこそ、守れる関係もある。
それは後に、世界規模の影響力を持つようになる俺にとって、かなり重要な原点になる。
夜、布団の中で、俺は小さく手を握る。
(使わない勇気、か)
簡単なようで難しい。
だが、必要なことだ。
人を動かせる者は、動かさない選択もできなければならない。
そうでなければ、ただの支配者になる。
俺が目指すのは、それとは少し違うはずだ。
世界を変える。
人類を先へ進める。
だが、その出発点がこういう小さな関係であるなら、そこを雑に扱いたくはなかった。
白い天井を見上げる。
幼稚園の毎日は小さい。
だが、その小ささの中に、未来へ繋がる練習台がいくつも転がっている。
それを一つずつ拾うことが、きっと後で効いてくる。
そんな確信を抱きながら、俺は静かに眠りへ落ちた。
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