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神様転生したはずが赤ん坊の自分に転生していた件  作者: 柿の木


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間話 春の前、まだ小さな背中

 春が近づくと、家の中の空気は少しだけ変わる。


 窓から入る光がやわらかくなるとか、朝の寒さがわずかに緩むとか、そういう季節の変化もある。けれど、それ以上に大きかったのは、家族の会話の中に「次」が増えたことだった。


「ランドセル、ほんとにこれでいいのかな」


 夕食後、母はカタログを広げながら言った。


 テーブルの上には赤や黒や紺のランドセルが並んでいる。昔より随分と色の種類が増えたらしい。俺はそれを横から見ながら、少しだけ不思議な気分になっていた。


 ランドセル。


 前世でも背負ったはずなのに、具体的な感触はもう曖昧だ。


 けれど、“小学生になる”ということの意味はよく分かる。


 世界が一段広がる。


 幼稚園よりも長い時間、集団の中に置かれる。学習が始まる。ルールが増える。友人関係も、先生との距離も、もっと複雑になる。


 そして何より——


(自由に触れるものが増える)


 本。


 ノート。


 地図。


 図書室。


 パソコンに触れる機会はまだ先でも、情報へ近づく手段は一気に増える。


 俺にとって小学校は、単なる進学先ではない。


 明確な“次の段階”だ。


「本人に聞いてみようか」


 父が笑いながら言う。


 母がこちらを見る。


「どれがいい?」


 俺は少しだけ考えるふりをした。


 本音を言えば、色なんてどうでもいい。重要なのは、その中に何を入れて持ち運ぶかだ。


 けれどここで「機能性重視で」などと言えば完全におかしい。


「……くろ」


「黒?」


「うん」


 無難で、余計な印象も残らない。


 それに男の子のランドセルとしては自然だ。


「やっぱり黒かー」


 母は少し残念そうで、少し安心したようだった。たぶん内心では、もう少し違う色を選ぶ可能性も期待していたのだろう。


 父は笑う。


「いいじゃないか。定番で」


「そうだけどー」


 二人のそんなやり取りを見ながら、俺は静かに箸を動かす。


 こういう時間は、嫌いじゃなかった。


 いや、前世よりもずっと好きかもしれない。


 家族というものを、今の俺はかなり近くで感じている。


 それはたぶん、赤ん坊からやり直したからだ。


 守られる時間をちゃんと通ったからだ。


 前世の俺は、そこを当然の背景として受け取りすぎていたのかもしれない。


 幼稚園の頃より、俺はかなり言葉を話すようになっていた。


 とはいえ、意図的に“少し賢い子”程度に抑えている。


 流暢に話しすぎれば浮くし、理解が早すぎれば目立つ。


 ここまでは上手くやれていると思う。


 幼稚園でも“しっかりしている”“周りを見ている”くらいの評価で収まった。


 先生には多少気づかれていた節もあるが、それでも危険なほどではなかった。


 だからこそ、次だ。


 小学校は人数も増え、観察の目も増える。先生はよりはっきりと評価をつけ始め、子供同士の比較も目に見える形になる。


 勉強が始まれば、理解の差も数字になって出る。


(加減がもっと難しくなるな)


 だが、避けては通れない。


 知識に触れられる場所が増えるなら、その分だけ選択肢も広がる。


 俺の能力は強い。


 けれど、能力だけで完結する世界は狭い。


 現代日本で生きる以上、制度、教育、家庭、社会、その全部の上に立って初めて大きな変化を起こせる。


 だから今は、小学校という舞台にきちんと乗ることが必要だ。


 その夜、風呂上がりに父が俺の頭を拭きながら、ぽつりと言った。


「なんか、あっという間だったな」


「なにが?」


「幼稚園。ついこの前まで、ほんとに小さかったのに」


 父の声には笑いが混じっている。だが、少しだけ寂しさもある。


 成長を喜ぶ気持ちと、手を離れていく感覚。その両方が重なっているのだろう。


 俺はタオル越しにその感情を感じながら、少しだけ視線を上げた。


「……まだ、ちいさいよ」


 父が吹き出す。


「まあ、そうか」


「うん」


「でも、もうすぐ小学生だもんな」


 その言葉に、家の中とは別の空気が混ざる。


 期待。


 不安。


 楽しみ。


 それは父だけじゃない。母も同じだし、俺の中にもある。


 ただし、俺のそれは少し意味が違う。


 俺にとって“小学生になる”とは、社会の入り口に立つことだ。


 今までは家庭と幼稚園という、小さく管理された環境だった。


 これからは、もっと多くの他人と、もっとはっきりした評価基準の中に入っていく。


 そこでは能力の使い方も変わる。


 共鳴はもっと慎重に。


 鑑定はもっと限定的に。


 ひらめきは勉強や工作の形で自然に馴染ませる必要がある。


 物質生成は——まだ封印寄りだ。


 ミスリルを使うにしても、家の中での極小実験以上は危険すぎる。


 だが、いずれは道具が必要になる。


 観察するだけでは限界がある。


 本当に未来を作るなら、手元に“試せる環境”を作らなければならない。


(その前に、まず基礎だな)


 読み書き。


 計算。


 学校という制度の流れ。


 子供たちの序列。


 先生の傾向。


 そういうものを先に把握する。


 大きなことは、その後でいい。


 寝る前、母が翌日の準備をしている横で、俺は一冊の絵本を開いていた。


 もう文字はだいたい読める。


 もちろん、それも少しずつ“自然に読めるようになった”ふりをして身につけたものだ。


 ページをめくりながら、俺はふと手を止めた。


 絵本の中には、街が描かれていた。


 家があり、店があり、道路があり、電車が走り、人が行き交う。


 簡略化された優しい世界。


 だが、その構造自体は現実と同じだ。


 人がいて、物が流れ、情報が動く。


 その流れのどこかが詰まれば、全体が鈍る。


 逆に、そこを整えれば、世界は少しずつ良くなる。


 幼稚園編の最後に描いた“つながってる絵”が頭に浮かぶ。


 あれはまだ子供の落書きだ。


 でも、方向は間違っていないと思う。


 核を作り、そこから繋ぎ直す。


 エネルギー。


 情報。


 物流。


 教育。


 人の意識。


 全部を別々に見るのではなく、一つの流れとして捉える。


 それが俺のやるべきことだ。


 そのためには、まずもっと知らなければならない。


 日本のことを。


 世界のことを。


 人間のことを。


 そして、今の時代の限界を。


 そのときだった。


 背筋に、ほんのわずかなざわめきが走る。


 強い警告ではない。


 危険でもない。


 だが、確かに何かが触れた。



《虫の知らせ》


《段階移行》



(……来るか)


 静かな感覚だった。


 事故や敵意の予兆とは違う。


 もっと穏やかな、けれど確実な変化。


 季節が変わる時のような、流れの転換点。


 俺は絵本を閉じ、窓の外へ目を向けた。


 夜の住宅街は静かだった。


 まだこの世界のどこにも、俺の名前はない。


 誰も知らない。


 ここに、未来を変えようとしている子供がいることを。


 それでいい。


 今はまだ、それでいい。


 小学校へ行けば、できることは増える。


 見るものも増える。


 そして、おそらく“気づく人間”も少しずつ出てくる。


 幼稚園では先生のような善意の観測者がいた。


 小学校では、それに加えて、競争、比較、好奇心、時には悪意も混ざるようになるだろう。


 それでも、必要な段階だ。


 そこを越えなければ、先には行けない。


 母が絵本を閉じた俺に気づいて、小さく笑う。


「もうねる?」


「うん」


「明日も幼稚園だもんね」


「……うん」


 まだ、明日は幼稚園だ。


 小学生になるのはもう少し先。


 けれど心のどこかでは、もう切り替わりが始まっている。


 幼稚園で学ぶべきことは、ほとんど学んだ。


 友達との距離。


 集団の空気。


 使わない勇気。


 見られる側の感覚。


 人を守ると目立つこと。


 才能は少しずつ漏れること。


 それら全部を抱えたまま、次の段階へ行く。


 布団に入り、目を閉じる。


 その瞬間、幼稚園で出会った顔がいくつか浮かんだ。


 元気な男の子。


 静かな女の子。


 担任の先生。


 この小さな世界で関わった人たち。


 きっとこの先、ずっと一緒ではない。


 進むうちに離れる人もいる。


 別の道へ行く人もいる。


 それでも、ここで得たものは残る。


 人と繋がる最初の感覚。


 誰かを助けるときの躊躇。


 能力に頼らず関係を築く難しさ。


 それはきっと、後で大きな意味を持つ。


 たぶん、どれだけスケールが大きくなっても。


 国家を相手にしても、世論を動かしても、宇宙へ出ても。


 その根っこには、こういう小さな時間が残り続けるのだろう。


 それは少しだけ、安心できることだった。


 未来は大きすぎる。


 俺がやろうとしていることも大きすぎる。


 だからこそ、その根元がこういう温度のある記憶であることは、悪くない。


 眠気がゆっくりと意識を沈めていく。


 最後にもう一度だけ、あの白い空間の神様の笑い顔がよぎった。


『次はもうちょい派手になるかもね』


(だろうな)


 心の中だけでそう返し、俺は静かに眠りへ落ちた。


 春の前。


 まだ小さな背中のまま、俺は次の世界へ足をかけていた。


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