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神様転生したはずが赤ん坊の自分に転生していた件  作者: 柿の木


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第8話 小さな事故と、守るということ

 その日の空気は、朝から少しだけ落ち着かなかった。


 理由は簡単だ。天気である。


 前日は雨だった。園庭は完全には乾いておらず、地面の一部はまだ柔らかい。子供はそんなことを気にしないが、先生たちは気にしている。転倒、泥、汚れ、服の着替え、保護者への説明。細かな懸念がいくつも積み上がっていた。


 俺は登園した時点で、それをなんとなく感じ取っていた。


 先生の歩く速度がわずかに速い。


 声の明るさの奥に、管理の緊張がある。


 こういう日は、たいてい何か起きる。


 そして《虫の知らせ》も、朝から微妙にざわついていた。


 強い警告ではない。


 だが完全に静かでもない。


(軽い事故系か)


 経験上、このくらいの反応は“避けられる程度のトラブル”に多い。


 だからこそ面倒だ。大事故ではないぶん、周囲は油断しやすい。


 午前中は室内活動が中心で、特に問題はなかった。


 歌、絵本、簡単な体操。俺も適度に流しながら参加する。


 静かな女の子は少し咳をしていた。体調が万全ではなさそうだ。


 元気な男の子はいつも通り元気だったが、机の角にぶつかっても平気な顔をしているあたり、痛覚の耐性がおかしい。


(雑に強いな)


 こういうタイプは大きくなると、妙なところで無茶をする。今から目に浮かぶ。


 問題は外遊びの時間に起きた。


 雨上がりで園庭の一部が使いづらいこともあり、先生たちは遊ぶ範囲をいつもより厳しめに区切っていた。


「こっちのロープのむこうには、いかないでねー」


 その声に、子供たちは一応は返事をする。


 一応、だ。


 幼児の返事に過信は禁物である。


 俺は砂場の近くにいた。


 静かな女の子と一緒に、スコップで山を作っていた。元気な男の子は少し離れたところで別グループと追いかけっこをしている。


 そのとき、背筋にわずかな冷気が走った。


 ぞわりと来る。


 今までの経験からすれば、これは近い。


(どこだ)


 視線を上げる。


 ロープの向こう側、まだ水が残っている地面の近くに、小柄な子が一人いた。たしか他クラスの子だ。ボールを追いかけて、禁止された範囲へ入っている。


 そこへ、追いかけっこの流れで別の二人が突っ込もうとしていた。


 危ない。


 ぬかるみで足を取られる。そこへ速度のついた子供同士がぶつかる。最悪、顔から落ちる。


 しかも近くに金属の支柱がある。


(まずい)


 判断した瞬間、俺は立ち上がっていた。


 全力で走る。


 幼児の脚力だから大した速度ではない。だが、動かないよりはるかにいい。


「せんせい!」


 大声を出しつつ、自分でも一番近い子の服を引く。


 一人は止まる。だがもう一人は勢いがある。


 そこで俺は、反射的に共鳴を使った。


 ほんの一瞬。


 対象はぶつかりそうな二人ではなく、近くの先生だ。


 「今」「そこ」「急げ」


 言葉ではない命令を、危機感ごと叩き込む。


 先生の反応が、明らかに早まった。


 走る。


 滑り込む。


 小柄な子を引き寄せる。


 勢いのついた一人がぬかるみで転びかけるが、先生の手が支える。


 結果、派手に泥はついたが、大きな怪我は出なかった。


 一瞬の静止。


 それから遅れて泣き声が上がる。


 驚きと怖さと、転びかけた衝撃。


 先生がすぐに抱き上げ、もう一人の子も別の先生が見に来る。


 周囲の空気がざわつく。


 子供たちは急な出来事に引っ張られやすい。放っておくと不安が連鎖する。


(落ち着かせる)


 今度は教室の時と同じように、場全体へ薄く共鳴を広げる。


 「もう大丈夫」「終わった」「怖くない」


 ほんのわずか。


 それだけで、周囲の騒ぎは必要以上に広がらなかった。


 先生たちも声をかけやすくなる。


「びっくりしたねー。でも大丈夫だよー」


「おへやでおててきれいにしようね」


 空気が戻る。


 俺はその場で息を整えた。


 今のは少し使いすぎたかもしれない。


 だが、必要だった。


 もし先生の反応が一拍遅れていたら、額を切るくらいは普通にありえた。


「こういちくん」


 担任の先生が俺を見る。


 いつもより真剣な目だった。


「先に気づいてくれたの?」


 俺は少しだけ迷ってから、子供らしい言い方を選ぶ。


「……あぶないって、おもった」


「そっか」


 先生はそれ以上は聞かなかった。


 だが、感情は動いている。


 驚き。


 感謝。


 少しの引っかかり。


 それを見ながら、俺は理解する。


 今日の件は、確実に印象に残る。


 ただの“しっかりした子”の範囲を少し超えた。


 だが、それでもまだ不自然ではない。


 危機に先に気づく子供、くらいなら現実にもいる。


(このくらいなら許容だ)


 室内へ戻った後も、子供たちはしばらく落ち着かなかった。


 特に当事者の子は泣き疲れてぼんやりしている。


 静かな女の子も少し不安そうだった。元気な男の子は逆に興奮気味で、事故そのものより“事件”として受け取っている。


 反応は様々だ。


 それを見ていると、人が危機にどう反応するかの原型が見える気がした。


 泣く。


 固まる。


 騒ぐ。


 何もなかったふりをする。


 大人になっても、多分そこまで大きくは変わらない。


 違うのは、隠すのが上手くなるだけだ。


 昼食の後、担任の先生がさりげなく俺の隣へ来た。


「ありがとうね」


「……なにが?」


「さっき。教えてくれて」


「……うん」


 先生は少しだけ間を置いてから、静かに言う。


「でも、こういちくんもむりしていかなくていいんだよ。あぶないときは、せんせいをよんでね」


 その言葉が、妙に胸に残った。


 前世でそんなふうに言われた記憶はあまりない。


 助けたことに対する感謝と、同時に“お前も危ないところへ行くな”という保護の言葉。


 自分が守る側であると同時に、まだ守られる側なのだと突きつけられる。


 なんとも言えない気分だった。


 だが、悪くはない。


「……わかった」


 そう返すと、先生は少し安心した顔をした。


 たぶん半分も信じていないだろう。次に同じことが起きたら、俺はまた動く。先生もそれをなんとなく分かっている。


 だからこそ、言っておきたかったのだろう。


 その日の帰り道、母は先生から事情を聞いて少し顔を青くしていた。


「危ないところ行かなかった?」


「いってない」


 嘘ではない。


 最前線に飛び込んだわけではない。先生を呼び、近くの子を少し引いた程度だ。


 ただし、その行動判断が幼児として適切かと言われると少し怪しい。


 母はしゃがんで、俺の肩に手を置いた。


「えらかったけど、ケガしないでね」


「……うん」


 その声に混じる震えを感じる。


 本気で怖かったのだろう。何かあったかもしれない、という想像に。


 そこで俺は、今日初めて母に対して意図的に共鳴を使った。


 ごく微弱に。


 「大丈夫」「もう終わった」「心配しすぎなくていい」


 母の表情がほんの少しだけ和らぐ。


 その変化を見ながら、少しだけ罪悪感もあった。


 だが、家族の不安を和らげることに関しては、俺はあまり迷わないらしい。


 夜、布団の中で、俺は今日のことを反芻していた。


 守れた。


 少なくとも、怪我を大きくせずに済んだ。


 それ自体は良かった。


 だが、そこで終わらない。


(人を守るって、目立つんだよな)


 当然だ。


 危機の中で動く者は、どうしても印象に残る。


 隠れていたいのに、動けば見つかる。


 この矛盾は、きっとこれから何度も俺を悩ませる。


 それでも。


(見捨てるよりはいい)


 それが今の答えだった。


 未来のために力を隠すことと、目の前の危険を放置することは違う。


 後者を選ぶくらいなら、少し目立つほうがまだマシだ。


 その考えが正しいかどうかは分からない。


 だが少なくともこの日、泥で汚れた小さな靴を思い出しながら、俺は自分の選択を後悔していなかった。


 幼稚園という小さな世界で、誰かを守る。


 たったそれだけのことだ。


 だが、その感覚は意外と重かった。


 そして、その重さに耐えられるかどうかが、将来、もっと大きなものを背負えるかどうかに繋がる気がした。

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