光の適性者
アストリア学府は夜明けとともに動き始める。塔を囲む防御結界が淡く発光し、基礎刻印が一斉に起動する。その光景を、レオンは正門前の石段から見上げていた。
以前と同じ景色のはずだった。だが今は違う。結界を構成する術式の層が見える。外郭を支える主陣、その補助に回る副陣、魔力循環を安定させる微細な刻印。その一部に、わずかな歪みがあることまで分かってしまう。
完璧に見えたものが、完璧ではないと知る感覚は、思った以上に不快だった。
門をくぐると、数人の生徒がひそひそと話しているのが聞こえる。「昨夜、外縁区で異常反応があったらしい」「帝国の監査局が動いたって」噂はすでに広がり始めていた。
教室に入った瞬間、視線が集まる。レオンが無断外泊をしたことは知られている。だがそれ以上に、彼自身が変わっていることに気づく者もいるのかもしれない。
窓際の席に座ると、隣から声がかかった。
「顔色が悪いわね」
リシェル・アルディナだった。光属性上位適性を持つ貴族家系の少女。学府でも上位クラスに属し、将来を約束された存在。
レオンは曖昧に笑う。「寝不足だ」
「嘘ね」
即答だった。彼女の視線は鋭い。観察する側の目だ。
そのとき、講義開始を告げる魔法陣が床に展開される。基礎術式演習。複雑ではないが、精度が要求される内容だ。生徒たちは一斉に詠唱を始め、魔法陣を描き出す。
レオンも手をかざす。
しかし、その瞬間、視界が紫に染まった。
周囲の魔法陣が、まるで透過図のように見える。流路。支点。力の分配。すべてが露わになる。そして同時に、致命的な欠陥も。
一人の生徒の術式がわずかに揺らぐ。魔力流量が偏っている。このままでは暴発する。
考えるより早く、レオンの中で何かが動いた。
紫の火花が、空間を走る。
次の瞬間、その生徒の魔法陣が崩れた。爆発は起きない。術式は成立せず、ただ光が消える。
教室が静まり返る。
「今のは……誰が干渉した?」
教師が眉をひそめる。生徒たちの視線が交錯する。レオンは自分の手を見つめていた。触れていない。詠唱もしていない。ただ、構造に触れただけだ。
リシェルが小さく息を呑む。「あなた、何をしたの?」
「何もしていない」
それは半分本当だった。意図していない。ただ“危険だったから止めた”だけだ。
教師が周囲を見回し、やがて言う。「術式不安定者は再演習。干渉行為は禁止だ」
だがその目は、レオンを一瞬だけ見ていた。
講義が終わり、教室を出たところでリシェルが腕を掴む。「さっきの、偶然じゃないわよね」
レオンは視線を逸らす。廊下の壁面に刻まれた補助陣が紫に浮かぶ。軽く意識を向ければ、崩せる。だがそれをすれば、結界は乱れる。
「あなたの周囲だけ、魔力の流れが変だった」
リシェルの声は低い。「まるで、魔法が避けているみたいに」
その言葉に、胸の奥がわずかに軋む。魔法を拒絶する側だ、とカイルは言った。
「関わらないほうがいい」
レオンは静かに告げる。「俺に近づくと、危ない」
リシェルは一瞬だけ黙り込んだが、すぐに顔を上げる。「それを決めるのは、私よ」
その瞳はまっすぐだった。光属性の象徴のような澄んだ目。その光が、レオンには少し眩しく見える。色が薄れた世界で、彼女の存在だけがわずかに鮮やかに感じられた。
遠くで警戒陣が微かに震える。帝国の観測が続いている証だ。
学院はまだ平穏を装っている。しかし均衡は崩れ始めている。
レオンは廊下の窓から外を見る。塔を覆う巨大結界。その構造が、以前よりもはっきりと見える。そして、どこを触れれば崩れるかも理解してしまう。
焼き切るのは簡単だ。
だが、それでは何も変わらない。
「修正する」
小さく呟くと、胸の奥で紫がかすかに脈打った。
学院という秩序の中で、異端は静かに息を潜める。
だが確実に、進化していた。




