第八幕:悪魔の研究の10年
君にとっては、一瞬だ。
語り部たるボクの受けた年月は10年だ。
正確にはーーやめておこう。
この10年で物語はやっと進むのだから。
やあ、君。久しぶりだね。
君にとっては少しでも、
ボクにとってはーーまあいいさ。
君も変わらないね。
こちらは相変わらずだ。
第七幕では、そう、赤髪のヨナによりジキル博士は組織に入ることになった。それをーーボクらは見た。そうだね?
あれから時間はかなり経った。
10年の月日はジキル博士に歳を重ねさせた。更にね。
苦悩の毎日が、彼を打ちのめしてた。
さて蜘蛛の組織は彼を名士としてアピールさせた。悪魔の投資だ。
これにより、ヘンリー・ジキルという名は正義の人になった。
だけどね、非合法の薬品の開発も極秘に行った。
たとえばーー。
指紋を一時的に消す薬。
相手の精神を磨耗や操作させる薬。
恐怖を誘発させて洗脳させる薬。
口にするのさえ悍ましい研究も繰り返された。
だけど幸いなことに、材料が貴重で大量生産が不可能だった。
これにより組織でのジキル博士の価値は下がっていった。
少しずつ冷遇されていった。
それでも、ジキル博士の目指していたものがあった。
一時的な完全変態だ。
サナギが蝶になるように変身する。
彼にとって、これは夢だった。
偽善者の仮面を剥いで、悪の人間として振る舞いたかった。
そして彼の夢は叶うことになった。
ーー今日、いま、彼の研究室の中で。
研究室は、ある一点の変化があった。
全身鏡が置かれた。
彼は鏡を見る必要があった。
深い夜のことだ。
研究室のランプは片方の光だけが弱く揺れ、長机の影が壁に黒い歯車のように落ちていた。
ジキルの呼吸は荒く、これから始めることに興奮してた。
彼は机に置いてあるノートを開いた——そこには幾何学のスケッチと、もっと危うい走り書きが混じっていた。
『完全悪の人間エドワード・ハイド』
棚のガラス瓶を手に取る。
ラベルは擦れて読みづらく、
だが彼の指は確かな動きで必要な液体を選び出した。
硫酸のような臭い、アルコールの尖った匂い、草の香りに似た揮発成分――それらを慎重に試験管に、小さな滴を垂らした。
計量スプーンは彼の呼吸と同じリズムで上下する。彼は数式をつぶやき、指で線を引き、目を細めて着色の具合を確かめた。
メスを熱し、溶媒を蒸発させ、冷却管に水を流した。
ペトリ皿に落とした一滴は、拡がるに従って青黒く反応した。
まるで小さな闇が染み出すように。
ノートの片隅に、彼は一本の短い言葉を書き添える。「ハイド」――書いたとたん、その文字がどこか不愉快に光った。
彼は最後の薬瓶を傾け、そこから出る発泡する液は薄い煙を立てながら試験管に溶け込んだ。
混合液は一瞬にして光を吸い込み、こまやかな波紋を描いた。
ジキルはスポイトを取り、
自分の掌に一滴垂らす。
滴は皮膚の上でひかり、
しばらくして内側に吸い込まれていった。彼はそれを見て、急に全身が熱くなった。全身が薬品により、反応している感覚を確かめていた。
やがて彼は効果に納得し、出来上がった赤い薬を恐る恐る飲み干した。
「これで……」と、彼は呟いた。「これで私は——」
唐突に彼は試験管を落とした。
それは粉々に砕けて、床一面に広がった。
変態は急激に始まった。
彼は四つん這いになり、骨の形が変形し、縮小が始まった。野生じみた唸り声が部屋中に響いた。
ガラスの破片が彼に罰の痛みを与えた。
彼は歓喜した。自分の変化に。
自分という存在の完全破壊。
ここから、卑怯者としての彼が終わった。
彼はよろけながら、全身鏡を見た。
彼は白衣を脱ぎ捨てた。
そこには、黒々とした髪に、類人猿の顔、身長はかなり縮んだで身体つきは華奢になった。
これぞ、悪の人間エドワード・ハイドだった。
「ついに、ボク……いや、俺は……」
鏡の中で笑った男は、もう博士ではなかった。
――夜は深くとも、ロンドンは眠らない。
(こうして、第八幕はハイドで幕を閉じる。)
ついに生まれたハイド氏。エドワード・ハイド!
ボクらは喜ぶべきか?
それともーー




