第五幕:完全悪創作と人間の創造
人は人を創造すべきか?
君らは創作者の苦悩を知らず、
その蜜だけを味わえるのだ。
やあ、君。創作者は自分の中に、完全な人間を作らねばならない。
そうしなければ、人というシンボルだけが、絵として、文字列として、
貼り付けていく作業になる。
だからこそ、たしかな形として人を作らなければならない。
ーーしかし人間を、頭の中に作る事は倫理的に正しいのだろうか?
知的な生命体を、
神の如く作るのは冒涜ではないか?
ーー君はどう思う?
第四幕では、完全悪としたヨナから、額を傷つけられたジキル博士が、ケモノのように逃げ帰ったのをボクらは見た。
彼は研究室に行き、目を血走らせながら、新しいノートを開いて書き込んだ。
『完全悪の人間』
ヘンリー・ジキルが記す。
人間の善と悪は、
わけるのが難しいとの結論を、
今日くだした。
ーーとても不愉快だ。
額も痛い。
善悪。
これは科学で分離するのはーー、
残念だがーー不可能と判断せざるおえない。
既存の心を分解することは、
できないからだ。
だが研究は、完全に終わってはいない。
人の行動だけでは、
善悪の判断はできない。
しかしながら人からの評価では、
完全な善悪が分けられている。
今後の研究として、
精神の中に新しい人間像をつくり、
その人物を完全悪とすることで
ボクは完全な善の存在になれる。
そう仮定した。
簡単に言えば、悪の人格を定義する。
ボクの中で、だ。
そのためには、
悪の自己、
悪の人間像には、
まったく違う人間の姿にしなければ。
容姿は、原始的な男にする。
まるで過去の我々先祖たちの力を持ち、しかし身長が低い亡霊。
人間としては、退化している闇の申し子。
顔は嫌悪感を呼び起こさせるーー
そういう男の姿だ。
ーー彼は筆を止めた。
「彼の性格はどうしよう?」
彼は、ヨナを思い出した。
席を奪うために、客をどけたヨナを思い出した。
ヨナの暴力装置の役割を、
組み込むことにした。
彼は、ノートに書き続けた。
この行為により、悪の自己は、
少しずつ形が出来上がってきた。
それはーーまるで無意識という石から、芸術家が芸術を掘り起こする作業に似ていた。
一つ一つの知識が、
“彼”を虚空から呼び出していた。
ああ、
君はこの恐ろしさを、知るべきだ。
一人の人間がもともとあった意識をこえて、やってくるんだ。
もう一人の人間のようにーー。
ヘンリー・ジキルは、科学で作り出すのではなく、もっとも原始的な方法で作ったのだ。
ーー完全な悪の化身を!!!
そして彼は、最後に、こう書いた。
「彼の名前はエドワード・ハイド。
ボクの両親は彼を無視していた。
なぜかって?
彼は人間というよりも、類人猿だった。一族の恥として、彼は生まれながらに存在の恥とされた。
母は彼を抱かず、父は彼に期待をしない。まさにヘンリーの影だ。
ハイド。
彼は一切の愛を知らぬ!
神にすら呪われた子なのだ!」
研究室の窓から、雷の音が轟く。
外は雨が降ってきた。
その時、ジキル博士のペン先が震え、インクが紙を汚した。
それが、彼の指の最初の変化だった。
そとから、誰かから近づいてくる気配がした。きっとソフィアに違いない。
だが、ハイド博士ーーいや、ジキル博士は創作に夢中だった。彼の中に悲しき悪魔の子「ハイド」が生まれたのは、ここからだった。
(こうして、第五幕は悪魔の子で幕を閉じる)
ついに、ハイドの名前が創作された。
ただ物語のためだけに、悲しい過去を乗せられた。
果たして創作とは何か?




