幕間ノ五:西涼の祝言
幕間ノ五:西涼の祝言
并州の土を踏み、馬超が故郷・金城へと凱旋したのは、西暦一九五年、夏の終わりであった。
彼を出迎えた父・馬騰や一族の者たちは、その姿に目を見張った。日に焼け、精悍さを増した顔。そこには、かつてのような刺々しいまでの傲慢さは影を潜め、代わりに、大地に根を張る大樹のような、揺るぎない落ち着きが宿っていた。
「……父上。ただいま、戻りました」
その声の重みに、馬騰は、呂布への感謝と息子の確かな成長を悟り、ただ黙って力強く頷いた。
その夜、父子の間で酒が酌み交わされた。
馬超は、并州での出来事――呂布との手合わせでの完敗、民と共に鍬を握った日々、そして、その中で見つけた「真の強さ」の意味を、訥々(とつとつ)と、しかし熱を込めて語った。
馬騰は、その言葉一つ一つを、我が事のように嬉しそうに聞いていた。
そして、馬超は、意を決したように父に告げた。
「父上。呂布将軍より、有り難きお言葉を賜りました。将軍の三女、華姫を、この私に……と」
その言葉に、馬騰は一瞬、驚きに目を見開いたが、すぐに全てを理解したように、腹の底から豪快に笑い出した。
「はっはっはっは! そうか、そうか! あの鬼神が、我が息子を婿として認めてくれたか!」
その笑い声は、城中に響き渡るほどだった。
「これほどの誉れはない! そして、これこそが、両家が血をもって結ばれる、何よりの証となる! よくやった、超よ!」
呂布の真意――この同盟を決して裏切ることのない、血の絆で固めようという絶対的な意志の表れ。それを、馬騰は即座に理解した。
それから数日のうちに、金城では馬家と呂家の縁談を祝う盛大な宴が開かれた。
西涼に勢力を持つ、大小様々な部族の長たちが一堂に会する。
その席で、馬騰は高らかに宣言した。
「皆、聞け! 我が息子・孟起は、并州の呂布将軍がご息女を、妻としてお迎えすることと相成った! これより、并州と我ら西涼は、一つの家族となる! この絆、天が裂けようとも、揺らぐことはない!」
「おおーっ!」
どよめきと、そして歓声が広間を揺るがす。
この縁談は、西涼の諸部族に、馬家と并州との絶対的な繋がりを強く印象付けた。長安で好き放題に振る舞う李傕・郭汜も、これで迂闊には手出しできまい。
その夜。
宴の喧騒から離れ、馬超は一人、城壁の上から故郷の星空を見上げていた。西涼の星は、并州で見た星よりも、どこか荒々しく、そして力強く輝いて見える。
彼の脳裏に、遠い并州にいる、一人の少女の姿が浮かんだ。
はにかむような笑顔、薬湯を差し出してくれた、その手の温もり。
(……華殿……)
自然と、口元が綻ぶ。
(次に会う時までに、俺は、あんたを守るにふさわしい男にならねばな……)
彼の心に、新たな、そして何よりも温かい闘志の炎が灯った。
己の武威のためではない。ただ一人、愛する人を、そして彼女が暮らすあの優しい大地を守るために。
若獅子の槍は、この日を境に、真の王者の槍へと、その姿を変えようとしていた。
秋風が吹き始める頃、馬騰は、この縁談を正式なものとするため、莫大な結納の品――西涼が誇る最高の駿馬三百頭と、純白の毛皮、そして美しい玉石の数々――を携えた、丁重な使節団を并州へと派遣した。
その使節団が、熱い砂塵の道を越え、并州の豊かな大地を目指していた、まさにその頃。
并州では、中原の戦乱を逃れた一人の若き学徒が、運命に導かれるように、晋陽の城門を叩こうとしていた。
北の地に、また一つ、新たな風が吹き込もうとしていたのである。




