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幕間ノ二:軍師の算盤

幕間ノ二:軍師の算盤

謁見の間から戻った陳宮は、自室で一人、静かに算盤そろばんを弾いていた。だが、彼が計算していたのは、兵糧の数や財政ではない。天下の勢力図という、より巨大で、より複雑な盤面であった。


(馬騰殿…見事な一手だ)

西涼からの使者、馬超。その若者の、あまりにも無礼な登場。だが、その裏にある父・馬騰の深謀遠慮を、陳宮は見抜いていた。


李傕・郭汜という目先の脅威。そして、いずれ必ず西へ進出してくるであろう曹操という未来の災厄。その二つに備えるため、北の呂布と手を結ぶ。戦略としては、定石。だが、馬騰の真の狙いは、そこではあるまい。


(あの若獅子を、わざわざこの并州へ…)

馬騰は、呂布という男の「器」に賭けたのだ。自らの手には負えぬ、あまりにも強すぎる息子の魂を、呂布ならば正しく導いてくれるのではないか、と。そして、もし呂布がその期待に応え、馬超を心服させることができたなら、この同盟は、ただの軍事協定を超えた、揺るぎない絆となる。

(息子を人質に差し出し、相手の度量を試すと同時に、自らの誠意をも示す。そして、息子の教育と、一族の安泰を同時に手に入れる…全く、恐ろしいほどの老獪さよ)


陳宮は、算盤の珠を一つ、パチリと弾いた。

西涼との同盟は、并州にとって、計り知れない利益をもたらす。背後の安全が保障され、東の袁紹、そして南の曹操との戦いに、全力を注ぐことができる。

これは、紛れもなく「吉」の一手。


だが、陳宮の思考は、それだけでは終わらない。

彼の脳裏に浮かぶのは、先程の、主君の姿であった。

馬超の無礼な挑戦に対し、怒るでもなく、ただ静かに、諭すようにいなした、あの姿。

あれは、かつての将軍には、決して見られなかった姿だ。


(将軍は、変わられた…)

張譲殿の死を経て、土に触れ、民の声を聞き、あのお方は、確かに変貌を遂げられた。

ただの「武」ではない。その武を何のために使うべきかを知る、「王」の器を手に入れつつある。

馬超という、過去の自分にそっくりな若者の姿を、今の将軍は、どのような思いで見つめておられるのか。


陳宮は、再び算盤の珠を弾く。

今、彼が弾いているのは、もはや国家間の損得ではない。呂布奉先という、一人の人間の、計り知れないほどの成長の可能性であった。


(あの若獅子を導くことで、将軍ご自身もまた、君主としての道を学ばれるだろう)

(人に教えることこそが、人が最も多くを学ぶ道なのだからな)


ふと、訓練場の方角から、若獅子の、悔しさに満ちた咆哮が微かに聞こえてきた。

陳宮の口元に、満足げな笑みが浮かぶ。


(始まったか…)

この并州の地で、二匹の獣が、互いの魂をぶつけ合い、そして磨き合っていく。

この出会いが、いずれ天下の勢力図をどう塗り替えていくのか。

軍師の算盤は、未来の、胸躍るような計算を、静かに、そして楽しげに弾き始めていた。

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