第二十四話:西涼の若獅子
第二十四話:西涼の若獅子
張譲の死という深い悲しみを乗り越え、呂布が「并州の父」となることを誓ってから、一年近くの歳月が流れていた。西暦一九五年、春。并州は、静かに、しかし確実な変貌を遂げつつあった。
大規模な戦は、止んだ。
呂布は、自らの宣言通り、袁紹への追撃や、中原への侵攻といった、対外的な軍事行動を厳しく禁じた。その代わりに、彼は、自らが最も苦手としていたはずの「政」という、新たなる戦場にその身を投じていた。
だが、守りは、鉄壁と化した。
呂布が内政に集中する一方、軍の指揮権は陳宮、張遼、そして高順に託された。陳宮の策定した新たな防衛計画の下、国境の砦は増強され、兵の訓練は一日も欠かさず行われた。高順が鍛え上げた精強な「陥陣営」は北の国境を固め、張遼が率いる騎馬隊は常に領内を巡回し、あらゆる脅威に即応できる体制を築き上げた。
東の袁紹、西の李傕・郭汜、そして南に勢力を伸ばす曹操。呂布軍は、これら全ての勢力からの圧力を常に感じながらも、今は耐え、力を蓄えることを選んだのだ。その静かな緊張感が、并州軍をさらに精強なものへと変えていた。
そして、土は潤い、民の顔に活気が戻った。
呂布は、自ら鍬を手に取ったあの日以来、各地の荒れ地を開墾する屯田制の導入を精力的に進めた。領主自らが泥にまみれる姿は、民の心を打ち、并州全土で、かつてない規模の開墾事業が始まった。領主の威光ではなく、領主の汗が、民の心を動かしていたのだ。
そんな確かな変化の風が吹く晋陽の城門に、その日、西から一陣の熱風が吹き込んできた。西涼の太守・馬騰からの同盟の使者。その軍装は并州兵の質実剛健なものとは対照的に、派手で異国情緒に溢れていた。
そして、その中心にいる若武者の姿に、城門を守る兵士たちは息を呑んだ。白銀に輝く獅子の意匠を施した鎧に身を包み、その兜飾りの鬣は風に揺れ、まるで太陽そのものが降臨したかのような圧倒的な存在感を放っている。
若者の名は、馬超、字は孟起。「錦馬超」の異名を持つ、馬騰が誇る嫡子であった。彼の瞳は、純粋な武への渇望と、若さ故の揺るぎない自信で燃えている。「力こそが全て」という西涼の価値観を体現したような、荒々しくも美しい若獅子であった。
謁見の間。呂布が玉座に腰を下ろし、陳宮や張遼らがその脇を固めている。そこへ、馬超が堂々と入ってきた。彼は父・馬騰からの書状を差し出すよりも早く、恭しい挨拶もそこそこに、その手に持つ白銀の長槍を、まっすぐに呂布へと向けた。
「父・馬騰の命により参った! だが、同盟の話はその次だ! まずは天下無双と謳われる貴殿の武、この錦馬超が見定める! いざ、尋常に勝負!」
その声は若く、自信に満ち溢れ、広間全体に響き渡った。
あまりにも無礼な申し出に、張遼が「若造が無礼であろう!」と腰の剣に手をかけ、怒声を発する。他の将たちも色めき立ち、場の空気は一触即発の緊張感に包まれた。
だが、呂布は、彼らを制するように静かに手を上げた。彼は怒るのではなく、静かにその槍先を見つめていた。その燃えるような瞳に、彼は、かつての自分自身の姿を重ねていた。ただ己の力を示すことしか知らなかった、若く、傲慢で、そして孤独だった自分を。
微かに口元に自嘲の笑みを浮かべると、呂布は静かに口を開いた。
「若造が」
その声は静かだったが、広間全体を支配するほどの、絶対的な威圧感が込められていた。それは、単なる武の威圧ではない。多くのものを背負い、民と向き合う覚悟を決めた者だけが放つことのできる、王者の気配であった。
「お前がその槍を向けるべき相手は、俺ではない。お前自身の未熟さだ。――まずは、使者としての役目を果たせ」
馬超は、その言葉と気迫に完全に気圧され、たじろいだ。目の前の男は、噂に聞くただの猛将ではない。自分とは格の違う、計り知れない器の大きさを感じ、不満げに、しかし大人しく槍を収め、父からの書状を差し出した。




