第二十三ノ二話:血マメの誓い
第二十三ノ二話:血マメの誓い
陳宮の思惑通り、呂布は并州の乾いた大地の上で、自らが求めていた答えを、最も厳しい形で見つけ出していた。
老婆の言葉が、彼の魂を根底から揺さぶった。
彼はその場に崩れるように膝をつき、老婆の皺だらけの手にすがるようにして、深々と頭を下げた。
「婆さん…すまなかった…!俺が、間違っていた…!」
その声は、天下無双と謳われた男の謝罪であり、そして、過去の自分に別れを告げる、決別の響きを帯びていた。
彼は顔を上げると、近くで呆然と成り行きを見守っていた老農夫に、懇願するような視線を向けた。
「爺さん、それを貸してくれ」
その目は、もはや傲岸不遜な将軍のものではなく、ただ、何かをなさねばならないという切迫感に満ちた、一人の男の目だった。老農夫は、訳が分からぬまま、呂布に長年使い古した木製の鍬を手渡した。
呂布は、乾ききってひび割れた大地に向かい、生まれて初めて鍬を振るう。
一振り目。方天画戟を振るうのとは全く違う、全身の筋肉が悲鳴を上げるような鈍い衝撃。土塊は、彼の力を嘲笑うかのように、びくともしない。
「これが…これが、民の戦いか…」
彼は、己の無力さを痛感した。敵兵の鎧を紙のように切り裂く力が、この硬い大地の前では、何の役にも立たない。
二振り、三振り。無心で鍬を振り下ろし続ける。すぐに、彼の武骨な手のひらには、いくつものマメができ、それが潰れ、熱い血が滲んだ。その生々しい痛みが、彼の心の驕りを洗い流し、彼の魂に、民の苦労というものを直接刻み込んでいく。滝のように流れる汗が、土埃と混じり合い、彼の顔を黒く汚していく。
「これが…親父殿が、じいが、守ろうとしたものの重さか…!俺は、この痛みを、何も知らなかった…!」
黙々と土を耕す呂布の姿。その鬼気迫る様子に、初めは訝しげに遠巻きに見ていた村人たちも、やがて、その姿に心を動かされる。最初に動いたのは、鍬を貸した老農夫だった。
「…わしも、やるか」
老農夫を皮切りに、村の男たちが一人、また一人と鍬を手に取り、呂布の隣で土を耕し始める。女たちは、なけなしの穀物で握り飯を作り、子供たちは、小さな桶で必死に水を運ぶ。
そこには、領主と民という身分の差はない。ただ、同じ大地と向き合い、汗を流す「仲間」たちがいるだけだった。言葉はなくとも、鍬を振るう音、荒い息遣い、そして土の匂いの中で、彼らの心は確かに通い合う。呂布は、初めて、誰かを一方的に守るのではなく、誰かと「共に」戦う喜びを知った。孤独だった彼の魂が、民の温もりによって、ゆっくりと癒されていく。
その光景を、少し離れた場所から見ていた張遼は、主君の変化に、人知れず涙を流していた。
「将軍…あなた様は、真の王になられる…丁原様、張譲様、ご覧になっておられますか…」
数日後、晋陽城の軍議の場。居並ぶ家臣たちの前に、旅から戻った呂布が現れた。その姿は、泥と汗にまみれ、着衣はところどころ破れている。家臣たちは、何が起きたのか分からず、ただ驚愕に目を見開いた。
呂布は、何も言わずに、血の滲んだ掌を家臣団の前に広げて見せた。そこには、無数の血マメと、土に汚れた生々しい傷があった。
静まり返る中、呂布は、深く、そして力強い声で言った。
「皆、見ろ。これが、我らの新しい敵だ。そして、これこそが、我らの新しい武器だ」
そして、宣言する。
「これより、俺も并州の土を耕す。戦は、しばらく休みだ。この地を、民が腹一杯食える楽土にする。それこそが、死んでいった者たちへの、俺なりの弔いだ」
その言葉と、主君の手のひらの傷に、家臣たちは全てを悟った。
陳宮も、張遼も、高順も、そして他の将たちも、皆、その場に膝をつき、深く、深く頭を垂れた。彼らの目には、涙が光っていた。
并州が、真の意味で一つになった瞬間であった。




