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幕間:民の声

幕間:民の声

村はずれの、寂しい風が吹き抜ける小高い丘。そこには粗末な木を組んだだけの小さな墓標が、ぽつんと立っていた。季節外れの痩せた雑草が、その墓標に寄り添うように生えている。


老婆は腰をかがめ、その雑草を一本一本丁寧に抜き取っていた。彼女の背中は長年の苦労で深く、そして緩やかに曲がっている。顔には乾いた大地そのもののような深い皺が刻まれ、その目は多くの悲しみを見てきたために光を失いかけていた。着ているものは、何度も繕った跡がある色褪せた麻の服だった。


彼女は抜いた雑草を墓標の前に供えると、まるでそこに息子がいるかのように、優しい声で語りかけた。

「三郎…聞こえるかい。母ちゃんだよ。今日も、日が暮れちまったねえ…」

一息つき、さらに続ける。

「村の者が言ってたよ。呂布様というお殿様が、そりゃあ大きな戦に勝ったんだってな。お前も、その戦で殿様のために立派に戦ったんだってな…偉いよ、お前は…本当に、偉い子だよ…」


息子の死を誇りに思う気持ちと、日々の暮らしの厳しさ、そして息子を失った埋めようのない悲しみ。それらが彼女の心の中でどうしようもなく渦巻いていた。領主への恨みはない。ただ、どうしようもない現実があるだけ。彼女の言葉は、誰に聞かせるでもない魂からの呟きであった。


そこへ、土埃にまみれ、疲れ果てた顔の旅の武人が供の者を一人連れて通りかかった。その男の瞳には、これまで老婆が見たこともないような深い苦悩の色が浮かんでいた。

老婆は、その旅人の姿に、遠い昔に家を出ていった夫の面影をふと見出す。そして、息子の死後、忘れていたはずの人への情けが、心の奥底から湧き上がってくるのを感じた。


「旅のお方、少し休んでいきなされ」


彼女は家に戻ると、なけなしの穀物を水で溶いただけの濁った白湯を椀に注ぐ。そして、それを盆に乗せ、呂布たちの元へおぼつかない足取りで運んできた。

「こんなものしかねえが、喉の渇きくらいにはなりましょう」

(この人も、誰かの息子であり、誰かの夫なのだろう。どこかで、この人の帰りを待つ家族がいるのかもしれない。息子にしてやれなかった分、せめてもの…)老婆は心の中でそう思った。


旅の武人――呂布は、その白湯を一口で飲み干した。その味は、これまでに飲んだどんな美酒よりも彼の魂に深く染み渡った。

「…婆さん、ありがとう。生き返るようだ」

彼が息子の墓標に目をやり、そのことを尋ねると、老婆の目から堪えていた涙が一筋、こぼれ落ちた。


「殿様が強いのは、有り難いこった。おかげで、これ以上よそ者がこの村を荒らすこともねえだろう。だがな、お侍様。そのために、うちの息子は死んだ。村の若い衆も、何人も帰ってこねえ。残されたワシらは、ただ飢えるだけだ。戦に勝ったって、ワシらの暮らしは昨日と何も変わらねえんでさ」


呂布は、その言葉を胸に突き刺さる槍のように受け止めた。返す言葉が見つからない。彼はただ、固く拳を握りしめる。彼の武勇、彼の勝利が、この老婆の前では何の意味もなさない。

老婆は、乾ききってひび割れた畑を見やり、絶望と諦めが混じった深いため息をついた。風が吹き、乾いた土埃が舞い上がる。


「殿様の戟は、天を裂くかもしれねえが、この土を耕してはくれねえ。ワシらが欲しいのは、強い殿様より、この土を潤してくれる一筋の雨なんでさ。お天道様だけが、ワシらの頼りだよ…」


その言葉が、呂布の魂に深く突き刺さる。

彼は、初めて「力」の限界と、「統治」というものの本質を悟った。彼の目に熱いものが込み上げてくる。それは悲しみでも怒りでもない。自らの無知と無力さを知った男の、初めての悔し涙であった。


呂布は何も言えず、ただ、その老婆に向かって深々と、そして長い間、頭を下げ続ける。

その大きな背中は、天下無双の武人のものではなく、一人の民の前にただひれ伏す、一人の男のものであった。

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