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幕間:河北の軍師、戦慄す

幕間:河北の軍師、戦慄す

袁紹軍の本陣は、恐慌に陥っていた。


「顔良様が、呂布との一騎討ちに敗れ、討ち死に!」

「文醜様も、兄の仇と突撃するも返り討ちに!」


次々と舞い込んでくる凶報に将兵は顔面蒼白となり、主君・袁紹は玉座で子供のようにうろたえている。


だが、その混乱の中心で、沮授そじゅだけは表情を失い、冷たい静寂の中にいた。

彼の心にあったのは恐怖ではない。理解を超えた現象を前にした、背筋が凍るような戦慄であった。


(これが…并州の飛将、呂布奉先か…)


噂には聞いていた。だが、これほどとは。

一騎討ちで顔良を破り、返す刃で文醜をも葬る。

それは、もはや個人の武勇という範疇を超えている。

人が積み上げた練度、磨き上げた技量、定めた兵法が、まるで意味をなさない。


あれは、天災だ。

人の力では抗うことのできぬ、理不尽なまでの力の奔流。


(だが…)


沮授は、混乱する戦場を冷静な目で分析していた。

顔良・文醜は討たれた。しかし、戦はまだ終わっていない。

戦慄する思考の片隅で、軍師としての冷徹な部分が盤面を読み解いていく。


(あの男…突出している…!)


地図の上で、呂布の動きはあまりにも異質だった。

自軍の戦線を顧みず、ただ一人、赤い点となって敗走する我が軍を深追いしている。その動きは、獲物に夢中になった猛獣そのものだ。


将ではない。

あれは、ただの武人。

いや、戦の神に愛された、ただの子供だ。


新たな戦慄が、背筋を駆け上る。

人の理を超えた力を持つ、ただの子供。これほど御しがたく、恐ろしいものがこの世にあろうか。

あの男の強さは、一点に集中すれば神をも殺す矛となる。

だが、そのぶん足元は恐ろしく脆い。

自軍の守り、仲間との連携、兵の疲弊――「将」として当然配慮すべき全てを、あの男は忘れ去っている。

ただ、己の武に酔いしれている。


そこに、勝機がある。

唯一の、勝機が。


沮授は主君・袁紹の顔を思い浮かべ、歯噛みした。(殿にこの状況を報告すれば、間違いなく総退却を命じられるだろう。だが、それでは真の敗北だ。我ら河北の誇りが地に堕ちる!)


彼の脳裏に、電光石火の如く起死回生の一手が閃いた。


(今こそ好機!)


沮授は、双璧を失い呆然とする諸将を一喝した。


「嘆いている暇はない! 我らが双璧の死を無駄にする気か! 呂布は今、勝利に酔って孤立している! 我が采配に従い、残存する全兵力で敵本陣を叩くのだ! これぞ両将軍への、最高の手向けとなろうぞ!」


その言葉には、軍師としての絶対的な確信があった。

呂布という男は、確かに神の如き武を持つ。

だが神は、時に己の力を過信するがゆえに、失墜することがあるのだ。


戦慄は、興奮へと変わっていた。

この人の理を超えた化け物を、人の理をもって打ち破る。それこそが、軍師としての最高の誉れではないか。


沮授は、冷徹な目で、遠くで暴れ回る赤い鬼神を睨みつけた。


(呂布よ…貴様の武は認める。天が遣わした厄災であることも認めよう。だが、戦は武勇だけでは決せぬことを、その身をもって知るがいい!)


彼はすぐさま伝令を呼び、反撃の狼煙を上げるよう厳命を下した。

この一手が、神を地に引きずり下ろす最初の一撃となることを、彼は確信していた。

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