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第十九話:并州の覚悟

第十九話:并州の覚悟

袁紹からの返答は、呂布の予想通り、戦という形で届けられた。

冀州軍の名将・顔良を総大将とし、文醜、張郃といった河北が誇る猛将たちを副将に据えた五万の大軍が、并州との国境である常山じょうざん郡へと、怒涛の如く進軍を開始したという報せが、晋陽を震撼させた。


「五万…だと…!」

「顔良に文醜までもか…袁紹め、本気で我らを潰しに来る気だ…」

城内には動揺が広がり、兵たちの顔には不安の色が浮かぶ。黒狼族とは訳が違う。相手は、中原で最強と謳われる大軍勢なのだ。


だが、呂布は動じなかった。

「怖気づくな!」彼は、集まった将兵を一喝した。「数は多くとも、奴らは攻める側、我らは守る側だ。そして何より、奴らの兵は金で雇われただけの駒。我らには、この并州の地を守るという、金では買えぬ覚悟がある! その差が、勝敗を決するのだ!」

その言葉は、不安に揺れる兵たちの心を、再び奮い立たせた。「殿の言う通りだ!」「俺たちの殿は、袁紹なんかに頭を下げるようなお方じゃねえ!」その熱気は、やがて呂布への盲信に近い期待へと変わっていった。


出陣の日。

城門の前には、并州の全軍、およそ一万五千が整然と隊列を組んでいた。その先頭には、呂布を中心に、陳宮、張遼、高順、そして老将・張譲の姿があった。

呂布は、見送りに来た三人の娘たちに、静かに目をやった。

暁は、心配そうな、しかし何かを決意したような強い眼差しでこちらを見ている。「父上、どうか陳宮様の言葉を、よくお聞き届けください…」その小さな声が、人馬の喧騒の中でも、不思議と鮮明に呂布の耳に届いた。

飛燕は、拳を握りしめ、「父上なら、顔良だろうが文醜だろうが敵じゃないわ!」と、父の武勇を信じて疑わぬ声で叫んだ。呂布はその頭を、無骨な手で一度だけ、優しく撫でた。

華は、何も言えず、ただ手作りの小さな御守りを、父の大きな手にぎゅっと握らせた。その温もりが、呂布の心にじんわりと沁みた。


出陣の直前、飛燕が、黙して動かぬ高順の元へ駆け寄った。

「高順のおじ様!」

「…姫様」高順は、馬上から静かに一礼する。

「父上を…父上を、必ずお守りして!」

飛燕の、いつもの勝気な声とは違う、悲痛な響きを帯びた懇願。高順は、その小さな主君の顔をじっと見つめると、無言で、しかし力強く、一度だけ頷いた。そして、ぽつりと呟く。

「姫様こそ、お体を大切に。貴女様は、将軍の『武』を受け継ぐお方。貴女様がおられる限り、并州の武は、決して絶えませぬ」

その言葉は、高順なりの、最大の忠誠の誓いであった。


(守らねばならん…)

呂布は、娘たちの姿を目に焼き付けると、覚悟を決めたように馬首を巡らせた。

「全軍、出陣!」

その声に応え、一万五千の并州軍は、まるで呂布という一つの魂を宿した巨大な生き物のように、大地を揺るがしながら、北へ、決戦の地へと動き出した。


数日後、両軍は、常山の広大な平原を挟んで対峙した。

西に陣取るは、呂布軍一万五千。その背後には、故郷の険しい山々が連なっている。

東には、袁紹軍五万。磨き上げられた鎧と無数の軍旗が、朝日を浴びてきらめき、その威容は、大地を覆い尽くさんばかりであった。五万の軍勢が立てる地響きは、腹の底にまで響き、整然と並ぶ軍旗が風に揺れる音は、まるで死神の羽音のようにも聞こえた。

その先頭に立つ総大将・顔良の巨躯から放たれる気迫は、并州の乾いた風を押し返すほどに凄まじかった。


呂布軍の兵士たちが、ゴクリと息を呑む。先程までの勇ましさは、その圧倒的なプレッシャーの前に掻き消され、馬が怯えて鼻を鳴らす音だけが、やけに大きく響いた。

この圧倒的な戦力差を前に、果たして我らは勝てるのか。

その夜、呂布軍の本陣では、最後の軍議が開かれていた。幕舎の中には、地図を囲む将たちの、緊張した息遣いだけが満ちていた。

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