幕間:老将の祈り
幕間:老将の祈り
軍議が一時中断し、呂布が「少し頭を冷やす」と一人で考え込む間、張譲は、おぼつかない足取りで幕舎の外に出た。冷たい并州の風が、火照った頬に心地よかった。彼は、夜空に浮かぶ、頼りない月を見上げた。まるで、今の并州そのもののようだ、と彼は思った。
(ああ、丁原様…あなたの忘れ形見は、あまりにも真っ直ぐすぎる…)
先程の軍議の光景が、脳裏から離れない。逢紀の尊大な態度と、それに対する呂布の隠しきれない怒りの炎。まるで、乾いた草原に火種が投げ込まれたかのようだった。いつ、燃え上がってもおかしくない。
張譲は、呂布の成長を誰よりも喜んでいた。黒狼族を退けた時の、あの神の如き武勇に涙し、領主として政に取り組もうともがく不器用な姿に、今は亡き丁原の面影を重ねていた。
だが、同時に、その危うさも痛いほど感じていた。
黒狼族との勝利は、呂布に自信を与えたが、同時に「力で全てをねじ伏せられる」という、危険な驕りをも植え付けてしまった。
(あの御方は、まだお気づきでない。己の力が、どれほど多くの者たちの支えの上で成り立っているのかを…)
今、呂布が袁紹の要求を撥ね退ければ、必ず戦になる。今の并州に、河北の覇者と正面から戦う力はない。それは火を見るより明らかだ。
丁原様が生きておられたなら、ここは耐え忍び、必ずや別の道を探されたはずだ。だが、今の奉先様に、その「耐える」という選択肢はあるだろうか。あの誇り高い若獅子が、他人の侮辱を、甘んじて受けることができるだろうか。
(奉先様…どうか、どうかご辛抱くだされ…)
(あなたのその誇りは尊い。だが、その誇りのために、并州の民を、そしてあなた自身を、危険に晒してはなりませぬ…)
張譲は、胸の前で固く手を組んだ。それは、天にいる旧主への、そして、今まさに人生の岐路に立たされている、愛する息子への、痛切な祈りであった。
彼の皺だらけの顔には、来るべき未来への深い絶望と、それでも主君を信じたいと願う、かすかな希望が入り混じっていた。
北の空から、冷たい風がまた一つ、強く吹き抜けた。それはまるで、これからこの地に吹き荒れるであろう、厳しい時代の嵐を予感させているかのようだった。




