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幕間:赤い直線

幕間:赤い直線

土煙の向こうから、何かが来る。一つの、赤い点。それが、瞬く間に大きくなる。違う。こちらへ向かって、ありえない速度で『伸びて』くるのだ。矢の雨が、まるで意思を持ったかのように、その赤い点を避けていく。何が起きている? 目の前の光景を、我が脳が理解することを拒絶していた。


(あれは…何だ…?)


たった一騎。

あの男は、確かにそう言った。「貴様ら一万、まとめてかかってこい」と。

傲岸不遜。狂気の沙汰。并州の田舎武者が、丁原という重しを失い、完全に壊れたのだと思った。

だから、命令したのだ。「八つ裂きにしろ」と。

我が部族の誇る一万の軍勢が、たった一人を飲み込む。それは、大地が雨水を吸い込むのと同じ、当然の摂理のはずだった。


だが、違った。

赤い影は、人の波に飲まれなかった。

逆に、人の波を、一直線に、突き破ってきたのだ。


矢の雨が、その赤い影を避けるように逸れていく。

屈強な戦士たちが築いた槍の壁が、まるで腐った木のように、たやすく砕け散る。

悲鳴を上げる暇もなく、肉が裂け、骨が砕ける音が、断続的に、しかし確実に、こちらへ向かって近づいてくる。


恐ろしいのは、その進路だった。

一切の迷いがない。

左右の兵には目もくれず、ただ、ただ一点。

この丘の上、自分の首だけを目指して、赤い直線が、凄まじい速度で伸びてくる。


(俺を…狙っている…!)

その事実に気づいた瞬間、族長の背筋を、氷のような悪寒が駆け上った。

一万の兵士たちは、もはや彼にとって、障害物ですらない。ただの道端の石ころか、雑草のようなもの。彼は、その全てを踏み潰し、薙ぎ払いながら、ただ最短距離で、自分の命を刈り取りに来ているのだ。


「止めろ! 何でもいい、奴を止めろ!」

彼の叫びは、もはや命令ではなく、ただの悲鳴だった。

歴戦の副将が、勇気を奮って呂布の前に立ちはだかる。だが、次の瞬間、その副将の上半身は、馬の背から消えていた。


(勝てない…)

父の仇。復讐の誓い。部族の誇り。

その全てが、自分に向かってくる、あの絶対的な「死」の奔流の前に、意味をなさなかった。


(まずい…!)

その時、族長は、呂布の動きがふと変わったことに気づいた。

直線的だった進路が、突如として、本陣の周囲を旋回する動きに変わったのだ。

なぜだ?

分からなかった。だが、そのおかげで、自分の首が繋がったことだけは確かだった。


安堵したのも、束の間。

今度は、別の地獄が始まった。

赤い疾風は、本陣の周囲を駆け巡りながら、まるで巨大な鎌で穂先を刈り取るように、指揮官たちだけを、的確に、そして残忍に葬っていく。

旗手が、腕ごと旗を飛ばされる。

伝令が、馬ごと両断される。

指示を出そうとした小隊長が、喉を戟の穂先で貫かれる。

頭脳を、神経を、一つ、また一つと破壊されていく。

一万の軍勢は、もはや軍ではない。ただ、どう動けばいいのかも分からず、右往左往するだけの、巨大な肉の塊と化していた。


その時、族長は悟った。

(あの男は…俺を殺すのを、やめたのではない…)

(俺たちを…遊んでいるのだ…!)

(この大軍を、たった一人で、弄んでいるのだ…!)

その絶望的な理解が、彼の心を完全に折り砕いた。


父を討ったのは、人ではない。

戦神か、悪鬼か。

いずれにせよ、それは、我ら人間が、戦ってはいけない存在だったのだ。

彼の目に、呂布が天に掲げた方天画戟の、きらめく光が映った。

それは、まるで、この世の終わりを告げる、凶星の輝きのように見えた。そして、自分たちの敗北を告げる、合図の光なのだと、魂が理解した。

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