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幕間ノ二:三つの誓い

幕間ノ二:三つの誓い

夜が更け、晋陽城が深い静寂に包まれる頃。

城の一室に、三つの小さな灯火が寄り添うように揺れていた。父を案じ、なかなか寝付けない三人の娘たちが、自然と長女・暁の部屋に集まっていたのだ。


「…また、父上のため息が聞こえたわ」

最初に沈黙を破ったのは、末の妹、華だった。彼女は、窓の外、父の私室がある方角を、心配そうに見つめている。

「お粥、食べてくださったかしら…。お盆は空になっていたけれど…」

その声は、か細く、今にも消えそうで、姉の暁は、優しくその小さな肩を抱き寄せた。

「大丈夫よ、華。きっと父上も、あなたの優しさが嬉しかったはずよ」

そう言いながらも、暁の表情は晴れない。


そこへ、苛立ちを隠せない声が割って入った。

「優しさだけじゃ、腹は膨れないし、敵は倒せないわ!」

次女の飛燕が、腕を組み、仁王立ちになっていた。昼間の訓練で付いたであろう土埃が、彼女の勝気な顔を一層引き立てている。

「父上は、戦う人よ! なのに、部屋に籠って竹簡とにらめっこなんて、らしくないわ! 私が乗り込んで、全部の竹簡を槍で叩き割ってやろうかしら!」


「飛燕、お黙りなさい」

暁が、姉としての威厳を込めて、静かに、しかし強く制した。

「あなたの気持ちは分かるわ。でも、今、父上が戦っておられるのは、目に見える敵ではないの。私たちには見えない、もっと大きく、もっと重いものと戦っておられるのよ」

「重いもの…?」飛燕は、少しだけ語気を和らげた。「でも、それなら、陳宮様や張譲のお爺様に任せればいいじゃない。父上は、ただ戟を振るって、并州を脅かす奴らを蹴散らせば、それでいいはずよ!」


「それだけでは、駄目なのよ」

暁は、目の前に広げた一枚の羊皮紙を指さした。そこには、彼女が書き写した并州の地図と、各地の兵糧の備蓄量が、子供とは思えぬほど几帳面に記されている。

「見て、飛燕。北の砦の兵糧は、あと三月も持たない。もし今、匈奴が本気で攻めてきたら、兵士たちは飢えながら戦うことになる。雁門では、去年の凶作で民が苦しんでいる。父上は、その全てをその肩に背負い、どうすればいいのか、一人で悩んでおられるの」


暁の言葉に、飛燕はぐっと息を呑んだ。戦うことしか考えていなかった彼女にとって、それは想像もしたことのない、もう一つの「戦場」だった。

「…じゃあ、どうすればいいのよ…」

飛燕が、弱々しく呟いた。その時、それまで黙って聞いていた華が、おずおずと口を開いた。

「…あのね、私、思うの。お父様は、きっと、一人で全部やろうとしてるんじゃないかしら…」

二人の姉が、華に視線を向ける。

「お爺様が、いつもお父様に言ってた。『お前は独りじゃない』って。でも、お爺様がいなくなって、お父様は、また独りぼっちになっちゃったんだと思うの」


華の、あまりにも純粋な言葉が、二人の姉の心を強く打った。

「…そうね。華の言う通りかもしれないわ」暁は、深く頷いた。「父上は、誰かに頼るのが、きっとお苦手なのよ。特に、私たちには…」


「じゃあ、決まりじゃない!」飛燕が、今度はぱっと顔を上げた。その目には、いつもの覇気が戻っている。「私たちが、父上が頼まなくても、勝手に助ければいいのよ!」

「勝手に…?」

「そうよ!」飛燕は、姉と妹の顔を交互に見た。「姉上は、その賢い頭で、父上が読んでも分からないような難しい竹簡を、分かりやすくして教えてあげればいい! 『父上、この兵糧の問題は、こことここをこうすれば解決できます!』ってね!」

「…それは…」暁は一瞬戸惑ったが、その瞳に「やれるかもしれない」という光が宿った。

「そして、私は、もっともっと強くなる! 父上が政に集中できるように、并州中のどの将軍よりも強くなって、北の蛮族どもを一人で追い払ってやるわ! そうすれば、父上も安心して、机に向かえるでしょう!」

飛燕の言葉は、荒唐無稽に聞こえたが、そこには揺るぎない決意があった。


「じゃあ…私は…?」

華が、不安そうに二人の姉を見上げた。

「華、あなたは」暁は、妹の手を優しく握った。「あなたは、そのままでいいのよ。父上が、その二つの戦いに疲れた時、『お帰りなさい』って、温かいお粥と、あなたのその優しい笑顔で迎えてあげて。それが、父上にとって、何よりの力になるはずだから」

「うん…!」

華の瞳に、涙が浮かんだ。自分にも、できることがある。そのことが、彼女には何より嬉しかった。


知の暁が、父の頭脳となり。

武の飛燕が、父の剣となる。

そして、仁の華が、父の帰る場所となる。


「よし、決まりね!」

飛燕が、力強く言った。

三人は、部屋の中央で、そっと手を重ね合わせた。まだ小さく、か細い手。だが、その手と手が合わさった時、一つの大きな、温かい力が生まれるのを、彼女たちは確かに感じていた。


「一本の糸ではすぐに切れてしまうけれど、三本縒り合わせれば、強い縄になる…お爺様が、兵の結束を説く時にそう仰っていたわ」

暁が、静かに、しかし決意を込めて言った。


「ええ。私たち三人がいれば、きっと父上を支えられる」

華の瞳は、もう潤んではいなかった。


「お父様を、独りぼっちにはさせない!」

飛燕の力強い言葉が、三人の誓いを一つに束ねた。


それは、まだ幼い三人の娘たちが交わした、気高く、そして力強い誓いであった。

晋陽の夜空に輝く三つの星は、寄り添いながら、沈黙する巨大な太陽を、必死に照らそうとしていた。

この誓いが、やがて呂布奉先の、そして天下の運命さえも動かしていく、大きな力となることを、まだ誰も知らなかった。

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