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幕間:北方の民の祈り

幕間:北方の民の祈り

晋陽の城下町は、静かな不安に揺れていた。

敬愛する主君・丁原の死。その悲しみは、いまだ人々の心に深い影を落としている。そして、その悲しみに追い打ちをかけるように、新たな主君となった呂布将軍が、城に籠もり、政務の場に姿を見せないという噂が、人々の間に囁かれていた。


市場の片隅。野菜を売る老婆が、客に渡す釣銭を数えながら、隣の店の主人に声を潜める。

「…のう、聞いたかい。呂布様は、毎日部屋に閉じこもって、酒ばかり飲んでおられるそうだ」

「ああ、俺も聞いた。丁原様を失った悲しみで、すっかり気落ちされているとかなんとか…」

「それで、大丈夫なのかねぇ、この并州は。また、北から匈奴どもが攻めてきたら…」

「馬鹿、声を落とせ! 聞かれたら首が飛ぶぞ」


彼らの声には、呂布への非難ではない、もっと根源的な恐怖が滲んでいた。丁原という、絶対的な守護者を失ったことへの、拠り所のない不安。そして、新たな守護神であるはずの呂布が、その力を示してくれないことへの焦り。


鍛冶場では、職人たちが黙々と鉄を打っていた。

「おい、この槍の穂先、少し甘いぞ! もっと叩け!」

親方が、若い職人を叱咤する。

「へい…ですが親方、こんなに急いで武具を直して、一体誰が使うんで…」

「口を動かす前に手を動かせ! 俺たちにできることは、これしかねえんだ。いつ、戦が始まってもいいように、最高の武具を用意しておく。それが、俺たちの戦だ。呂布様が、いつお立ちになっても良いようにな…」

親方の瞳の奥には、不安を振り払うかのような、職人としての意地と、主君への変わらぬ信頼が宿っていた。


夜、城内の小さな寺院には、灯火が一つ、また一つと増えていく。

それは、丁原の冥福と、そして、并州の未来を案じる民衆が、自発的に集まって捧げる、ささやかな祈りの光であった。


「…大丈夫でしょうか、呂布様は…」

幼い子供を抱いた母親が、不安そうに隣の老人に問いかける。

老人は、かつて丁原と共に戦ったという、古参の兵士だった。彼は、皺だらけの顔に、優しい笑みを浮かべて答えた。

「心配するな、おっ母さん。呂布様は、丁原様がその手で育てたお方だ。確かに、あのお方は、天を衝くほどの武をお持ちだが、その根っこにあるのは、親父殿と同じ、民を思う『義』の心よ」

老人は、遠い目をして続けた。

「わしは、見たことがある。奉先様が、まだ若かった頃、戦で傷ついた若い兵士の手を握り、自分の寝台で休ませてやったのをな。あのお方は、不器用なだけだ。今は、親父殿を失った悲しみと、我らには分からぬほどの重圧に、独りで耐えておられるのだ。だから、我らは信じて待つしかあるまい」


その言葉に、母親の顔にも、わずかに安堵の色が浮かんだ。

彼女は、そっと目を閉じ、手を合わせた。

(どうか、呂布様をお守りください…)

(そして、私達のこの暮らしを、この子らの未来を、お守りください…)


名もなき民の、ささやかで、しかし切実な祈り。

その無数の祈りが、晋陽の夜空に集まり、一つの大きな星となって、沈黙する主君のいる城を、静かに、そして力強く照らしていた。

呂布が背負うものは、家臣団の期待や、一族の未来だけではない。この地に生きる、全ての人々の生活と、そのささやかな幸福そのものであった。

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