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幕間ノ三:江東の虎、北の鬼神を想う

幕間ノ三:江東の虎、北の鬼神を想う

酸棗さんそうの陣を引き払い、南へと向かう帰路の途中。孫堅そんけんは、馬上から、乾いた中原の風に不機嫌そうに顔をしかめていた。傍らでは、腹心の将である程普ていふ黄蓋こうがい韓当かんとうらが、主君の機嫌を損ねぬよう、静かに馬を進めている。


「…くだらん」

孫堅は、吐き捨てるように言った。

「結局、袁紹の若造どもは、己の面子のために我らを集め、董卓が消えたと見るや、尻尾を巻いて逃げ帰るだけか。漢室の忠臣など、口先ばかりよ」

その声には、連合の醜態への、隠しきれない怒りと侮蔑がこもっていた。


「殿のおっしゃる通り。ですが、我らも大きな戦果を挙げました。洛陽一番乗りを果たし、伝国の玉璽ぎょくじも…」

程普が慰めるように言うが、孫堅は首を横に振った。

「物ではない。ワシが言っておるのは、人のことだ」


彼の脳裏に、二人の男の姿が浮かんでいた。

一人は、曹操孟徳。あの男の、野心に燃える瞳は好ましい。だが、滎陽での敗戦は、若さ故の焦りか。まだ、真の敵となるには早いだろう。


そして、もう一人。

あの、赤い武人。呂布奉先。


「…あれは、何なのだ」

孫堅は、誰に言うでもなく呟いた。

汜水関では、無名の関羽という男を、諸侯を前にして庇い立てる。

かと思えば、滎陽では、敗走した曹操を救うためだけに、自軍を危険に晒して董卓軍の只中へ飛び込んでいく。

全く、理解ができん。

江東で、力と知略でのし上がってきた孫堅にとって、呂布の行動は、あまりにも非合理的で、甘すぎた。


「程普よ」

「はっ」

「お前は、あの呂布という男をどう見る?」


問いかけられ、程普はしばし思案した。

「はっ。その武、まさしく古の項羽にも匹敵するやもしれませぬ。ですが、その戦いぶり、あまりに真っ直ぐすぎる。まるで、怒りに任せて牙を剥く、若い虎のよう。いずれ、老獪な狩人の罠にかかるのではないかと…」


「ふん、若い虎か」

孫堅は、鼻で笑った。

「いや、違うな。あれは、虎ではない」

彼の脳裏に、滎陽で董卓軍を蹂躙したという、あの赤い疾風の噂が蘇る。

「あれは、鬼神だ。人の理の外にある、厄災そのものよ。罠など、あの男の前では意味をなすまい。罠ごと、食い破るだけだ」


孫堅は、恐ろしいと感じていた。

同時に、羨ましいとさえ思った。

己の信じる「義」のためだけに、損得勘定を一切抜きにして、その圧倒的な力を振るうことができる。その生き方は、あまりにも純粋で、あまりにも眩しすぎた。


(だが、それ故に、天下は取れまい)

孫堅は、結論づけた。

(この乱世を制するのは、あの男のような純粋な力ではない。もっと狡猾で、もっと非情な、我らのような人間だ)


「…しかし、惜しい男よ」

彼は、遠い北の空を見上げた。并州へと帰っていく、あの赤い鬼神の姿を思い浮かべる。

「もし、あの武がワシの手にあれば…あるいは、この乱世の終わりも、そう遠くはなかったやもしれんな」


それは、叶わぬ夢。

江東の虎が、北の鬼神と、敵としてまみえたのであれば、その時、果たして己の牙は、あの神の如き武に届くのか。


孫堅の口元に、獰猛な、そしてどこか楽しげな笑みが浮かんだ。

乱世は、面白い。これほど面白い男がいるのだから。

彼は、新たな好敵手の出現に、武人としての魂を高ぶらせながら、自らが築くべき王国の礎となる、江東の地へと馬を進めた。

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