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第十四ノ二話:飛将の葛藤

第十四ノ二話:飛将の葛藤

「親父殿!あんたは悔しくないのか!」

自陣の幕舎に戻るなり、呂布は、地図を睨む丁原の背中に、絞り出すように問いかけた。

「俺たちは何のために血を流した!あんたが信じた『義』は、あの者たちの欲望の餌食になるためだったのか! これでは、犬死にと同じではないか!」


丁原は、ゆっくりと振り返った。その顔には、疲労と共に、激情に駆られる息子への、深い慈しみの色が浮かんでいた。彼は、怒りに震える呂布の肩に、武骨な、しかし温かい手を置いた。


「奉先。悔しいさ。ワシとて、はらわたが煮えくり返る思いだ。だがな、お前が今感じているその悔しさ、その怒りこそが、お前が真の『義』を持つ男である証だ。それこそが、ワシがこの并州と、そしてお前に託したかった、何よりの宝なのだ。その炎を、決して消してはならん」


丁原の、静かだが重みのある言葉に、呂布は一瞬、言葉を失った。


「だがな、奉先」丁原は、諭すように続けた。「炎は、燃やすべき時と場所を選ばねば、ただ自らを焼き尽くすだけだ。将たる者は、怒りに身を任せてはならん。虎は、たとえ飢えていても、狩りの時機を見極める。今は、その時ではない。ただ、それだけのことだ」


「だが、それでは…! 俺のこの力は、一体何のためにあるのだ! 悪を目の前にして、ただ黙って引き下がるために、俺は強くなったのではない!」


「分かっておる」丁原は、力強く頷いた。「お前の武は、天がこの乱世に遣わした、裁きのいかづちだ。いずれ、その雷を、天下に轟かせる時が必ず来る。だが、雷も、ただ闇雲に落ちるのではない。最も邪悪なものの頭上にこそ、落ちるべきなのだ」

彼は、呂布の瞳をまっすぐに見据えた。

「今は、力を蓄えよ。牙を研げ。そして、この中原の者たちの、欲望と裏切りの様を、その目に焼き付けておけ。いずれお前が、この者たちを裁く立場になるやもしれんのだ。その時のために、今はただ、学ぶのだ。人の強さも、そして、その醜さもな」


丁原の言葉は、熱くなった呂布の頭に、冷水を浴びせるようだった。そうだ、親父殿の言う通りだ。だが、その正しさが、どうしようもなく歯がゆい。

結局、俺はまだ、この親父殿の大きな掌の上で、もがいているだけの若造に過ぎないのか。

この絶対的な武を持つが故の孤独。このもどかしさを、完全に理解してくれる者はいない。

その痛烈な無力感が、彼の誇りを、そして魂を、静かに、しかし深く蝕んでいく。


幕舎に戻った呂布は、一人、相棒とも言うべき方天画戟の手入れを始めた。冷たい鉄の感触に集中することで、胸の内で吹き荒れる怒りと無力感の嵐を、無理やり鎮めようとしていた。

(この戟は、敵の陣は砕けても、人の欲望は砕けぬというのか…)


その時、幕舎の外から、来訪を告げる声が聞こえた。

「呂布将軍。平原の劉備玄徳、ご挨拶に伺いました」


(…劉備)

呂布は、その名を心の中で反芻した。

(あの蓆織りめ…この俺の最も苛立っている時に、何の用だ…)

呂布は、苛立ちと、ほんのわずかな興味をないまぜにしながら、声のした方を見やった。その瞳の奥で、虎牢関で見た、あの男の真っ直ぐな眼差しが、一瞬だけ蘇った。

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