幕間ノ二:巣立ちの風
幕間ノ二:巣立ちの風
陳宮もまた、呂布の後を追うように、慌ただしく陣幕を出て行った。その背中には、まるで勝負師のような、危険な、しかし確かな自信がみなぎっている。
一人残された丁原は、再び、ほう、と深いため息をついた。
(行ってしまったな…二人とも)
まるで、嵐が過ぎ去った後のような静けさ。
彼は、空になった酒杯を手に取り、そこに残ったわずかな酒の香りを嗅いだ。先程まで、あの無骨な息子が、ここに座っていた。
「志ある者を見捨てるは、あなたが教えてくれた道にも反するはず」
脳裏に、奉先の言葉が蘇る。
いつの間にか、あの子は、俺が教えた言葉を、そっくりそのまま俺に返すほどの男になっていた。そして、その瞳。俺の制止を振り切り、自らの「義」を貫こうとした、あの真っ直ぐで、揺るぎない瞳。あれは、もはやただの若武者のものではない。一つの軍を率い、自らの信念に命を賭ける、将の目であった。
(無茶をしおって…)
口ではそう言いながらも、丁原の心は、不思議なほどの誇らしさで満たされていた。
あの子は、俺の手を離れていく。
并州という、北方の辺境だけではない。中原という、より広く、より危険な世界へ。曹操、袁紹、そして劉備といった、数多の英雄たちが覇を競う、本当の乱世の中心へ。
寂しくない、と言えば嘘になる。
心配でない、と言えば、それもまた嘘になるだろう。
あの純粋すぎる魂が、中原の汚濁の中で傷つき、あるいは誰かの悪意に利用されるのではないか。親として、その危うさを案じずにはいられない。
(だが…)
丁原は、陣幕の隙間から、遠い西の空を見上げた。
(…それで良いのかもしれん)
あの子は、もはや俺という鳥籠の中に収まるような器ではないのだ。天翔ける龍が、いつまでも小さな池で満足できるはずがない。
陳宮という、最高の知恵者がいる。張遼という、信頼できる右腕もいる。そして、あの子自身が、自らの道を見つけようともがいている。
虎牢関で、劉備の義兄弟に助けられたと聞いた時、正直、肝を冷やした。だが、同時に思った。あの子は、独りではないのだ、と。中原には、あの子の「誠」を理解し、その背中を預けられるやもしれぬ者たちもいる。
(行け、奉先)
丁原は、心の中で、静かに息子に語りかけた。
(存分に、お前の信じる道を突き進むがいい。傷だらけになって帰ってくるなよ。だが、もし帰ってきた時には、一回りも、二回りも、大きな男になっているのだろうな)
北方の并州から吹いてきた乾いた風が、彼の頬を優しく撫でていった。それはまるで、息子が巣立っていくのを見守る父親の背中を、そっと押しているかのようであった。
連合軍の熱狂は終わり、英雄たちは散っていく。だが、この酸棗の地で生まれた、いくつかの確かな絆と、そして成長の兆しだけが、次なる時代の到来を、静かに告げていた。




