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幕間:軍師の天秤

幕間:軍師の天秤

呂布が、張遼と共に嵐のように陣幕を飛び出していく。その大きな背中を、陳宮は静かに見送っていた。傍らでは、丁原が「無茶をしおって…」と、心配そうに天を仰いでいる。


(…無茶、か)


陳宮は、内心で静かに反芻した。

確かに、常道から見れば、これは無謀極まりない行動だ。疲弊した自軍を顧みず、敵地の奥深くへ、しかも、いずれ敵となるやもしれぬ男を救うために飛び込んでいく。普通の将であれば、狂気の沙汰と断じるだろう。


(だが、あの人は、普通の将ではない…)


陳宮の脳裏に、二人の男の顔が浮かび、天秤にかけられるように揺れ動いた。


一人は、今、呂布が救いに行こうとしている男、曹操孟徳。

かつて、陳留で出会った時、その瞳には天下を覆うほどの野心が宿っていた。弁舌巧みに人を惹きつけ、目的のためなら手段を選ばぬ、冷徹なまでの合理主義。あの男の元にいれば、いずれ天下をその手にする様を、間近で見られただろう。乱世を終わらせるという大業に、自らの知略を存分に振るえたはずだ。

だが、その覇道は、あまりにも乾いている。そこには、人の情けや、義といった、不合理なものが入り込む隙間がない。連合軍の諸侯たちを、まるで使い古しの駒のように見限った、あの冷たい眼差し。陳宮は、その乾いた覇道に、自らの理想を重ねることができなかった。


そして、もう一人。今、自分の主君となった男、呂布奉先。

驚くほどに幼く、不器-用で、そして危うい。強敵を前にすれば我を忘れ、単純な挑発に乗り、人の心の機微にはあまりに疎い。将としての器量は、正直なところ、曹操の足元にも及ばないかもしれなかった。


(だが…)


陳宮は、先程の呂布の言葉を思い出していた。

『志ある者を見捨てるは、武人の義にも、あなたが教えてくれた道にも反するはず』

あの真っ直ぐな瞳。己が信じる「義」の形に、不器用なまでに拘ろうとする、純粋さ。そして、育ての親である丁原に向ける、裏切りの欠片もない絶対的な「誠」。


(これだ…)


陳宮は、静かに得心した。

曹操は、完成された「覇王」だ。彼の隣にいても、自分は数多いる駒の一つに過ぎないだろう。

だが、呂布は違う。彼は、まだ磨かれていない原石。いや、あまりに強大すぎて、誰も磨き方を知らなかっただけの、神代の至宝。


(この無謀に見える行動こそが、好機なのだ)


陳宮の頭脳は、既にこの先の盤面を読み始めていた。

「曹操を救う」という行動は、天下に呂布の「義」を示す、またとない機会となる。

「董卓軍の背後を突く」ことは、連合軍の誰にもできなかった、大きな武功となる。

そして何より、「曹操に、一生返せぬほどの大きな貸しを作る」ことができる。


(将軍のその純粋な『義』を、この陳宮の『智』で、天下を動かす最大の武器に変えてみせる…!)


それは、曹操の元で天下を取るよりも、遥かに困難で、そして遥かに価値のある大業ではないか。

あの荒ぶる神を、正しく導き、天下に「力」ではなく「義」の旗を立てる。

この陳宮の生涯を賭けるに値する、危険な、そして胸の躍るような賭けだ。


「丁原様、ご安心を」


陳宮は、不安げな主君に向き直り、静かに、しかし絶対的な自信を込めて言った。

「将軍は、ただの猪武者ではございません。そして、某も、ただ見ているだけの軍師ではありませぬ。この一手、必ずや、我らにとって最善の結果をもたらしましょうぞ」


そして陳宮も陣幕を出て、呂布を追いかけて行った。その瞳の奥には、既に滎陽の戦場の地図が、そしてその先の未来までが、鮮明に描かれているかのようであった。

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