第六十ノ二話:双璧、初陣を飾る
第六十ノ二話:双璧、初陣を飾る
白と黒――。
洛陽の瓦礫に覆われた大地を、二条の閃光が駆け抜けた。
張遼の号令一下、白馬に跨る趙雲と、黒馬に跨る飛燕。
その姿はあまりに鮮烈で、賊徒たちの動きを一瞬にして鈍らせた。
「な、何奴だ、あれは――!」
「怯むな! 構えを崩すな!」
頭目の怒号が響くが、兵卒の動揺は抑えられない。
彼らが目にしたのは、ただの騎兵二騎ではなかった。
白き疾風と黒き怒濤。二つの武威が一つとなり、抗い難い脅威となって迫り来る。
趙雲は槍を低く構え、最前列の賊兵が突き出す槍をひらりと受け流した。
その動きは、風のようにしなやかで淀みがない。
敵の突きを力で弾くのではなく、その勢いを逸らし、虚空を切らせる。
そして次の瞬間――。
彼の槍は寸分の無駄なく閃き、敵兵の腕を打ち、足を払う。
命までは奪わず、ただ武器を振るう力を的確に奪い取っていく。
「ぐっ……!」
「腕が……動かぬ!」
悲鳴と共に倒れる者たち。されど、彼らは息絶えてはいない。
趙雲の槍は、敵を殺すを目的とせず、敵陣の要を砕き、戦意を刈り取るための武であった。
彼の眼は、すでに小隊長格の男を捉えていた。
「……そこか」
白馬が疾駆し、一気に敵陣を抜ける。
男の喉元に槍の穂先が迫る――。
だが、その隙を突かんと数多の敵兵が群がった。
その刹那、嵐が爆ぜた。
飛燕の黒馬が、荒れ狂う風の如く突進する。
彼女の槍は真横に薙ぎ払われ、敵兵を盾ごと弾き飛ばした。
鎧の隙間に鈍い音を立て、穂先が肉を貫く。
「ぎゃあああ!」
「た、盾が……盾ごと砕かれただと!?」
飛燕は止まらない。
敵が密集すればするほど、彼女の槍は猛威を増す。
黒い影が渦を巻き、雷鳴の如き轟音を伴って賊徒を粉砕していく。
「許さぬ……! 帝都を穢した者どもを、一人として生かしておかぬ!」
その眼差しは怒りに燃え、槍先は悪を裁く閃光そのものであった。
彼女の槍は、情け容赦を知らぬ。賊徒を人としてではなく、駆逐すべき害悪とみなし、その悉くを薙ぎ払うための武であった。
二つの槍が、交わる。
飛燕が力をもって敵陣をこじ開け、
趙雲がその隙から指揮官を馬上より突き落とす。
趙雲が敵の気を引きつけ、
飛燕がその死角から必殺の一撃を叩き込む。
白と黒の刃は、互いの理を補い合い、寸分の狂いもなく連携していた。
張遼は後方の高台から、その光景を瞠目して見つめていた。
「……あれは……二騎ではない」
思わず声が漏れる。
「まるで一つの獣が、二つの牙を振るうが如し……!」
その言葉の通り、趙雲と飛燕は今や二つの身体でありながら、一つの魂であるかの如く戦場を舞っていた。
賊徒の中心で、頭目が怒声を張り上げた。
「臆するな! 相手はたった二人ぞ! 数で押し潰せ!」
だが、その声は震えていた。
目の前で繰り広げられるは、人の技とは思えぬ武の連携。それはもはや戦というより、一方的な蹂躙であった。
怒りと恐怖に駆られた頭目は、ついに自ら大刀を振りかざし、二人へ突撃した。
二人は言葉を交わさなかった。
ただ、視線が交わる。
瞬時に互いの役割が決まる。
趙雲が白馬を操り、風の如く先に進み出る。
大刀が唸りを上げて振り下ろされた瞬間、その刃を槍で受け、最小の動きで逸らした。
「なっ――」
体勢を崩した頭目の巨体が傾ぐ。
そこへ、嵐が突き抜けた。
飛燕の黒槍が、雷光の如き速さで突き込まれる。
時を同じくして、趙雲の槍も逆方向から閃いた。
二条の槍が、寸分の狂いもなく、頭目の胸を左右から貫いていた。
「ば、馬鹿な……」
絶望に染まった眼が見開かれたまま、頭目の体は馬上で硬直し、次の瞬間、どうと崩れ落ちた。
将を失った賊徒の軍勢は、一瞬にして瓦解した。
「うわあああっ!」
「逃げろ! もはやこれまでだ!」
武器が次々と地に投げ捨てられ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
帝都を穢した残党の群れは、瞬く間に壊滅した。
血と土埃の匂いが漂う戦場に、静寂が訪れる。
趙雲と飛燕は、馬上で向き合った。
互いの槍は赤く染まり、荒い息をついている。
しかし、その瞳には戦を制した高揚の光が宿っていた。
「飛燕殿……見事な槍であった」
趙雲が静かに告げる。
飛燕の胸にも、共に戦った歓喜が渦巻いていた。
「そなたこそ。風の如く敵を翻弄する様……実に見事であったぞ、趙雲!」
一瞬、二人の間には、戦場の熱を分かち合う絆があった。
だが――。
趙雲の瞳が、ふと曇る。
そして言葉を続けた。
「されど……そなたの槍は、あまりに苛烈にすぎる」
「……何だと?」
「その怒り、いずれはそなた自身の身を滅ぼすことになるかもしれぬ」
飛燕の表情が凍り付いた。
彼女にとって、それは到底受け入れられぬ甘さに聞こえた。
「甘いな、そなたは!」
彼女は声を荒らげた。
「賊に情けをかけてどうする! 奴らは帝都を焼いた者どもだぞ! 悪の根は、ことごとく断たねば意味がない!」
「しかし……!」
「受け流すばかりのその槍で、真に民を守れるとでも言うのか!?」
二人の声が交錯し、やがて静かに途切れた。
残されたのは、相容れぬ信念から生まれた冷たい沈黙。
その時――。
物陰から、おそるおそる民の姿が現れた。
震える声が漏れる。
「あのお二方が……」
「救い主様だ……并州の双璧様が我らを救ってくださった……!」
彼らは涙ながらに地に伏し、二人を畏怖と憧憬の眼で見上げた。
外からの称賛とは裏腹に、趙雲と飛燕は互いの顔を見ようとはしない。
戦場に吹いた風と嵐は、確かに勝利をもたらした。
だがその心には、決して譲れぬ信義の隔たりが生まれていた。
洛陽での初陣は、かくも華々しく飾られた。
しかし、その輝きの裏で、二人の間には初めての亀裂が刻まれたのである。




