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幕間:獣の高揚

幕間:獣の高揚

痛い。

焼けるように、痛い。


意識が、血の匂いと激痛の闇の中から、ゆっくりと浮上する。

黒沙は、揺れる馬車の上で、荒い息をつきながら、ぼんやりと天井の幕を見つめていた。


(俺は…生きているのか…?)


脇腹と肩に走る、肉を抉られるような激痛が、その問いに「然り」と答えていた。部下たちの必死の呼びかけと、慌ただしい足音。どうやら、あの地獄のような戦場から、命からがら運び出されたらしい。


故郷を思い出す。

全てが砂と岩に覆われ、水と食料を巡って、部族同士が殺し合うのが日常の世界。西域の果て、タクラマカン砂漠。そこで生まれた「黒沙団」にとって、力こそが全てだった。強き者が弱き者から全てを奪う。それが、唯一絶対の掟。


父も、兄も、そうやって死んだ。より強い者に、食い殺された。

だから、俺は強くなった。誰よりも強く。父を殺した男を殺し、兄を殺した部族を滅ぼし、力で全てを支配した。俺が、黒沙団の掟になった。

やがて、砂漠での殺し合いに飽きた俺は、東へと向かった。そこには、もっと豊かな土地があり、もっと多くの富があり、そして、もっと強い獲物がいると聞いたからだ。


董卓という男は、良い雇い主だった。気前よく金と地位をくれた。そして何より、俺の力を存分に振るえる「戦場」を与えてくれた。

中原の将など、所詮はひ弱な家畜だと思っていた。鎧ばかり立派で、中身は空っぽ。駆け引きや小細工ばかり弄する、臆病者の集まりだと。


だが、違った。

この地には、いたのだ。

砂漠の狼とは比べ物にならぬほどの、本物の「獣」たちが。


脳裏に、先程までの光景が焼き付いて離れない。

呂布、関羽、張飛。


呂布。あの男は、嵐だ。人の形をした、天災。その武は、もはや技ではない。理不尽なまでの、力の顕現。

関羽。あの髭の男の武は、大地だ。一撃一撃が、こちらの骨の髄まで響く、揺るがぬ大山のような重さ。

張飛。あの獣の眼をした男の武は、混沌だ。予測不能、制御不能。どこから牙を剥くか全く読めない、荒れ狂う竜巻。


一人でも、化け物。

その化け物が、三人。


(あれは…反則だろ…)

黒沙の口元に、乾いた、自嘲の笑みが浮かんだ。


そして、最後に見た、あの光景。

三人の動きが、一つになった瞬間。

呂布の覇気、関羽の冷静、張飛の狂気。

三者三様の力が、一つの意志の下に収束し、自分へと向けられた、あの絶対的な死の気配。

あれは、もはや武ではない。戦でもない。

神話で語られるような、抗うことの許されぬ、天の裁きそのものだった。


脇腹の傷が、ズキンと激しく痛む。

(小僧どもめ…)

憎悪が、心の奥底から湧き上がってくる。

(この傷、この痛み…! この屈辱…!)


だが、それと同時に、彼の魂は、奇妙な高揚感に打ち震えていた。

生まれて初めて、本気で殺されるかもしれないと思った。

生まれて初めて、己の力の限界を超えた、遥か高みにあるものを垣間見た。


(面白い…)

(面白いじゃねえか、漢の地…!)


黒沙は、再び意識の闇に沈みながら、血に濡れた唇の端を吊り上げた。

(呂布…関羽…張飛…)

(その名、覚えたぞ…)

(この借りは、必ず返す。次に会う時は、俺はもっと強くなっている。そして、貴様らの首を、この手でへし折ってやる…!)


手負いの獣は、死ななかった。

その心に、消えることのない屈辱の傷痕と、そして復讐という名の、新たな闘志の炎を刻み付けて、彼は一度、戦場から姿を消す。

再び、乱世の舞台にその姿を現す、その時まで。

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