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第五十七ノ二話:新たなる布陣

第五十七ノ二話:新たなる布陣

白く霞む吐息が、冬を告げる冷たい空気に溶けていった。

晋陽城の城門前には、数千の兵が、まるで一つの意志を持つ鋼の森のように整列していた。


鎧の擦れ合う微かな音、槍の石突が大地を打つわずかな響き――それらすらもすぐに吸い込まれるほどの、荘厳な静寂がその場を支配している。

空はまだ朝の薄闇を残し、東の地平だけが血のように紅く染まり始めていた。

旅立ちの朝であった。


その最前列に立つのは、洛陽へ赴くことを命ぜられた若き英雄たちと、猛将・張遼、そして高順であった。

彼らの顔には決意の色が深く刻まれていたが、同時に、まだ示されぬ己の「役割」への緊張感が、張り詰めた糸のように漂っていた。

兵たちは息を殺し、玉座ではなく、この戦場に立つ主君の登場を待っている。


やがて、城門楼の上に一つの巨大な影が姿を現した。

呂奉先――并州の主、飛将と呼ばれる男。

彼はこの時、父でも友でもなく、ただ漢の大将軍としての絶対的な威厳に満ちた姿を纏っていた。

その眼差しが万余の兵を射抜いた瞬間、場の空気はさらに張り詰め、凍てついた。


「……我が精兵たちよ。そして、我が并州の未来を担う者たちよ」


重く響く第一声に、誰もが自然と背筋を伸ばした。

呂布は一呼吸置くと、城門前の広場に集う全ての兵を睥睨しながら言葉を続けた。

「お前たちがこれから向かう洛陽は、董卓によって焼かれ、帝さえも見捨てた死の都だ。

だが、あの地を制する者こそ、中原を制する。――故に、我は并州の最精鋭を託す。これより、布陣を示す!」


兵たちの胸が高鳴る。

次に放たれる言葉が、誰にどのような運命を背負わせるのか。

呂布の視線がまず、長年の腹心である張遼に向いた。


「洛陽大将軍府――その総責任者として全軍を束ねるは、張文遠、お前である!」


一瞬、兵列にどよめきが走った。

張遼本人も思わず目を見開いた。予期はしていた。だが、「総責任者」という言葉の重さは、彼の想像を遥かに超えていた。


胸の奥が、熱く震えた。

並み居る将の中で自分を選び、洛陽の全てを託した主君の信頼。その重みは、死をもって応えるに足る。

張遼は深く膝をつき、腹の底から声を張り上げた。

「この命に代えましても! 洛陽を守り抜き、并州の旗を立ててみせます!」


その揺るぎない誓いに、兵士たちは「おおっ!」と地鳴りのような歓声を上げた。

呂布の顔に、わずかに満足の色が浮かぶ。

次に、その眼差しが寡黙なもう一人の腹心、高順を捉えた。


「そして、洛陽の城壁となり、民を守る盾となる城守備司令――高順、お前をおいて他にはない」


高順は静かに前に進み出ると、言葉を発する代わりに、愛用の槍の柄で自らの胸の鎧を強く打ち付けた。

ゴン――。

乾いた音が、静まり返った広場に響き渡る。

彼は深々と一礼した。

その一連の仕草に、兵たちは息を呑んだ。

言葉よりも雄弁な覚悟――それこそが高順その人であった。


呂布は力強く頷き、声を高めた。

「この二人を揺るぎなき大地とする! その上にこそ、若き者たちが躍動できるのだ!」


どよめきが、今度は期待の熱となって再び広がる。

呂布は今度は、若き夫婦たちへと視線を移した。

「参謀・徐庶、暁」


呼ばれた二人が、静かに前に進む。

「お前たち夫婦は、荒れ地を楽土に変える、この国の『礎』となれ。知をもって荒廃を治め、人心をまとめ、洛陽を蘇らせよ」


徐庶の胸に、その使命の重圧がのしかかる。最も困難な道。

だが、隣に立つ暁が静かに頷き返すのを見て、恐れは消えた。

これこそが、知者として挑むべき最高の試練。

二人は静かに、しかし力強く頷いた。


続いて、呂布の視線が趙雲と飛燕へ向けられた。

「白龍・趙雲、飛燕。お前たち夫婦は、この楽土を守る『刃』となれ。不義を断ち切り、乱を払え」


趙雲は一度目を閉じ、やがて清冽な光を宿して頷いた。

飛燕は、抑えきれぬ闘志で瞳を燃え上がらせ、強く拳を握りしめる。

「御意!」

彼女の声は、雷鳴のごとく広場に響いた。


――だがその時、見送りに来ていた民の中から「洛陽……」と恐れを帯びた声が漏れた。

「死都ではないか……」

群衆の胸に、不安がまだくすぶっていたのだ。


呂布は再び、彼らへと視線を投げかける。

「聞け、并州の民よ! 洛陽は死都ではない! あれは天下の心臓よ! 董卓が焼こうと、灰に覆われようと――その鼓動を絶やしてはならぬ!」


場にざわめきが走る。

「虎と狼は中原を食らい合っている。だが、いずれ勝った者は、必ず北を狙う。并州を狙うのだ! ならば我らはただ守るのではない! 自ら刃を取り、虎と狼の喉元に突きつけるのだ! その刃こそ――洛陽!」


最後の一語は、稲妻のように人々の胸を貫いた。

恐怖は震えに変わり、震えはやがて熱となり、熱は歓声となって溢れ出す。

「洛陽だ! 并州の刃だ!」

「我らの子らが行くぞ!」

兵も民も、心を一つにするように叫び始めた。


その熱を背に受け、呂布は最後の二人――西涼へ向かう若き夫婦へと声をかける。

「若獅子・馬超、華! お前たちは、西涼と并州を繋ぐ『絆』となれ! 孟起は武勇をもって西涼を動かし、華は并州の志を胸に、西の地に嫁ぎて橋となれ!」


馬超は胸に拳を当て、声を張り上げる。

「義父上の信を、この命に刻みました! 必ずや応えてみせます!」


華もまた真っ直ぐに父を見上げた。

「并州の娘としての誇りを胸に、孟起様と共に、西と北を結ぶ架け橋となりましょう!」


群衆にどよめきが広がった。

それは恐れではなく、熱い希望の響きであった。


呂布は大きく頷き、最後の檄を放った。

「――行け、我が子らよ! お前たちの時代を、お前たちの手で創り上げよ!」


こうして若き雛鳥たちは、洛陽と西涼へと羽ばたいた。

并州の静観は終わりを告げ、次なる時代を切り拓く大いなる旅立ちが始まったのであった。

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