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幕間:龍の吟味

幕間:軍師たちの天秤

晋陽城の城壁の上。

秋風が并州の乾いた土の匂いを運び、居並ぶ将兵たちの旗指物をはためかせている。

その喧騒の中心から少し離れた場所で、二人の男が眼下の光景を静かに見下ろしていた。

一人は、軍師・陳宮。

もう一人は、その弟子であり、今や并州の内政に欠かせぬ存在となった参謀・徐庶。


彼らの視線の先には、城門をくぐり張遼に導かれて進んでくる二つの騎馬の影があった。

一人は、黒い駿馬に跨る誇り高き姫君。

そしてもう一人、白馬に乗り背筋を伸ばしたその姿は、一点の乱れもなく、まるで磨き上げられた白銀の槍そのもののようだった。


「…ほう。噂以上か」

陳宮が、誰に言うでもなく感嘆の息を漏らした。

遠目からでも分かる。あの男の瞳に宿る曇りのない光。そして、その全身から放たれる、どこまでも静かで、しかしいかなるものにも屈せぬであろう清冽な気配。

並の武人ではない。


「あの御方が、姫君の…」

隣で、徐庶が呟いた。その声には安堵と、それ以上の、計り知れない存在を前にしたかすかな緊張が滲んでいた。


やがて二つの影が城内へと消えていくのを見届け、陳宮と徐庶は軍師府の執務室へと戻った。

部屋には、并州全土を描いた巨大な地図が広げられている。


徐庶は師のために茶を淹れながら、興奮を隠しきれないといった様子で口を開いた。

「先生。あの趙雲という男、まこと噂に違わぬ傑物と見受けました。張遼将軍に匹敵するであろう武勇に加え、あの冷静さと、姫君をお救りしたという武徳。まさに、理想の将軍ではありませぬか」

彼の分析は、理路整然としていた。

「聞けば、旧主・公孫瓚殿が滅んだ後、袁紹からの誘いを蹴って野に下ったとか。これほどの義士が味方となれば、我が并州軍の武は飛躍的に高まりましょうぞ」


それは、参謀としてあまりにも正しく、そして魅力的な評価であった。

だが、陳宮はその熱のこもった言葉を、静かに茶を一口すすることで受け流した。


「元直よ」

老獪な軍師は、ゆっくりと口を開いた。

「光が強ければ、影もまた濃い。お前の言う通り、あの男は得がたい逸材だ。だが、それ故に危うい」

彼の指が、地図の上で并州と中原の境界線をゆっくりとなぞる。

「元直よ。あの男の報告書をもう一度よく見てみよ。これほどの武を持ちながら、故郷の主である袁紹に仕えず、わざわざ我が并州へ来た。そして、自らの輝かしい経歴を隠し、ただの旅人を装う。…これほど理に合わぬ行動をする男を動かすものがあるとすれば、それは損得勘定ではない。あまりに純粋すぎる『義』の心だけよ。その槍は、一点の曇りもないが故に、一度信じた道を決して曲げることはあるまい。その義が、いつか殿の掲げる『義』と衝突せぬと、誰が言えようか」

陳宮の瞳が、怜悧な光を宿す。

「それに、あの男は『龍』だ。常山の片田舎で己の力を磨き、天に昇る時を待っていた眠れる龍。果たして、この并州という池に、いつまでも収まりきる器か…」


その指摘に、徐庶はハッとした。

自分は、趙雲をただ并州軍に加わるべき「将軍」という駒としてしか見ていなかった。だが、師は、そのさらに先、彼が呂布将軍と並び立つほどの「君主」の器を持つ可能性までをも、見抜いているのだ。

「では、先生は、彼を…」


「試すのよ」

陳宮は、きっぱりと言った。

「かつて、漢の高祖は韓信という比類なき才能を得て天下を統一したが、その強大すぎる力を恐れ、最後には切り捨てた。我らが殿に、その轍を踏ませるわけにはいかん」

二人の軍師の間に、知的な火花が散る。


徐庶は、師の真意を悟った。

「…つまり、我らが判断するのではない、と」

「その通りだ」

陳宮は、満足げに頷いた。

「趙雲をどう扱うかは、我ら軍師が決めることではない。全ては、あの呂奉先という君主の器が試されるのだ。殿は、あの龍を御せるか、あるいはその龍に喰われるか。我らは、その歴史的な瞬間を見届ける証人となるのかもしれんな」


その言葉に、徐庶は背筋が寒くなるのを感じた。

これから始まるのは、ただの謁見ではない。

鬼神と龍。二つの天賦の魂が、互いの真贋を、そしてこの国の未来を懸けてぶつかり合う、壮絶な戦いの幕開けなのだ。


陳宮は窓の外を見やり、不敵な笑みを浮かべた。

「さて、どうなることかな。あの龍の到来に呼応するかのように、飛燕様という最も予測不能な嵐までが戻ってこられた。我らの盤上の計算通りに、物事が進むと思うてはならんぞ」


二人は、これから始まる謁見の間に思いを馳せた。

果たして、鬼神と龍は、どう対峙するのか。

そして、その間に立つ燕は、どのような風を吹かせるのか。

并州の未来を左右する、運命の刻がすぐそこまで迫っていた。

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