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第五十二話:城門の真実

第五十二話:城門の真実

旅の終わりを告げるかのように、目の前に巨大な城壁がその威容を現し始めていた。并州の都、晋陽。趙雲が最終目的地として定め、そして今、飛燕が帰るべき場所。


城下に近づくにつれ、趙雲の驚きは感嘆へと変わっていった。

道は掃き清められ、畑は隅々まで耕され、黄金色の稲穂が秋風に豊かに揺れている。何より、すれ違う民の顔に乱世の影がない。子供たちの屈託のない笑い声、商人たちの威勢の良い声、そして農夫たちの額に光る汗。その全てが、この国が噂に違わぬ「楽土」であることを何よりも雄弁に物語っていた。


(素晴らしい…)

趙雲の心は、純粋な感動に満-されていた。

(この国を治める呂布将軍とは、一体どれほどの人物なのか…)

彼の期待は、今や最高潮に達していた。


隣を進む飛燕は、故郷の光景に安堵の色を浮かべながらも、どこか落ち着かない様子だった。城門が近づくにつれ、彼女の口数はめっきりと減っていく。趙雲に自分の素性が知られてしまうことへの気恥ずかしさと不安が、その小さな胸の中で渦巻いているのだろう。その初々しい様子に、趙雲は思わず笑みを漏らしそうになった。


やがて、一行は巨大な晋陽の城門へと到着した。

城壁の上には寸分の乱れもなく兵士が立ち並び、その鎧は磨き上げられ、槍の穂先は秋の日差しを浴びて鋭く輝いている。その練度の高さは、趙雲がこれまで見てきたどの軍勢よりも上であった。


屈強な門番たちが二人の前に進み出る。その隊長らしき男が、趙雲の武装した姿を一瞥し、身分を尋ねようと口を開いた。趙雲もまた、馬上から静かに名乗ろうと息を吸う。

だが、その言葉は、門番たちの驚愕に満ちた叫びによって遮られた。


「ひ、飛燕様!」


隊長をはじめとする門番たちが、その場にどっと膝をついたのだ。その顔には畏敬と、そして安堵の色が浮かんでいる。

「ご無事で何よりにございました! 殿も、皆様も、どれほどご心配されていたことか!」


「……様……?」

趙雲は、隣に立つ少女の顔を信じられない思いで見つめた。

門番たちが、まるで君主を迎えるかのようにひれ伏している。そして「殿」という言葉。

旅の道中で心を通わせ、時には子供のように笑い、時には武人として魂をぶつけ合った、あの「飛燕」と名乗る武芸者が。

この国の、ただならぬ身分の出であることは、もはや疑いようもなかった。

まさか、あの天下無双と謳われる鬼神・呂布と、縁のある者だというのか。

彼の、常に冷静沈着な思考が、一瞬、完全に停止した。


その視線に射抜かれ、飛燕は全身の血が沸騰するかのような熱を感じた。

「だ、黙りなさいっ! な、何を大袈裟なことを言っているの!」

頬を林檎のように真っ赤に染め、照れ隠しに門番たちを叱りつける。だが、その声はいつもの嵐のような覇気とは似ても似つかぬ、鈴を転がすように高く、そして恥ずかしさに震えて上ずっていた。

必死に平静を装おうとするその姿は、猛々しい燕ではなく、ただただ息を呑むほどに可憐な、一人の少女のものであった。


趙雲の頭の中は混乱の極みにあった。

だが、その混乱は次の瞬間に、背筋が凍るような戦慄へと変わった。

城門の奥から一騎の武者が、まるでこの瞬間を待ち構えていたかのように馬を駆って現れたのだ。

その男の武骨な鎧、背に負った長大な槍。そして何より、その全身から放たれる猛将の気配。

并州軍の重鎮であることは、一目で分かった。


「おお、飛燕様! ご無事でしたか! 殿にご報告せねば!」

その猛将――張遼は、まず飛燕の無事を喜ぶと、次に、まるで今初めて気づいたかのように趙雲に視線を向けた。

「…む、こちらは?…これはこれは、常山の趙子龍殿ではありませぬか! 噂はかねがね! いやはや、このような所でお会いできるとは奇遇ですな!」


その、あまりにも芝居がかった、しかし人の良い笑顔。

あまりにも完璧な、偶然の出会いの感動。

その瞬間に、趙雲の頭の中で全てのピースが、一つの恐るべき絵図となって繋がった。


自分の并州入りは、筒抜けだった。

この張遼の出迎えも、全ては、あの呂奉先の掌の上。

自分は試されていたのだ。この并州の地に足を踏み入れた、その瞬間からずっと。


(では、彼女との出会いも…? いや、違う)


趙雲の脳裏に、旅の道中での彼女の姿が鮮やかに蘇る。

決闘の後に見せた、一点の曇りもない武人としての敬意。

焚火の前で語った、己の誇りと孤独。

そして何より、今、隣で恥じらいに頬を染め、必死に平静を装う、あの初々しい姿。

あれが、芝居であるものか。

(この姫君もまた、何も知らずに、ただ魂のままに俺と出会ったのだ。俺と同じように…いや、あるいは、俺以上に、この状況に戸惑っているのかもしれん)


彼女もまた、父という巨大な掌の上で踊らされていたに過ぎない。

趙雲は、飛燕に対して抱きかけた一瞬の疑念を完全に振り払うと、恐怖ではなく、計り知れない君主の器の大きさに、武人として純粋な戦慄と、それを上回るほどの感嘆を覚えた。


(…恐れ入った)

彼の唇から、声にならない声が漏れた。

自分は、一体、どれほど巨大な存在を値踏みしようとしていたのか。


「さあ、お二人とも、お疲れでしょう。殿がお待ちかねですぞ」

張遼は、人の良い笑みを崩さぬまま二人を城内へと導いた。

趙雲は、もはや反論する言葉もなかった。

これから始まるであろう、あの鬼神との対面。

それはもはや、自分が相手を値踏みする場ではない。

この趙子龍の魂が、あの偉大なる君主に仕えるに値するかどうかを、試される場なのだ。


彼の魂は、忠誠を誓うべき主君をすでに見つけたと確信し、燃え上がっていた。

武者震いが、止まらなかった。

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