第四十七ノ二話:風の介入
第四十七ノ二話:風の介入
同じ頃、并州北部の辺境を、一騎の白馬が駆けていた。
乗っているのは趙雲。彼は、呂布という人物をさらに深く知るため、晋陽の都を目指す前に、あえてこの法の行き届きにくいとされる辺境を巡っていた。
君主の真価は、都の華やかさではなく、最も都から遠い土地に住まう民の顔にこそ現れる――それが、彼の揺るぎない信念であったからだ。
そこで彼が見たのは、中央と変わらぬ、驚くべき光景であった。
道は掃き清められ、村々は活気に満ちている。出会う民の顔に、他の地で見てきたような乱世の疲弊の色はない。
噂は、真実だった。この并州は、確かに「楽土」と呼ぶにふさわしい地であった。
(…素晴らしい。これほどの統治を、あの呂布将軍が…)
彼の心は、日に日に、この并州という国とその君主への期待に満たされていった。
その日、彼が馬を進めていた谷あいの道で、遠くの村から一本の黒煙が立ち上っているのが見えた。
「あれは…!」
穏やかな并州の風景には、あまりにも不釣り合いな戦乱の狼煙。
楽土の噂とは違う乱世の現実が、まだこの地の片隅にも残っていることを知る。
彼の心に、迷いは一切なかった。
「義を見過ごすわけにはいかぬ!」
彼は誰に命じられたわけでもなく、ただ自らが信じる「義」のために、白馬を全速力で走らせた。
白龍と呼ばれた彼の愛馬が、まるで一陣の風となって大地を駆ける。
やがて村に到着した彼が目にしたのは、予想だにしなかった光景だった。
山賊たちがいる。民家は燃え、村人たちは恐怖に怯えている。
だが、その山賊たちは、一方的に略奪しているのではない。
一人の、まるで嵐のような若い女武者によって、逆に、赤子の手をひねるように蹴散らされていたのだ。
趙雲は、思わず馬を止め、息を呑んだ。
助けに入る必要性を、一瞬、忘れてしまうほどに。
その光景は、あまりにも異様で、あまりにも美しかった。
嵐の中心にいるのは、まだ年端もいかぬであろう一人の少女。雪のように白い肌、柳のようにしなやかな肢体。旅の汚れをまとった質素な服を着てはいるが、その顔立ちは、宮殿に咲くどんな牡丹よりも気高く、月光の下で咲く白蓮よりも清らかに見えた。長い黒髪が、風と彼女自身の動きに煽られて、まるで墨絵のように宙を舞っている。
だが、その可憐な姿とは裏腹に、彼女が振るう槍は、荒れ狂う竜巻そのものであった。
型もなければ、定石もない。大地を蹴る踏み込みはしなやかな黒豹のようで、そこから放たれる突きは空を裂く稲妻のように鋭い。馬上で大きく身を反らし、遠心力を利用して薙ぎ払われる一撃は、巨木をもなぎ倒す暴風だ。
その一撃一撃には、天賦の才としか言いようのない、圧倒的なまでの力が宿っていた。
屈強な山賊の盾が、まるで枯れ葉のように砕け散る。人の身体が、まるで紙人形のように宙を舞い、噴き出した血飛沫が夕陽を浴びて紅の宝石のようにきらめいた。
(なんだ、あのおなごは…)
危険だ。だが、それ以上に、美しい。
血と炎と悲鳴が渦巻く地獄絵図の中で、彼女だけが、まるで天女が舞い降りたかのように、気高く、そして神々しいまでの輝きを放っていた。
その白い頬を汚す返り血すら、まるで白磁に散った紅一点の絵の具のように、彼女の凄絶な美しさを際立たせている。
彼の、常に冷静沈着な魂が、初めて味わう激しい震え。
それは恐怖ではない。畏怖だ。
そして、自分と全く質の違う「武」の極致に対する、武人としての純粋なまでの興奮であった。
彼は、その嵐の中心で歓喜の舞を舞う一人の少女から、目が離せなくなっていた。
白き龍は、ついに、自らの魂を揺さぶる「嵐」と、出会ってしまったのだ。




