第八話:綺羅星と泥中の華
第八話:綺羅星と泥中の華
反董卓の旗の下、酸棗の地に集結した諸侯たちの陣営は、まさしく綺羅星の如き壮観であった。冀州の袁紹、南陽の袁術、北平の公孫瓚、長沙の孫堅…色とりどりの軍旗が林立し、磨き上げられた鎧が陽光を反射する。漢室を救うという大義名分が、これほどの熱狂を生むとは。并州の兵士たちは、その光景に圧倒されていた。
しかし、呂布はそのきらびやかな光景の裏に漂う、胡散臭い空気を感じ取っていた。四世三公の名門、袁家を筆頭とする諸侯たちが、成り上がりの地方官吏に過ぎない丁原に向ける、隠微な侮蔑の視線。
(これが…天下の諸侯か。口では綺麗事を並べても、腹の中では何を考えているか分からん)
「おお、丁原殿、そして飛将・呂布将軍! よくぞ参られた!」
ひときわ大きな、しかしどこか空々しい声で一行を迎えたのは、今回の連合軍の中心人物と目される、袁紹本初であった。彼は、名門の出であることを誇示するかのような立派な鎧に身を包み、自信に満ちた笑みを浮かべている。
呂布は、その値踏みするような視線と、上から目線の物言いに、早くも強い反感を覚えた。(この男の瞳には、『誠』の欠片も見えぬ…ただ、己の野心と見栄しか感じられん…)
続いて現れた袁術公路の、あまりにも無礼な物言いに、呂布の眉が怒りにぴくりと動いた。握りしめた方天画戟の柄が、ギリリと音を立てる。丁原が鋭い目線で制した。呂布は、深く息を吸い込み、燃え上がる怒りを辛うじて腹の底に押し込めた。(これでは、董卓と何が違うのだ…! 親父殿は、なぜこのような者たちと手を組まねばならんのだ…!)
そんな、見栄と打算が渦巻く綺羅星たちの陣営の中で、呂布の注意を引く一団がいた。他のきらびやかな陣とは対照的に、使い古された質素な武具。しかし、その中心に立つ男には、不思議な、人を惹きつけるような徳の匂いが感じられた。そして、その傍らに控える二人の男。一人は、長く美しい見事な髭を蓄え、その鋭い双眸は、あたかも鳳凰の如き威厳を湛えている。もう一人は、まるで黒豹のように精悍で、その全身から、抑えきれないほどの猛々しい気が発せられていた。義兄弟の契りを結んだ、劉備玄徳、関羽雲長、張飛翼徳の三人であった。
彼らは、公孫瓚の客将として参加していたが、その出自の低さゆえか、他の諸侯からはほとんど相手にされていなかった。まるで、華やかな宴の隅で、泥にまみれたまま咲く華のようだ。しかし、呂布は、彼ら三人が放つ独特の「気」に、何か特別なものを感じ取っていた。特に、関羽と張飛。彼らは、そこらの諸侯配下の将とは明らかに格が違う。そして何より、彼らの瞳には、袁紹や袁術のような濁りがなく、どこか澄んだ、一本筋の通った「何か」を感じさせた。
(あの者たち…袁紹や袁術とは、明らかに違う…あの眼は、本物の武人の眼だ…)
やがて軍議が始まるという時、呂布と陳宮が本陣の幕舎へ向かって歩いていると、向こうから一際規律の取れた一団がやってきた。中心にいるのは、小柄ながらも精悍な男、曹操孟徳であった。
すれ違う瞬間、曹操の鋭い目が、呂布の隣に立つ陳宮の姿を捉え、「ん?」と僅かに眉をひそめた。何かを思い出すかのような、いぶかしげな表情。だが、陳宮はそれに気づかぬふりをして、平然と前を見据えたまま歩き続けた。曹操は、一度だけ振り返って陳宮の後ろ姿を見つめたが、やがて興味を失ったかのように、自らの席へと向かっていった。
軍議の席で、最初の攻略目標として、董卓軍の猛将・華雄が守る汜水関が定められた。
袁術配下の兪渉、韓馥配下の潘鳳が立て続けに討ち取られ、諸侯たちが押し黙る中、静かに進み出たのは関羽であった。
「それがしが、参りましょう。華雄の首、必ずや斬ってご覧に入れまする」
しかし、袁術はあからさまに嘲笑した。
「貴様は何者だ? 肩書きもない、一介の蓆織り(むしろおり)の輩ではないか! この場にふさわしくないわ、下がれ!」
その時だった。
「待たれよ!」
低い、しかしその場の誰もが無視できない、強い響きを持った声が上がった。呂布であった。彼は、冷ややかな視線で袁紹と袁術を一瞥すると、言った。
「身分が低いだと? 戦場において、家柄や身分が何ほどのものか! 重要なのは、ただ実力のみ! あの男の眼を見よ! あれは、濁りのない、真の武人の眼だ! その内に秘めたる『義』の輝きは、貴殿ら綺羅星には見えぬのか! それとも、貴殿らは、己の保身ばかり考え、真に董卓を討つ気概もない、ただの腰抜けの集まりか!」
呂布の痛烈な言葉に、一座は水を打ったように静まり返った。彼の言葉は、袁紹たちの傲慢さへの反発だけでなく、泥の中から咲き出でんとする華のような、劉備たちの「本物の義」への共感と、それを理解しない者たちへの強い憤りが込められているように感じられた。
関羽は、驚いたように呂布を見た。張飛も、目を丸くしている。劉備は、呂布に向かって静かに、しかし深く頭を下げた。
曹操の助け舟もあり、関羽の出陣が認められた。彼が、温められた酒が冷めるよりも早く、見事に華雄の首級を挙げて戻ってきた時、諸侯たちの驚きは、今度は呂布への賞賛の声へと変わった。
「さすがは飛将・呂布将軍! 人を見る目も確かであったか!」
呂布は、そんな賞賛の声にも表情を変えず、ただ、戻ってきた関羽の顔をじっと見つめていた。(やはり、ただ者ではなかったか…あの男、そしてあの義兄弟…彼らの『義』は、本物だ。俺が信じるべき『誠』の道も、あるいは彼らのようにあるべきなのかもしれん…)
この汜水関での一件は、呂布と劉備三兄弟という、本来ならば交わるはずのなかった者たちの間に、奇妙な、しかし確かな繋がりを生むきっかけとなった。呂布にとって、この連合軍は失望の連続であったが、同時に、乱世の中で真に信じるべき「価値」とは何かを、改めて問い直す機会ともなっていた。連合軍は、ついに汜水関を突破した。しかし、その先には、天下無双の要害、虎牢関が口を開けて待ち構えている。




