第四十ノ四話:三つの未来
第四十ノ四話:三つの未来
呂布が、娘・暁と参謀・徐庶の婚約を認めた――その報せは、まるで長い冬の終わりを告げる春一番のように、瞬く間に晋陽城を駆け巡った。
罪人という過去を背負いながらも、その揺るぎない知略と忠誠で主君の絶対的な信頼を勝ち取った若き軍師。そして、剛勇の父をも説き伏せた聡明な姫君。二人の物語は、城下の酒場や市場で語り継がれ、やがて楽府の歌となって子供たちにまで口ずさまれた。それは、戦乱に疲弊した人々の心を温める、束の間の、しかし確かな光であった。
そして、この城内を満たす温かい祝賀の空気は、昨年の祝宴で静かに芽生えていたもう一つの縁談を、ついに満開の花へと導くための、最高の舞台を整えた。
祝宴の熱気が冷めやらぬ数日後――。
呂布は、西涼からの使節団を再び謁見の間に丁重に招いた。玉座からゆっくりと立ち上がり、その手には自らが力強い筆跡で認めた一通の書状が握られている。彼は、堂々たる威厳をもって西涼の老将へとそれを差し出した。
「我が娘・暁と徐庶の婚約が整った今こそ、もう一つの縁を固める好機であろう。ついては、三女・華と貴殿の若君・馬超殿との縁も、これと併せて正式なものとしたい。この書状を、我が婿となる男へ、そして我が義兄弟となる馬騰殿へ、確かに渡していただきたい」
その声には、君主としての厳かさと、娘を嫁がせる父親としての温かみが同居していた。さらに、呂布は陳宮に目配せをし、もう一通の書状を手渡させた。
「こちらは許都の曹操公へ宛てた、我が『大将軍』の名を記した通行許可証だ。貴殿らが無事に故郷へ帰れるよう、道中の安全を保障させよう。これがあれば、長安の夏侯惇とて、無下には扱えまい」
その、あまりにも手厚く、そして力強い配慮。数ヶ月に及ぶ長旅の苦難が、この瞬間に報われた。老将の目から、熱いものが込み上げてくる。彼は、震える手で二通の書状を恭しく受け取ると、その場に深く膝をついた。
「おお…殿! これほどの栄誉とご配慮、痛み入ります! 我が主・馬騰も、若君も、必ずや天にも昇る心地で喜びましょうぞ!」
并州と西涼は、もはや単なる軍事同盟の枠を超え、決して裏切ることのない血の絆で結ばれた。その事実は、この日、天下にいる全ての者たちの知るところとなったのである。
――西暦一九八年、春。
并州の雪解け水が大地を潤し、若草が芽吹く頃。
大将軍の通行許可証を携えた使者がもたらした吉報に、西涼・金城は熱狂の渦に包まれた。
馬騰は息子・馬超の手を強く握り、「よくやった、超よ! これで我が馬家も安泰だ!」と少年のように笑い、馬超もまた遠き并州の愛しい人を思って、その頬を誇らしげに紅潮させた。
そして、同じ頃。北の都、晋陽でも――。
暁と徐庶の、ささやかだが、どこまでも温かい祝言の儀が執り行われていた。父・呂布の前で、緊張した面持ちで杯を交わす二人。暁は幸せそうにはにかみ、徐庶は晴れやかな眼差しでそれに応える。その微笑みの奥には、過去の苦難を乗り越えた者だけが持つ、静かな誇りと、未来への揺るぎない誓いが宿っていた。
だが、その華やかな祝宴の片隅で、一人、杯を黙々と傾ける少女がいた。次女、飛燕である。
姉と妹の幸せは、嬉しい。嘘ではない。だが、その光が眩しければ眩しいほど、己の心の内にぽっかりと空いた穴を、冷たい風が吹き抜けていくのを感じるのだ。
以前の祝宴では、そのやり場のない想いをただ酒で紛らわすことしかできなかった。だが、数ヶ月の時を経て、今の彼女の心境は、わずかに変化していた。諦めにも似た焦燥感は、やがて、内なる闘志へとその姿を変え始めていたのだ。
(ならば、行くしかないのかもしれない…)
彼女は、杯に残った酒を一気に呷ると、静かに立ち上がった。
(この城は、姉様たちにとっては帰るべき場所。でも、今の私にとっては、あまりに狭い鳥籠でしかない。この并州の外には、まだ見ぬ強者がいるはずだ。父上が常山の地で討ち取ったという、顔良・文醜ほどの猛者が…)
その瞳には、もはや物憂げな光はない。代わりに宿っていたのは、籠の中の燕が、まだ見ぬ嵐へと想いを馳せ、いつか飛び立つ日を窺っているかのような、烈しく、そしてどこまでも自由な光であった。
その、これまでとは違う決意に満ちた横顔を、父である呂布だけが、驚きと、そして一抹の寂しさが入り混じった、複雑な目で見つめていた。
北の并州と西の西涼。二つの地で同時に上がった祝賀の狼煙は、呂布という君主の下に、次代を担う二対の翼――知の徐庶・暁と、武の馬超・華――が揃ったことを天下に告げる、力強い宣言となった。その盤石の布陣は、中原で覇を競う者たちにとって、もはや無視できぬ、巨大な脅威の誕生を意味していた。