第三十八ノ二話:父のまなざし
第三十八ノ二話:父のまなざし
祝宴が終わり、人々が寝静まった後。
呂布は、一人、自室の窓辺に立ち、静かに月を見上げていた。
今日の出来事を振り返り、并州の未来が盤石になりつつあることに、君主として静かな満足感を覚える。
西涼との絆は、華の嫁入りによって、もはや血の誼となった。これで西の憂いは完全に消えた。嫁ぐ娘への一抹の寂しさはあるが、それも父親としての幸せな痛みだ。
そして、参謀、単福。あの男の知略は、もはやこの并州にとって不可欠な武器。正式な参謀として、あの男を認めた自らの判断に間違いはない。
だが、君主としての満足感が満ちる一方で、呂布の心には、別の、もっと個人的な感情が、暗い影を落としていた。
宴の席で見た、暁と単福が一瞬だけ視線を交わした光景が、脳裏から離れない。
その瞬間、呂布の表情から君主の顔が消え、一人の父親の、険しい顔つきに戻っていた。
単福の「才能」は認めた。
だが、彼の「過去」…友の仇を討つためとはいえ、国の法によらず、自らの手で人を殺めたという事実は消えない。
(軍の道具として使う分には良い。だが、我が最も大切な娘、暁の隣に立つ男として…?)
呂布の脳裏に、血の海に倒れていた張譲の姿が蘇る。
あの時、俺は守れなかった。己の驕りが、最も大切な家族の一人を死なせてしまった。あの無力感と絶望を、二度と味わうものか。
(民を守り、国を治めるために、俺は法を定めた。法こそが、この并州の新たな秩序となる。だが、単福は、その法を、己の感情で踏み越えた過去を持つ男だ)
それは、君主としての、譲れぬ一線であった。
(暁は、いずれこの国の法を作り、民を導く立場になるやもしれん。その娘の隣に、かつて法を破り、私怨で剣を抜いた男を置くわけにはいかぬ)
この乱世だ。いつ、誰が、裏切るとも知れない。暁には、一点の曇りもない、確かで安らかな道を歩んでほしい。自分のように、大切なものを失う痛みなど、決して味わってほしくないのだ。
その、娘を深く愛するが故の恐怖心が、彼の心を頑なにする。
(俺は、もう誰も失いたくない…)
そして、もう一つ。一人だけ浮かない顔をしていた、次女・飛燕の姿も気にかかる。
強すぎるが故の、あの孤独。いずれ、あの娘にも、その槍を受け止めてくれるような、器の大きな男を見つけてやらねばなるまい。
娘たちの幸せを願う心と、国を守る君主としての立場。
その間で、呂布は新たな、そしてより複雑な悩みを抱えていた。
(単福…あの男、決して暁に近づけさせてはならん)
彼は、夜空に浮かぶ月に、静かに、そして固く、そう誓うのであった。




