第三十四話:因縁の終焉
第三十四話:因縁の終焉
旗は上がり、戦端は開かれた。
呂布が動く。
それは、もはや騎馬隊の突撃ではなかった。
呂布という一個の魂が引き起こした、抗うことすら許されぬ、巨大な赤い津波。彼が率いる騎兵隊は、もはや個々の兵士ではない。呂布の覇気という嵐に巻き上げられ、一つの巨大な破壊の意志と化した、神の鉄槌そのものであった。
兵士たちが、人の形を失っていく。
赤兎が駆ける軌道上に存在する全てのものは、ただの障害物だった。槍衾は穂先ごとへし折られ、分厚い盾は木っ端微塵に砕け散り、屈強な兵士たちの肉体は、まるで腐った果実のように弾け飛ぶ。
呂布は、その地獄絵図の中心で、ただ静かに、前だけを見据えていた。
彼の視線は、無数に群がる雑兵などにはない。ただ一点、恐怖と怒りに顔を引きつらせ、それでもなお、武人としての虚勢を張ろうとする、あの男の姿だけを捉えていた。
「呂布ゥゥゥウウウッ!」
ついに、呂布は黒沙の目前に到達した。
その瞬間、周囲の兵士たちの動きが、ぴたりと止まった。まるで示し合わせたかのように、両軍の兵士たちは武器を下げ、二人の英雄が織りなす、伝説の始まりを目撃するために、ただ息を殺して円陣を作った。
戦場の喧騒が、嘘のように消え失せる。
黒沙は、漆黒の甲冑を軋ませ、その手には大地も断つ巨大な鉄棍。
対するは、名馬・赤兎にまたがる呂布。美しい鎧に陽光が差し、方天画戟は銀白に輝く。
「来たか、呂布!」
黒沙の声には、憎悪と、そしてそれ以上の、好敵手と再会した喜悦がこもっていた。
「虎牢関の時より、良い眼をするようになったじゃねえか! だが、牙の抜けた狼に、この俺が止められるかよ!」
「貴様の牙など、とうに折れている」
呂布は静かに応じた。「虎牢関の決着を、今ここでつけるぞ!」
黒沙が吼えた。大地を蹴り、その巨体が呂布めがけて疾走する。振り下ろされる鉄棍は、もはやただの質量ではない。黒沙の、復讐に燃える二年間の全てが込められた、必殺の一撃。
ゴォォォンッ!
方天画戟と鉄棍が激突し、鼓膜を破るかのような轟音と共に、火花が舞った。
幾合もの打ち合いが繰り広げられる。
黒沙の一撃は、虎牢関の時よりも、明らかに速く、そして重くなっていた。呂布は、赤兎を翻し、その猛攻をいなし続ける。
(こいつ…!さらに力を増したか!)
黒沙もまた、呂布の変貌に驚愕していた。
(違う…! あの時の猛々しさがない! だが、その分、まるで底なしの沼のように、俺の力が吸い取られていく…!)
黒沙は、一歩一歩呂布の間合いへ肉薄し、荒々しい剛力で押し切ろうとする。
だが呂布は、もはやただ強いだけの武人にあらず。張譲の死を経て、民と共に土を耕した彼の武には、驕りはない。
黒沙の重い鉄棍を逆手に取って、馬を躍らし懐に入り込み、方天画戟の月牙が黒沙の肩鎧を裂く。
「ぐっ…!」
鮮血が飛び散る。だが、黒沙は歓喜に顔を歪めた。
「そうだ、それでこそ呂布よ! それでこそ、俺が喰らうにふさわしい!」
傷の痛みすら力に変え、彼の動きはますます切れを増す。
だが、呂布の顔には一切の揺らぎはない。
彼は黒沙の連撃を利用し、その足場を崩して、一瞬の隙を作り出す。そして、今度は呂布から仕掛けた。
方天画戟が、静かに、そして美しく舞う。
それは、怒り任せの猛攻ではない。相手の力の流れを読み、呼吸を盗み、急所だけを的確に、そして無慈悲に狙う、洗練され尽くした「将」の武。
戟の月牙が、黒沙の鎧の継ぎ目を的確に捉え、その脇腹を浅く、しかし深く切り裂く。
石突が、鉄棍を握るその手首を打ち据え、骨の砕ける鈍い音が響く。
変幻自在の攻撃に、黒沙はもはや、防御することすらできなくなっていた。
「お、のれ…!」
追い詰められた獣が、最後の、そして最も得意な牙を剥く。
黒沙は、起死回生を狙い、大きく後方へ飛び退くと、地面の乾いた土を、鉄棍で力任せに巻き上げた!
砂塵が舞い上がり、呂布の視界を覆い隠す。
虎牢関で、呂布を、そして三英雄を、あと一歩まで追い詰めた、あの卑劣なる「目潰し」。
悪夢の再現。
砂煙の向こうで、黒沙が狂気の笑みを浮かべるのが見えた。
「もらったぞ、呂布ゥ!」
砂煙を突き破り、必殺の威力を込めた鉄棍が、無防備なはずの呂布の脳天めがけて、振り下ろされた!