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幕間:猛将の牙

幕間:猛将の牙

闇の中を、我ら并州騎馬隊は、まるで一つの影のように疾駆していた。

月明かりすらない夜の山道。聞こえるのは、馬の荒い息遣いと、鎧の擦れる音だけだ。


(…本当に、この道で合っているのか)


内心で呟きながらも、(それがし)は手綱を握る手に力を込めた。

後方の本陣から、あの単福という書生が示してきたのは、地図上に引かれた、たった一本の線。

『敵の別働隊、必ずやこの道を通ります。この地点にて、迎え撃たれたし』

その言葉だけを信じ、我らは主戦場から離脱し、この暗闇の中を駆け続けている。


部下たちの間に、かすかな動揺が広がっているのが肌で分かる。

「将軍…本当に敵など…」

「黙れ」

某は、短く制した。

「我らは、殿の命令に従うのみ。そして、殿は、あの書生を信じられた。ならば、我らもまた、信じるまでよ」


そうは言ったものの、この張文遠の胸にも、一抹の不安がなかったわけではない。

あの若い書生。確かに、ただ者ではない気配はあった。だが、これは戦場だ。机上の算段通りに、物事が進むほど、甘い世界ではない。

もし、これが奴の思い過ごしであったなら…。

いや、考えるな。今は、ただ、進むのみ。


やがて、地図に示された地点――両側を切り立った崖に挟まれた、一本の隘路(あいろ)――に到着した。

「全軍、馬から下り、息を殺せ! 何者も声を出すな!」

我らは、獣のように崖の陰に身を潜め、闇に溶け込んだ。


息の詰まるような沈黙が、時を刻む。

まだか。

まだ来ないのか。

焦りが、じりじりと心を蝕み始めた、その時だった。


遠くの闇の中に、微かな光が、一つ、二つと灯った。松明の明かりだ。

そして、それに続く、人の声と、馬の蹄の音。

来た…!


某の隣で、若い兵士がごくりと唾を飲む音が、やけに大きく聞こえた。

敵の数は、およそ千。油断しきった足取りで、我らが潜むこの死地へと、のうのうと足を踏み入れてくる。

あの書生の予測は、寸分の狂いもなかった。


(…恐ろしい男よ)

某は、あの若者の顔を思い浮かべ、内心で戦慄した。


敵の隊列の半分が、隘路に入りきった。

今だ。


某は、音もなく立ち上がると、愛用の槍を、月なき空へと高く突き上げた。

それが、合図だった。


「―――かかれぇっ!」


某の咆哮を皮切りに、三百の并州騎兵が、一斉に鬨の声を上げ、崖の上から、無防備な敵の側面へと雪崩れ込んだ!


「な、なんだ!? 敵襲! どこからだ!」

「罠だ! 罠にはまったぞ!」


奇襲を受けた敵の別働隊は、完全に不意を突かれ、大混乱に陥った。狭い隘路では、隊列を組み直すことすらままならない。

そこへ、某は、狼の(かしら)として、真っ先に躍り込んだ。


「并州張遼、一番槍!」


槍が一閃するごとに、敵兵の首が飛ぶ。突き込めば、鎧ごと肉を貫き、薙ぎ払えば、数人の敵がまとめて血の海に沈む。

戦は、もはや蹂躙だった。

某に続く并州の狼たちもまた、飢えた獣のように、混乱する敵兵に次々と襲いかかり、その牙を突き立てていく。


敵将らしき男が、某の姿を認め、必死の形相で斬りかかってきた。

「遅い!」

その刃を槍の柄で受け流し、返す切っ先で、喉笛を正確に貫く。


戦闘は、瞬く間に決した。


「…狼煙を上げろ」


部下にそう命じながら、某は、血振りをした槍の穂先を見つめた。

(…書生、いや、単福殿。これが、まことの参謀の働きというものか)

(だが、これだけの舞台を整えてもらったのだ。あの御方が負けるはずがない)

遠い主戦場で、今まさに最強の矛を振るわんとしているであろう、我が主君の姿を思い浮かべる。


高く打ち上げられた狼煙が、夜空を赤く染め上げた。

それを見上げながら、某は槍を高々と掲げた。


「残敵の掃討は任せる! 残る者は、某と共に主戦場へ戻るぞ! 殿の勝利を、その目に焼き付けるのだ!」


猛将の瞳に、主君への絶対的な信頼と、勝利への確信の炎が、赤々と燃え上がっていた。

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