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幕間:西涼の祝賀

幕間:西涼の祝賀

呂布たちが、関中の山中で、見えざる敵意と対峙していた、まさにその頃。

北の都・晋陽は、かつてないほどの華やかな祝賀ムードに包まれていた。


西涼の太守・馬騰から遣わされた、丁重な使節団が、数ヶ月に及ぶ苦難の旅路の末、ようやく到着したのだ。

長安に巣食う李傕・郭汜の狼どもを避けるため、彼らが選んだのは、地図にもない道を行く北方の迂回ルート。言葉も通じぬ異民族の小部族との小競り合いを幾度となく乗り越え、人の背丈ほどもある雪が積もる険しい山々を越え、彼らはその身に幾多の傷を負いながらも、主君の想いをこの北の地まで届けた。その顔に深く刻まれた疲労と、それでもなお任務を果たしたという誇りが、彼らの覚悟のほどを物語っていた。


彼らが献上した結納の品々は、并州の民の度肝を抜いた。

陽光を浴びて神々しく輝く、三百頭もの西涼の駿馬。その筋肉質な体躯は、一頭一頭が戦場を駆けるための生きた武具であった。雪のように白く、絹のように滑らかな毛皮の山。そして、磨き抜かれ、夜の灯りの下で神秘的な光を放つ、美しい玉石の数々。

それは、単なる贈り物ではない。西涼という国が、この縁談にどれほどの誠意と期待を寄せ、并州と共に未来を歩む覚悟があるかを、何よりも雄弁に物語っていた。


城内で開かれた祝宴の席。

主君・呂布の名代として、軍師・陳宮が、使節団を丁重にもてなしていた。

「使者の皆様方、長旅、まことにご苦労であった。皆様方が命がけで繋いでくださったこの絆、我が主君・呂布も、必ずや万感の思いで受け止めましょう」

陳宮は、まず、彼らの労を深く、そして心から労った。


「もったいなきお言葉」使者の長である老将は、目に涙を浮かべた。「我が主・馬騰は、申しておりました。『呂布将軍は、我が息子・孟起に、ただの武ではない、真の君主の道を示してくださった。この御恩、生涯忘れじ』と。この程度の苦労、その御恩に比べれば、物の数ではございません」

老将の言葉に、陳宮は穏やかに微笑み返した。

「いえ。馬超殿は、元より類まれな器をお持ちでした。我が主君は、その器に、ほんの少しばかり、水を注いだに過ぎませぬ。二人の若者が結ばれることで、并州と西涼の絆は、もはや兄弟のそれとなりましょう。共に、この乱世を正していこうではございませんか」


酒が酌み交わされ、両国の未来を語り合う声が、和やかに広間に響き渡る。

この平和な光景こそ、呂布が、そして死んでいった者たちが、命がけで守ろうとしたものなのだと、陳宮は改めて胸に刻んでいた。


宴席の、上座に近い一角。

華は、姉の暁と共に、姫として、西涼の使者たちに酌をして回っていた。父・呂布が不在の今、その娘である自分たちが、心を尽くしてもてなすのが務め。そう、姉に諭されていた。


彼女は、緊張で微かに震える手で、使者の長である老将の杯に酒を注いだ。

「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。父に代わり、心より歓迎いたします」

その、か細くも凛とした声と、礼を尽くす姿に、老将は目を細めた。

「おお…こちらが、孟起様の…。なんとも、お美しく、そして気品のある姫君様じゃ。孟起様が、心を奪われるのも無理はありますまいな」


「まあ…」

老将の屈託のない言葉に、華の頬が、ぼっと熱くなる。

(あの方…西涼で、私のことを、皆に話してくださっているの…?)

想像するだけで、心臓が大きく跳ねた。姫としての務めを果たさねば、と自分に言い聞かせても、心は一人の少女に戻ってしまう。


その時だった。

「華、見なさいな。馬超様から、あなたへの贈り物ですって」

妹の初々しい様子を微笑ましく見ていた飛燕が、悪戯っぽく笑いながら、侍女が捧げ持つ小箱を指さす。

華が、おずおずと蓋を開けると、中には、月の光をそのまま閉じ込めたかのような、美しい白玉のかんざしが、静かに鎮座していた。


「まあ…」

華は、そのあまりの美しさに、思わずため息を漏らす。

彼女は、そっとかんざしを手に取ると、胸の前で大切そうに抱きしめた。

その瞳には、遠い西涼にいるであろう、愛しい人の姿が、そして、今は遠い戦場で戦っているはずの、父の姿が、同時に映っていた。

(馬超様…父上…どうか、ご無事で…)

彼女の祈りは、ただひたすらに、純粋であった。


その妹の幸せそうな姿を、姉の暁は、それぞれの思いで見守っていた。

暁は、この縁談がもたらす戦略的価値――長安の賊徒を東西から挟撃できるという、西の安全保障――を冷静に計算しつつも、それ以上に、妹が年頃の娘らしい、幸せそうな顔をしていることが、姉として何より嬉しかった。


宴の喧騒が頂点に達した頃、陳宮は、一人、そっと席を立った。

彼は、回廊から、遠い南の空を見上げた。星も見えぬ、漆黒の闇が広がっているだけだ。


(将軍…そちらの戦は、いかがか)


彼の脳裏では、冷徹な計算が始まっていた。

この縁談により、并州と西涼は、もはや離反のしようもない、血の同盟で結ばれた。

これで、長安に巣食う李傕・郭汜は、完全に東西から挟撃される形となる。彼らが帝をないがしろにしている今、奴らはもはやただの籠の中の鼠。

この戦で、将軍が奴らを打ち破り、帝を保護すれば、天下の大義名分は、完全に我らのものとなる。

その時こそ、この并州が、北の辺境から、天下の中心へと躍り出る、絶好の機会。


(だが、そのためには…)

彼の視線が、さらに南東の方角、兗州のあたりへと移る。

(…あの男、曹操孟徳の動きが、あまりに不気味だ。この好機に、彼が何も仕掛けてこないはずがない…)


この晋陽の華やかさと、そこに満ちる人々の笑顔。その全てが、今、あの人の双肩にかかっている。

(こちらも、盤石にございますぞ。どうか、ご安心を)


軍師は、届かぬと知りながらも、心の中で主君に語りかけた。

平和な北の都と、死線にある南の戦場。

二つの対照的な光景が、同じ夜空の下で、確かに存在していた。并州の未来は、今、その両輪によって、新たな時代へと、ゆっくりと、しかし確実に、回り始めていた。

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