第七ノ二話:獣道の誓い、背後の刃
第七ノ二話:獣道の誓い、背後の刃
息が切れ、足は鉛のように重い。張遼は、峻険な獣道の最後の上り坂で、荒い息をついた。背後からは、同じように疲弊しきった五百の兵士たちの、苦しげな呼吸が聞こえる。木の根に足を取られ、鋭い岩肌で腕を切る者もいる。疲労は限界に達していた。
「将軍…! もう、これ以上は…」若い兵士の一人が、膝から崩れ落ちた。
張遼は、その兵士の腕を掴み、力強く引き起こした。
「馬鹿を言え! 今、この瞬間も、奉先様は我らを信じ、たった一人で敵の大軍を引きつけておられるのだぞ! 我らが諦めれば、殿は犬死にだ! それでも良いのか!」
彼の厳しい、しかし仲間を思う声に、兵士は涙を拭い、再び立ち上がった。そうだ。俺たちは、あの呂布将軍に選ばれた精鋭なのだ。
(奉先様…どうか、ご無事で…!)
張遼は、遠くから微かに聞こえてくる戦の音に耳を澄ませながら、歯を食いしばった。主君の無茶は、誰よりも知っている。だが、その無茶を信じ、必ずや勝利に変えるのが、自分たちの役目だ。彼は、この作戦を授けた軍師・陳宮の、冷静な、しかし熱を帯びた瞳を思い出していた。(あの男…ただ者ではない。我らは、殿と軍師殿、両名の期待に応えねばならんのだ)
ついに、視界が開けた。木々の向こうに、古びた寺の屋根が見える。
(あれか…!)
油断しきった見張り、手薄な警備。全てが陳宮の読み通りであった。張遼は、部下たちに最後の指示を与えた。
「これより奇襲をかける! 目的は、敵の殲滅ではない! 兵糧庫を焼き払い、殿に合図を送ることだ! 決して深入りするな! 狼煙が上がったら、速やかに撤退するぞ!」
「応!」
五百の并州兵が、最後の力を振り絞り、雄叫びを上げて廃寺へと雪崩れ込む。
油断していた賊兵たちは、為す術もなかった。瞬く間に寺は制圧され、本堂に山と積まれた兵糧に、次々と松明が投げ込まれていく。
乾燥した穀物が爆ぜる音と、焦げ付く匂いが立ち込める中、張遼は部下たちに撤退を命じた。黒い煙が、まるで天に昇る龍のように、高く、高く、舞い上がっていく。この狼煙が、戦況を覆す合図となることを、彼は確信していた。彼は、煙が昇る空を見上げ、心の中で叫んだ。
(奉先様! ご覧になられましたか! 我らは、確かに役目を果たしましたぞ!)