第10章「光を繋ぐものたち」第3話「巡る命の果てに」
焔牙隊の訓練場には、乾いた土の音が響いていた。
若い兵士たちが、額に汗を浮かべながら、何度も木剣を振るっている。
「構えが甘い! ほら、肩が開いてる!」
「す、すみませんリュミエール様!」
指導に当たっていたリュミエールは、苦笑まじりに首を振った。
「謝る必要はないよ。今、ここで直せばいいだけだ。それが訓練だからね」
「は、はいっ!」
数年前なら、そんな立場に自分がいるとは思いもしなかった。
教えること。見守ること。託すこと。
それが今の、自分に与えられた役割だった。
休憩の笛が鳴り、兵たちは日陰へ散っていく。
リュミエールは額の汗を拭い、ふと、近くの丘へ足を向けた。
そこは、以前と変わらない。
土の感触も、風の香りも、揺れる木々のざわめきも。
――あの時も、ここから見えた。
眼下には、小さな集落があった。
その穏やかな景色を、静かに見下ろしながら、
リュミエールは胸の奥に沈んだ記憶を拾い上げていた。
(……あのとき、もし自分が……)
後悔は、今でも色濃く胸に残る。
すると、そんなリュミエールを見て、隣で水を飲んでいたジャロスが反応した。
「あの時のこと、か?」
リュミエールは驚いたように顔を向けた。
ジャロスは、口をゆがめて笑う。
「まだ、気にしてるのか。あの件。……お前のせいじゃねえって、何度言や気が済むんだ。だいたい、お前が気付かなかったら、どれだけ大きな被害になっていたことか」
「……でも、僕がもっと早くにノア様にお願いしていれば…ひょっとしたら今でも…」
「“もしも”なんて、考えてたらキリがねぇよ」
静かに返されたその言葉に、リュミエールは目を伏せた。
でも――次の瞬間、その瞳がふと揺れる。
(いや……待てよ)
何かが、頭の奥でつながる。
あの集落は、確か封鎖されたはずだ。
けれど――今のフィトリアは、再生された王国だ。
ならば、“封鎖された後”の状態ではなく、
“封鎖される前”の姿で存在していても、不思議ではない。
瞬間、心臓が強く打った。
足先から頭のてっぺんまで、熱が駆け上がる。
「……っ!」
リュミエールは走り出していた。
「……リュミエール?」
「……ごめんなさい、ジャロス様!」
「はあ? おい、どこに――おいって!」
ジャロスの声を背に、リュミエールは駆け出していた。
汗ばむ手のひら、荒い息。全身が熱を帯びる。
地面を蹴るたび、足がもつれそうになる。
鼓動が速くなる。呼吸が追いつかない。
汗が目に入り、視界が滲む。
(……なんで……どうして、今まで気づかなかったんだ!)
心の底からわき上がるのは、希望ではなかった。
息の詰まる思考の奥で、自分を責める声が響く。
(あの場所は……あんなにも大切だったのに……!)
(再生された王国に、あの集落が元に戻っている可能性だって――)
(少し考えれば、すぐに分かったはずじゃないか!)
(僕は……また、目を背けてたんだ)
足がふらつく。
それでも止まらない。
(怖かっただけだ。見に行くのが……何もなかったら、絶望するのが怖くて……!)
(でも……そんなの、ただの言い訳じゃないか)
自分が何を守ったのか。
何を守れなかったのか。
何を、置き去りにしてきたのか。
胸の奥が、焼けつくように痛い。
(……気づくべきだった。僕が……真っ先に、気づくべきだったんだ)
足は止まらない。
遅すぎた気づきに、追いつこうとするかのように――。
期待するな、自分に言い聞かせる。裏切られたら、今度こそ立ち直れない。
でも――
(でも、あの場所が、まだ――)
木々の間を抜け、緩やかな坂を駆け上がる。
汗が目に入り、視界が滲む。
そして――
視界が、開けた。
そこには、あった。
朝の光の中で、穏やかに過ごす人々。
子どもたちの笑い声。
木造の家々の間に、かつてのような生活のにおいがあった。
そして…
封印の輪は、どこにも、見当たらなかった。
視界が、滲んだ。
理由は分かっていた。
こみ上げてくるものが、止まらなかった。
(やっぱり……間違ってなかった……)
涙を拭おうと手を上げた、そのとき。
「まったく、いつまで待たせるのよ。次の春が来ちゃったじゃない」
背後から届いた声は、夢でも、幻でもない。
耳が覚えていた、胸が忘れたことのない――あの、芯の強い声。
リュミエールは、息を呑んだ。
その声を、何度思い出したか分からない。
何度も夢で聞いた。
何度も心の中で繰り返した。
でも今、その声は、現実だった。
ぎこちなく振り返る。
濃い赤の影。
柔らかに揺れる髪。
こちらを見つめる、まっすぐな瞳。
「……ごめん。遅くなった」
風が吹いた。
柔らかな草木の匂いが、空に舞う。
「やっぱりあんたは私がいないとダメね」
その声に、リュミエールは一歩も動かず、ただ立ち尽くした。
目に溜まっていた涙が、頬を伝ってこぼれ落ちる。けれど、その顔に滲むのは、哀しみではない。
まっすぐ前を向いたまま、彼は、確かに微笑んでいた。
その笑みには、想い続けた日々と、それを越えてきた歩みのすべてが宿っていた。
春だった。
新しい命が、確かに芽吹いた春。
あの時、皆で守った種子が、
今、こうして芽を伸ばし、枝を広げ、再び人々を包んでいる。
花はまた咲き、風は巡る。
植物の命は、いつだって、そうやって繋がっていくのだから。
終わり
ここまで読んでくださりありがとうございました。植物の世界を、少し知ってもらえたのであれば嬉しいです。もし、少しでも良かったと思っていただけたのであれば、感想、ブックマーク等よろしくお願い致します。
もし、次回作を、描くことがあれば、またよろしくお願い致します。




