第10章「光を継ぐもの」第2話「静けさの中で」
春は、何事もなかったかのような顔をして訪れた。
種子が芽を出してから、一つの季節が巡った。
あの時、命を託した者たちが再び目覚め、
若いフィトリアは、ゆっくりと、けれど確かに歩き出していた。
まだ大国とは呼べない。
けれど、朝露をたたえた葉の緑はみずみずしく、
空を仰ぐ幹はまっすぐに天を目指していた。
王国のあちこちで、小さな営みが再び始まっている。
ミコルは、以前と同じように根に籠もっていた。
菌根菌たちと静かに言葉を交わし、土中の様子を確認している。
その手つきは変わらないけれど、どこか柔らかくなった気がする。
不用意な呼びかけをしないようにと、慎重に。
そして、その姿を見ている誰もが、こう思っていた。
――もう、あの頃のミコルではないのだと。
命繋の砦では、ジャロスの怒鳴り声が今日も響いていた。
「おい、こんなに狭い区画なら、何か起きても、すぐに終わっちまうじゃねぇか!」
彼にしてみれば、守る範囲が狭いというのは、張り合いがないらしい。
だが、それを隣で聞いていたノアは、静かに言った。
「……解決が早いのは、悪いことではありません。
仕事など、本来ないほうが望ましいのですから」
「ふふっ……でも、そんなふうに言う兄様も、素敵です!」
と、モネが嬉しそうに笑う。
両手を胸の前で揃え、上機嫌に頷く姿は、
その場の空気を一瞬で和ませる。
困った顔をしているのはいつもジャロスだけだ。
フィトリアの巡りを司る調律隊では、
リネアが、今日も分配の帳簿とにらめっこしていた。
「ああ、カイン様……またそんなに多く……」
カインが巡りを増やそうとすれば、彼女が抑える。
「すみませんが、この備蓄ではこれ以上の供給は無理です」
リネアが帳簿を睨みつけながら、淡々と告げる。
「じゃあ、側芽に回すか……」
カインが後頭部をかきながら言いかけたその時、
「――それもやめてください。またアウラ様に怒られます」
リネアがぴしゃりと遮った。
「……うっ」
カインは肩をすくめ、珍しく言葉に詰まる。
何度目かのやりとりに、リネアは溜息をつきながらも、ミコルのところへふと視線を送った。
最近、距離がずいぶん近いようだと皆が噂している。
……本人たちだけは、まだ気づいていないらしいのだが…。
シアとエリスは、気候が落ち着いている今、
少しばかりの“余白”を楽しんでいた。
「最近、落葉の仕事もないわね」
「気孔の閉鎖も、ずっと出番なしよ」
二人で入れた茶を手に、穏やかに語らっている。
「こんな日が続くのも……悪くないわね」
エリスが小さく微笑みながら、カップを置いた。
「……ええ。たまにはね」
シアの視線が、静かに窓の外を追った。
王国の幹では、成長促進の作業が絶え間なく続いていた。
ジルヴァがセルロース繊維の向きを整え、
その隙を見て、アウラが陽種を落とす。
「……ここも切ってくれるか」
「ええ、すでに準備はできています」
ごく短いやりとりで、何度も何度も繰り返す。
2人の連携は息を呑むほど美しく、
芽生えたばかりのフィトリアを、確かな国へと育て上げていた。
そのすべてが、
“ここから”始まっていた。
――――――――
昼下がりの光が、葉の縁を縫うように差し込んでいた。
リュミエールは、新芽の育つ斜面で静かに作業をしていた。
芽の周囲を覆う土を柔らかく整え、倒れかけた茎をそっと起こす。
水を含ませた布で、傷んだ葉の表面を拭う。
どの動きにも、言葉にしない想いが滲んでいた。
まだどの芽も幼い。
その中で、ひとつだけ――赤みを帯びた若葉が、朝露を宿して風に揺れていた。
その色が、ふと彼の動きを止める。
「……君がいたら、きっと叱られてたかもしれないな。土、跳ねてるぞって」
笑っているのに、どこか遠い眼差しだった。
誰に向けるでもない言葉。
風がそっと吹き抜けていく。
日々は静かで、穏やかだった。
けれど、彼の心から、あの声が消えたことは一度もなかった。
今のフィトリアを、君にも見せてあげたかった。
そう思うだけで、少しだけ、喉の奥が熱くなる。
“また始めよう”と種子の前で誓った日から、季節がひとつ巡った。
王国は、まだ若く未完成だ。
けれど、こうして命が育ち、巡っていることが、確かに胸を支えている。
その中に――あのとき守れなかったものを、もう一度芽吹かせたい。
そんな想いが、心のどこかに根を張っていた。
静かな風が通り抜ける。
リュミエールは赤く染まりかけた若葉にもう一度視線を落とし、
「……また、君のことを考えてた」
自嘲気味に、小さく笑う。
「ダメだな……赤いものを見ると、どうも駄目だ」
忘れようと思っている。
日々は忙しく、穏やかで、それなりに満たされていて――
けれど時折、胸の奥に浮かぶ輪郭は、決して霞まない。
風が揺れる。
誰の声にも似ていない、けれど、どこかあたたかい音がした。
「いつまでも引きずってたら、それこそどやされるな……きっと」
リュミエールは立ち上がり、草を払った。
背を向け、歩き出す。
その背に、ふいに差し込んだ陽の光は、どこか懐かしくて――
ほんの少し、春の匂いがした。
次回、最終話です!いよいよこの物語もおしまいです。
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