第9章「奪う者、繋ぐ者」第12話「君が残した壁」
ジャロスの陣営に、風が吹いた。
砂塵の舞う戦場に、ふいに走る二つの影。
駆け込んできたリュミエールとノアの姿に、ジャロスは目を細めた。
「……何しに来やがった。今さら来たって、死期を早めるだけだぞ」
その言葉に、リュミエールは一歩踏み出し、まっすぐに言った。
「違います。来たのは……希望を伝えるためです」
ジャロスの眉がぴくりと動いた。
その言葉に、隣にいたモネも顔を上げる。
「希望……?」
「種子です」
リュミエールは静かに、しかし確かな声で続けた。
「かつて咲かせた花のもとに……新たな種子が芽吹いていました。
この命の巡りが終わっても、それを未来へ繋ぐ術が、残されていたんです」
モネの瞳が細かく揺れた。
その言葉の重みを、誰よりも静かに受け止める。
そしてノアが、短く言葉を添えた。
「ただし、成熟には……あと三度の夜を越す必要がある」
一瞬、風が吹いた。沈黙。
そして――
ジャロスが、突然腹を抱えて、豪快に笑い出した。
「はははっ! 三度だと!? 無茶もいいとこだ……!」
けれど、その声には怒りも迷いもなかった。
「……だがな、俺はそういう無茶、嫌いじゃねえ!」
ジャロスの高らかな笑い声が、戦場の緊張を一瞬だけ溶かした。
その背後で、ノアが静かに手を上げる。
「防御陣を展開します」
彼の声は落ち着いていて、だが揺るぎない。
「……効くかどうかは分かりません。でも、少しでも兵たちを守れるなら」
手にした小型のブレードを地面に突き立てる。
淡い光が波紋のように地を這い、周囲を包み込むように広がっていく。
モネもまた、一歩前に出た。
肩にかけた伝達器具を手に取ると、凛とした声で周囲に呼びかけた。
「命繋の皆さん……聞こえますか」
その声は風に乗り、戦場を駆ける。
「希望が、生まれました。
種子が、王国を未来へ繋ごうとしています。
三度の夜を越せば、必ず……新しい命に繋がるのです」
兵士たちの間に、ざわめきが走る。
剣を握る手に、再び力がこもる。
奮い立つ歓声が、あちこちから沸き上がった。
ジャロスが、鉤爪を構え直した。
「よし、行くぞ! ここで終わらせるぞ、野郎ども!!」
赤く煌めく鉤爪が、戦意を燃やすように光る。
しかし――その瞬間だった。
空気の流れが、ふと変わった気がした。
……来ない?
音もなく、敵の気配が消えていた。
湧き続けていたはずの気配が、どこにもない。
静かすぎる。何かがおかしい。
「な……なんだ? 増援は……もう来ねえのか……?」
ジャロスが辺りを見回す。ノアも、首を傾げる。
「まさか……終わった? 勝ったのか……?」
リュミエールは一歩前に出て、地面を見つめた。
その表情に、確信の色が差し込んでいく。
「――ここは!そうか!間違いありません!」
その声に、全員の視線が集まった。
リュミエールは顔を上げ、ジャロスを見た。
「ジャロス様!奴らの侵攻は、止まっています!
この場所……かつてリグニンが沈着して、根の構造が硬化していた場所なんです。
奴らは、この“硬化した根”を突破できていません!」
ノアが、はっと目を見開いた。
「……そうか。フォルミナ……!
かつてこの場所にリグニンを沈着させ、根の構造を変化させた。
“変異”というあの時の力が、今、壁になっている……!」
「他の根は、アウラ様とジルヴァ様によって捻じ曲げられている。
奴らは……もう、ここから来るしかない!」
「なら、勝機はここにあるってわけだな!」
ジャロスが叫んだ。
その声に、兵たちが再び沸き立つ。
「モネ! 全軍に告げろ!」
「了解!」
「敵の増援は、もう来ねえ! ここが奴らの限界だ! あと少しだ、勝利はすぐそこだ!」
その瞬間だった。
『ほら……変化も、悪いものではないでしょう?』
ふと、耳元に囁くような声がした。
リュミエールはぎょっとして、振り返った。
……誰もいない。
ただ、静かに揺れる空気の中で、確かに“誰か”がそこにいた気がした。
リュミエールは目を細め、ふっと微笑む。
(ありがとう、フォルミナ……)
戦いの場に、風が吹いた。
それは、まだ終わらぬ夜に灯る、小さな希望の風だった。




