第9章「奪う者、繋ぐ者」第10話「閉ざされぬ口」
リュミエールの言葉が、重く垂れ込めていた空気を切り裂いた。
――もう、誰が悪いかなんて関係ない。
ただ、生きるんだ。フィトリアで。
誰もがその想いに頷き、静かに立ち上がる。
アウラが前に出ると、落ち着いた声で命じた。
「……状況は一時的に膠着状態に入るはずです。今こそ、体制を整え直しましょう」
それぞれが応じて動き出す。
シアは静かに振り返り、朱殿へと向かって歩き出した。
「気孔を閉じる準備を急ぎます」
リネアはそっとミコルの腕を取った。
「……一人で抱えないで」
ミコルは言葉少なに頷き、肩を預ける。
ジャロスはすでに根の層へ向かっていた。
「……気孔が閉まれば、奴らも退くはずだ。
それまで、持ちこたえる――斬ってでも、な」
赤い鉤爪が腰元で、小さく唸った。
一方、リュミエールは静かに輪から一歩退いた。
「……あとは、お願いします。
僕は――僕にできることをします」
そう言って軽く頭を下げると、踵を返した。
誰も、呼び止めなかった。
信じていた。
リュミエールなら、きっと――必要な場所へ行くと。
一人ひとりが、無言で頷いた。
その背を、見送った。
――――――――――
花が咲いていた。
風に揺れる、あの白い花――
リュミエールは花を見上げ、その下に息づく命の灯火を感じて、小さく呟いた。
「やっぱり……これで、ちゃんと…繋がるね」
その言葉は、誰かに向けたというよりも――
自分の心に、そっと刻み込むような響きだった。
確かにそこにある、小さな命の種。
(これで……万が一の時は…託せる)
胸の奥に、一つの確信が灯る。
それは、安堵にも似ていたけれど、違った。
決意だった。
“未来”があると分かった今だからこそ、
“今”を守り抜こうと思えた。
失っても終わりではない。
だが――失わずに済むなら、それに越したことはない。
リュミエールは、花に背を向けて歩き出した。
その横顔にはもう、迷いの影はなかった。
守ると決めたもののために、今この瞬間を生き抜く。
その意志だけが、静かに、しかしはっきりと、彼を支えていた。
その頃――朱殿では、シアが静かに号令をかけていた。
「全気孔、閉鎖せよ」
臣下たちが動く。孔辺細胞への水の流れを切り替え、空気の導入口を制限する。
朱殿全体が一瞬だけ震え――
――ピタリ、と、何かが閉じる音がした。
「これで……敵の方も、いったんは動きが鈍るはず」
ジャロスは土を蹴って前線に戻っていた。
「……気孔が閉じた…?シア様、ありがとよ。後少しってことだよな」
部下たちが疲弊した顔で頷く。
「気孔が閉まった……!そろそろ、奴らも――」
だが。
その希望は、土の震えと共に裏切られる。
――引かない。ストラギアは、引かない。
「な……んでだ……?!」
ジャロスの眉が、深く険しく歪む。
皓塔。
伝令が滑り込むようにアウラへ報告を届けた。
「前線より緊急報告!ストラギア、後退の気配なし!」
アウラの手が止まる。
「……気孔を閉じていない、というの?」
隣にいたカインが、はっと息を呑んだ。
目を見開いたその瞳に、理解と戦慄が同時に宿る。
「……そうか……そういうことか!」
一同の視線が彼に集まる。
「奴ら……気孔を閉じないんじゃない。あえて、開けっぱなしにしてるんだ……!」
「え……?」
「蒸散を促すことで、自分の体から水分を飛ばす。
その分、宿主の根――つまりフィトリア側から、水をどんどん吸い上げさせるように仕向けてるんだ!」
リネアが、小さく息を呑む。
「それじゃまるで……意図的に流れを作って……」
「そうだ。やつらは、最初から“奪う”前提で、自分たちの身体を使って流れを作ってやがる。
だから、水を守る必要なんかない。自分が失った分を、全部こっちから引き出してるんだ……!」
言葉が、空気を震わせた。
誰も、すぐには返せなかった。
まるで王国そのものが、静かに蝕まれていることを突きつけられたようだった。




