第9章「奪う者、繋ぐ者」第5話「蝕まれる静寂」
「……リネア、頼めるかい?」
備蓄庫の奥、記録板の前で立ち止まりながら、カインが静かに言った。
その目は、いつになく真剣だった。
「かしこまりました」
リネアはすぐに応じた。凛とした声が、空気を少しだけ張り詰めさせた。
少し離れた場所で控えていたリュミエールが、小さく問いかける。
「まずは……何から調べるべきでしょうか?」
リネアは目を伏せ、わずかに思案するそぶりを見せた。
「……まずは、外部とのやりとりですね。物資の搬出が許可されているのは菌根菌くらいのはず」
「じゃあ……ミコル様のところへ行きましょう」
リュミエールの声に、リネアも軽く頷く。
「ええ。確かに、そこから始めましょう」
ふたりは歩き出した。
土の匂いがまだ濃く残る廊を、音も立てずに進んでいく。
「僕じゃないよ。いや、僕というより……菌根菌たちは、今回しっかり監視してる」
ミコルはいつもの柔らかい声で応じた。
「協定で決まった分しかやり取りしていないし、巡回にも記録を残してる」
「……信じています。ただ、確証が欲しかっただけです」
ミコルの言葉に、リネアはひとつ頷くと、静かにリュミエールに目を向けた。
「菌根菌は問題なし、ですね……では次は。」
「……師管にでも、穴が開いているとか……?」
リュミエールがぽつりと呟いた。
ありえない話ではない。王国の内部で物資を運ぶ管――もしそこに何らかの損傷があったなら、備蓄が流出している可能性もある。
「可能性としては考えられますね」
リネアは短く頷き、ふっと小さく息を吐いた。
「……カイン様のところへ、戻りましょう。師管の状態は、あの方が一番よく分かっているはずです。」
「はいっ」
リュミエールも迷わず頷き、ふたりは足早に引き返していった。
カインはリュミエールの仮説をすぐに否定した。
「それなら液流の変化が出るはずだけど、今のところその兆候は無いな」
カインは腕を組み、備蓄庫の奥を黙って見つめていた。
師管にも異常は見られず、菌根菌の動きも問題はない。
リネアも手元の記録を何度も見直していたが、同じ結論しか出ない。
リュミエールも息を詰めたまま、もどかしさを噛み締めていた。
「……こうなると、本当に分からないですね」
リネアがぽつりとつぶやいた、そのときだった。
「……あの、少し……よろしいですか?」
三人が振り向くと、備蓄庫の入口に一人の警備兵が立っていた。
まだ若い衛兵で、少し緊張した様子で帽子の端を握っている。
リネアが声を和らげ、静かに問いかけた。
「何か、気になることでも?」
警備兵はこくりと頷くと、声を潜めて話し始めた。
「実は……数日前の夜なんですが。巡回の際、倉庫の裏手で……妙な影を見ました。」
「影?」
リネアが目を細める。
「ええ。姿かたちは、はっきりとは見えませんでした。でも、何か挙動不審な…… 不自然な感じだったので、覚えているんです……。」
三人の間に緊張が走った。
それは、まるで今まで隠れていた“何か”が、ようやく輪郭を現したような、そんな瞬間だった。
「リュミエール君、調べてもらえる?」
リネアの言葉に、リュミエールはすぐに姿勢を正し、小さく頷いた。
「……はい。任せてください。」
声は普段通り、丁寧で静かだったが、胸の奥では確かな熱が灯っていた。
頼られるということが、こんなにも嬉しいなんて。
心の深いところが、じんわりと温まっていくのを感じていた。
「少し、集中してみます。」
リュミエールはそう言うと、そっと目を閉じた。
備蓄庫の空気が、肌にじわりと染みてくる。
呼吸を整え、心を沈める。
――最初に消えたのは、遠くの足音だった。
次に、壁を打つ風の音が消える。
やがて、リネアの帳簿をめくる音すら届かなくなる。
世界が静かになる。
音も、光も、匂いも、触覚さえも、徐々に輪郭を失い――
その代わりに、別の“感覚”が立ち上がってきた。
空間の「気配」が、輪郭を持って現れる。
隣には、大きく、太く、まるで樹の幹のような存在感。
『これはきっと、カイン様だな。』
逆側には、穏やかで整った、優しい気配。
『リネア様…』
けれど――空間の片隅に、何かが引っかかる。
ザラついたもの。ひっかき傷のような、乾いた異物感。
本来あるはずの気配に混じり込む、それだけが異質だった。
王国の気配とは、どこか異なるもの。
(これは……まさか)
リュミエールはぱっと目を開いた。
「――侵入者です! 備蓄庫内に、敵がいます!皆さん、警戒を!」
すぐさま命繋の兵たちが動き出し、巡回網が張られた。
――と、そのとき。
影が走った。
鋭く地を蹴る音。滑るように根の方へ向かっていく。
「待て、何者だ!」
リュミエールが追う。直後、どこからともなく現れたミコルも並走する。
ふたりの足が止まったのは、王国の根の最深部。
そこに――
信じられない光景が広がっていた。
「……なんだ、これは……」
王国フィトリアの根に、
絡みつくように伸びる別の根。
それはまるで、別の王国が地下から侵入してきたかのように――。
静かに、しかし確かに、
「何か」が、この王国の静かな均衡を蝕んでいた。
ついに来てしまいました。根からの侵入。あの植物です。果たしてこの後王国はどうなってしまうのか…。




