第1章「静かな兆し」第2話~選ばれし命~
根に近いところで、最初の異変が見つかったのは、
朝靄がまだ王国の地を覆っていた頃だった。
地の奥から上がってきた報告は――
リグニンの異常な沈着。
通常なら柔らかく曲がるはずの根の一部が、
不自然に硬化していた。
しなやかさを失えば、命は水を運べなくなる。
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皓塔の中。
柔らかな光が塔の芯を照らしていた。
五耀星たちは静かに輪を作るように集まっていた。
アウラが、指先で空をなぞるように視線を落とす。
「……根に、異変が出ている。」
その声は小さくても、誰の耳にも深く届いた。
「これだよ。」
笑みを浮かべながら、一片の組織片を掲げたのはカインだった。
手のひらの上で、わずかに乾いた欠片が光を透かしている。
「本来なら、もっと柔らかいはずの部位が
こんなに硬くなってる。……面白いけど、嫌な感じだ。」
ジルヴァは組織片を受け取り、
指先でそっと表面をなぞった。
「……このまま放置するのは危ういな。
調査隊を出そう。
まだ拡がっていないうちに。」
「根のことなら、あの子に任せるべきだわ。」
シアの声は冷たく澄んでいた。
「土の奥を読むのは、ミコルが一番適任。」
エリスが横でふっと微笑んだ。
「……感染の可能性もあるわね。
封衛の目があった方がいいんじゃない?」
アウラが小さく手を振った。
塔の奥に控えていた伝令が、静かに頭を下げると
その足音は塔の外へと消えていった。
ミコルとノアは塔へ向かう石畳の道を二人で歩いていた。
「…やれやれ。
土の声を聞くだけなら、
本部の書庫で十分だと思うんですが。」
ミコルは小さく口を尖らせる。
ノアは横を歩きながら、
前を向いたままため息をついた。
「命令だ。逆らう理由はない。」
「はいはい、あなたは相変わらず真面目ですね。」
ミコルは肩を揺らし、
どこか楽しげに笑った。
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皓塔の奥。
光の芯に五耀星が並び立つと、
さすがにミコルの表情もわずかに引き締まった。
アウラが指先をそっと掲げる。
「根の奥に異変がある。
土の声を確かめてきて。」
ミコルは一瞬だけ笑いかけ、
先ほどの軽口が嘘のように静かに頭を下げた。
「……承知致しました。
土の奥の声は、私にお任せください。」
視線がノアに向けられる。
「封衛隊も同行を。
感染の可能性を逃さないで。」
ノアはまっすぐに答える。
「心得ています。」
カインが冗談めかしてミコルの肩を叩いた。
空気がわずかに緩む。
「……道すがら、ぶつぶつ言ってたくせに。
ま、どうせ最後はやるんだろ?」
ミコルは肩を竦めて、小さく目を細めた。
「……お見通しですね。」
一瞬の気まずさを笑いで隠すと、
すぐに表情を正す。
「大丈夫です。
仕事はきっちりやりますから。」
塔から戻ったミコルとノアは、
石畳を抜けて命繋の本部へと足を運んだ。
足音が廊下に吸い込まれていく。
2人が小さな執務室で、待っていると、すぐにリュミエールが現れた。
ノアが淡々と告げる。
「リュミエール。
根の異変調査に同行しろ。」
リュミエールは小さく瞬きをして立ち上がる。
「……はい。」
声は素直に返るのに、
その瞳の奥には、
にじんだ影がまだ残っていた。
ミコルはそれを横目に見ると、
軽く肩をすくめた。
「緊張しますか。」
リュミエールは何も言えずに、
目を伏せる。
「大丈夫ですよ。
曖昧な芽だからこそ、
聞こえる声もあるものです。」
淡く笑ったミコルの声が、
どこか遠くを探るように響いた。
隣でノアはただ一言だけ残す。
「任務は任務だ。
感じ取れるものがあるなら、見落とすな。」
小さな執務室に、
ふと風の気配が通り抜けていった。
リュミエールの背中はまだ細いままだったが、
その足元には、
確かに小さな根が、
静かに張り始めていた。
塔の外へ出ると、トウカが追いかけてきた。
「おーい! どうだった?」
「……初めての任務なのに、
いきなり根の調査なんて……。」
思わず漏れた弱音に、
トウカは肩を叩いて笑った。
「緊張するのは当たり前じゃん。
あんたが何者でもないから、
できることだってあるんだから。」
リュミエールはうつむいたまま、
小さく笑った。
「……うん。」
トウカは、背を押すように言った。
「大丈夫。
あんたが何を感じるか、
ちゃんと誰かが見てるからさ。」
春の風が、塔の影を抜けて二人の間を通り過ぎていった。
リグニンは植物の表面を硬くする物質です。簡単に言うと「木」の表面にある物質です。
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