第1章「静かな兆し」第1話~揺れる芽~
陽だまりの朝だった。
塔の影を遠くに見ながら、リュミエールは小さな訓練場の片隅で息を整えていた。
木の柄を模した剣を握る手はまだ頼りなく、踏みしめた足には迷いが残る。
それでも彼は、何度も同じ動きを繰り返していた。
背後から、ざり、と土を踏む音。
「……また一人で黙々とやってるの?」
声をかけたのは、焔牙隊のトウカだった。
短く束ねた赤みがかった髪が朝の光を受けて揺れる。
「おはよう、トウカ。」
「おはようじゃないよ、昨日も言ったでしょ?
一人で勝手に動くの禁止。面倒見るって言ったじゃん、あたし。」
リュミエールは苦笑いを浮かべる。
「つい……手が覚えてるうちに、って思って。」
「そういうの、ダメだから。いい?あんたはまだ“無所属”。
どこに引っ張られるかもわかんない、今が一番大事なんだから。」
トウカは腰に手を当てて、やれやれと肩をすくめる。
「ったく……。ほら、今日は各隊にちゃんと顔出すって言ったでしょ?」
「……挨拶?」
「挨拶。
あんたがどこに向いてるか、みんな気にしてるんだから。」
リュミエールは剣を収め、息を吐いた。
春の風が、どこか遠くで梢を鳴らしている。
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最初に向かったのは、焔牙隊の詰所だった。
王国の牙を名乗る戦闘部隊。
木の壁に掛かる武器はどれも重たく、鋲の光が眩しかった。
中にいたのは、紅い長髪を束ねた男。
腕を組み、椅子に腰かけたまま鋭い視線を向けてくる。
ジャロス――焔牙隊の隊長。
「おう、面倒見係、連れて来たか。」
「連れてきましたよ! こいつ、昨日も勝手に朝稽古始めてたんだから。」
「そうか。」
ジャロスは目を細め、リュミエールをじっと見る。
「牙の先に立つには、根が太くないとな。
尻尾巻いて逃げるやつはいらねぇ。……まあ、見せてもらうさ。」
笑った顔は獣のようで、けれどどこか頼もしさがあった。
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次に訪れたのは、封衛隊の執務室。
封印と防壁――王国を支える盾。
重い扉を抜けると、ひんやりとした空気が流れた。
机の前に座るのは、銀髪をきちりと結んだ青年――ノア。
彼の視線は文書の上を離れない。
「……来たか。」
「リュミエールです。……お世話になります。」
ノアは印を押す手を止めずに言った。
「封衛隊の役目は、
小さな火種を静かに囲い、燃え広がる前に鎮めることだ。
必要とあらば、命の一部を断つ覚悟で、
王国を護る。」
書簡を閉じ、目を上げた瞳は真剣そのものだった。
「“何者でもない”お前が、どこまでその覚悟に届くかはわからない。
だが、感じ取る力を粗末にするな。
封じる前に兆しを知る――それだけで救える命はある。」
硬い口調の奥に、ほんのわずかに迷いが滲んだ。
「……それだけだ。」
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三つ目は、環絆隊。
土の匂いがわずかに残る地下の詰所には、菌糸を模した繊細な装飾がかかっている。
王国の根の奥を繋ぎ、外の世界とも密やかに手を取り合う部隊。
その奥で、ふわりとした青年が手を振った。
ミコル――環絆隊の隊長。
「ようこそ、未分化の子。……君がここに来たのは何かの縁だね。」
「……縁、ですか?」
「そう。僕たちは目に見えないところで
命を繋ぐ絆を張り巡らせているんだ。
君みたいに、まだ形の定まらない子は……
どんな絆を結ぶのか、楽しみだよ。」
淡い笑みの奥に、何かを探るような光があった。
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最後に訪れたのは、調律隊。
気流の抜ける高台に建つその詰所には、
薄い幕が風にそよいでいる。
王国の隅々まで空気を調え、
命の流れを乱さぬよう声を届ける隊。
扉を開けると、
整えた外套の裾がそっと揺れた。
リネア――調律隊の隊長。
「ご挨拶に来ました。」
「ええ、わたしも会っておきたかったの。」
リネアの声は穏やかで、
どこか遠くの空の揺らぎを思わせる。
「形が定まらないうちは、
流れに呑まれることもあるわ。
だからこそ、どんな風に触れて、
どこへ向かうのか――
わたしたちは、よく見ておかなくちゃいけないの。」
リネアは微笑むと、
視線を空へと送った。
その横顔は、春の空を透かしたように、
淡く、優しかった。
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外に出ると、風が少しだけ冷たかった。
「……どうだった?」
トウカが肩を叩く。
「……まだ、何が向いてるかなんてわからない。」
リュミエールの声は、小さく笑っていた。
「それでいいの。
何者でもないって、そういうことでしょ?」
トウカも笑った。
王国の命を繋ぐ小さな芽は、
まだどこにも属さないまま、静かに揺れていた。
本作に登場する主要キャラクターたちは、それぞれ植物ホルモンを擬人化した存在として描かれています。ここではその対応関係と役割を、簡単にご紹介します。
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■ アウラ(オーキシン)
成長の方向性を決定し、組織の構造を調整する役割を担う。
王国の指導者的存在であり、変化の指針を示す者。
■ ジルヴァ(ジベレリン)
細胞の伸長や発芽に関わり、セルロース繊維の配置を整える。
アウラの補佐として動き、構造変化を支える実直な存在。
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■ カイン(サイトカイニン)
物質の分配や細胞分裂を促し、栄養の流れを管理する。
奔放に見えて計算高く、誰一人見捨てない優しさを持つ。
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■ エリス(エチレン)
対応ホルモン:エチレン
老化や細胞死を司り、不要な組織を断ち切る。
感情を秘めたまま、必要な「終わり」を告げる者。
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■ シア(アブシジン酸)
乾燥やストレスへの応答を担い、気孔を閉じて命を守る。
静かだが内に強さを秘め、極限状況に備える者。
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■ ジャロス(ジャスモン酸)
攻撃への防御応答を引き出し、外敵からの王国を守る。
命繋の指揮官として、先陣を切る戦闘の象徴。
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■ ノア(サリチル酸)
病原体への防御応答を担い、免疫記憶のように王国を守る。
沈着冷静で、静かな結界を張る守護の存在。
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■ ミコル(ストリゴラクトン)
菌根菌との共生を促し、遠方への信号伝達も行う。
ネットワークの管理者として、王国と他国を繋ぐ調停者。
■ リネア(ブラシノステロイド)
環境変化に応じて成長を調整し、栄養や成分のバランスを取る。
静かに王国の調和を支える、理性的な補佐役。
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