不登校の問題提起と私はなぜ不登校に至ったかの説明、そして現世からの離脱…世捨て人ではない、世に捨てられたのである。
これは昭和末期生まれの不登校ニートの男性、岡田広之が【不登校の原因】【不登校問題の根本原因】の究明を行いノンフィクションで世間に問い、敗れた後に、異世界転生を願って転生する物語である。
ノンフィクションであり、幅広い人に知ってもらうために最初に核心を提示させて頂きます、皆様は私の文から、または各自で情報を集め、推理、検証、または反証して頂きたいのです。
推理小説やミステリーの構成にしようとしたときもあるのですが、読者様が名探偵ならともかく…長すぎる上に読み解ける人が少なくなれば、迷宮入りと思ったのです。
【不登校の原因】未治療、未診断のアレルギー性鼻炎。
【不登校問題の根本原因】学校で行われる耳鼻科検診が全国的に【重点的健康診断】と銘打って削減されたことが根本的な原因だと考えます、時期を同じくして小学生の不登校が増加をしている、法令は私の知る限り重点的健診を可能にする改正は行われていない。
重点的健康診断について川名 正二 日本耳鼻咽喉科学会学校保健委員会 1981年12月号
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jibirin1925/74/12/74_12_2846/_article/-char/ja/
国立教育政策研究所 生徒指導資料第1集(改訂版)第三章不登校(不登校児童数の統計資料がある)
ttps://www.nier.go.jp/shido/centerhp/1syu-kaitei/1syu-kaitei090330/1syu-kaitei.3futoko.pdf
※1975年から中学生の不登校は増加しているが、前年度から起きたオイルショックが原因とみられる、失業率や有効求人倍率が悪化し、親が失業したり、就職しなければならない生徒に不安が広がったのではと推測する。
【因果関係の説明】耳鼻科検診が法律の通りに行われていない事で、健診の機会を逸し、アレルギー性鼻炎が治療に到らず、アレルギー性鼻炎の影響で児童生徒が「学校恐怖症」「学習の不調」「コミュニケーションの失敗」「いじめ等の被害提訴」「防衛的攻撃によるいじめ行動」「睡眠障害」「自律神経の乱れ、起立性調節障害」等々を引き起こし、それが不登校増加やいじめ、対教師暴力等、学校でおきる教育問題になったのでは、という考えです。
近年言われる「発達障害」も結局は定義の問題であり、幼児期のアレルギー性鼻炎が児童の発達に悪影響を与える影響の検証など、実験するわけにはいかず、検証が難しいでしょうが、含まれるものもあるのではと思うのです、アレルギー性鼻炎の治療を行ったら、発達障害の症状が緩和したとの論文や報告を見つけることができます。
【因果関係の説明、法的逸脱の責任から】学校の児童への健康診断は学校教育法、学校保健安全法及び同法施行規則で毎学年定期の健康診断と定められていて逸脱は法規違反である、法規を破れば保護法益を棄損する危険を生じさせる、これは真理なのではないか。道路交通法を破れば、事故を引き起こし、食品衛生法が破られたら、食中毒が生じる。
では学校教育法、学校保健安全法が破られたら、誰が被害を受けるか、子供達であり、ひいては社会、我が国全体である。
【エリートである医師(耳鼻科医)が医師会(日本耳鼻科学会)で論文まで発表しているのに間違うわけがないという疑問への反論】
集団思考という現象があります、集団思考が発生しやすい状況と欠陥のある決定に見られる兆候が一致しているのです。
Wikipedia
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E6%80%9D%E8%80%83
【不登校問題で責任を取らなければならない責任者】
(私は国家賠償請求訴訟を長年準備していまして、司法書士に書面作成依頼しての弁護士建てずの本人訴訟です、2024年6月27日までに訴訟提起する予定…。)
第一に教育委員会…残念ながら耳鼻科医あくまで教育委員会に働きかけて、教育委員会の指示で請け負う形にして責任回避をしている、地方行政、文科省、及び国、最終的にコストを支払うのは国民になる、我が国は民主主義国家であり、国民には行政を監督する責任があったはずで怠った結果である。
以下、不登校を経験した自分の人生を資料を基に語る、客観的事実と主観的事実が混ざり合ってるので、推理しながら見て頂きたい、心理臨床家はこのような資料を集めて、クライエントの不登校の原因を推理し対応策を練っているはずである。
私の父親の出自は寒村の出で、地方都市に出て来て、理容業の見習いを続け、70年前後に開発が始まった振興団地に店舗を構えるに至った、私の母親の家系は件の団地ができる地域に在住していた、母は小学校の臨時教員をしていたが父と結婚し兄を生み、私が妊娠中に統合失調症を患い、それが元で両親が離婚、私は父親の家で育てられた、だが幸いなことに父親と住む家と母親の実家が近くにあり、週末には母親の家で過ごし、両家祖父母の努力もあり、一見すると平穏に過ごしているように見えた。
【家族構成】父方の家:祖父(寒村にいた時は農林業従事者で学歴は無いに等しい、鉄鋼関連会社の非正規社員、定年済み、第二次大戦で従軍経験あり、愛煙家である。)祖母(寒村の出自で主婦、学歴は無いに等しい、宗派は日蓮正宗、後に創価学会、祖母は熱心な信仰者で祖父は祖母に従ったようだ。)父(理容業を営んでいる、学歴は中卒との事、父方の家は寒村でも一番貧しかったと嘆いていた、寒村の家は借家でありその反動か土地投資をしていた、バブル崩壊によりそれなりの損失を出したと思われる、祖母と共に株投資もしていた、愛煙家である。)兄(私の3歳年上である、不登校児の兄弟は家族の愛情等の資源が奪われて苦しんだり、学校で奇異の目を向けられたであろう、その結果として私を侮辱しがちで、暴力を振るう時もあった、後に関西のそれなりに有力な大学に進学、大学在学中に風邪の症状が治らないと医者に掛かりアレルギー性鼻炎の診断を受ける、卒業後地元に就職し、良妻を得て家庭を持ち、子供を三人育てている。)私(1987年8月生まれ。)
ペットとしての猫飼育歴:野良の黒猫(幼児の時に家にいた、引っかかれ出血した記憶あり)野良の黒猫♂(小学校低学年の頃テイムした、前述の猫とは別個体である、自分で引き戸を開ける等、賢いボス猫、黒白ハチワレが来る前に突然来なくなった)野良の白猫♂(前述の黒猫の次にやってきた猫、美しい青色の目をしていた、ボス猫のような風貌、最後は喧嘩で目を怪我し感染症により死亡と思われる)野良を家猫化して♀2匹(避妊手術して飼育、この2匹は親子である、アメリカンショートヘアー風の雑種。)野良八割れの黒白猫♂(高い所に上って降りられないと騒ぎ甘える頭のいい猫…目が悪かったのかもしれない、いつの間にかより良い飼い主を自分で見つけてそちらに永住。)アメショ風の野良♂猫(前述の黒白猫と喧嘩をして、止めに入ってこの猫を抱き上げた時に手を噛まれ、腫れた、翌日中学校で治療を受けた。)※現在基準で考えると、良くない飼い方をしていますがご容赦願います。
母方の家:祖父(私鉄の鉄道運転員をしていたようだが定年を迎えている、婿入りで肩身の狭い思いをしたのではとの推測がある、宗派は浄土真宗。)祖母(地元の幼稚園の教員を長年務めていて、教え子が地域に多く、地域では尊敬されていた、定年済み。)母(学歴は短大卒と思われる、産休の臨時教員を何度か務めた経験がある、幼少期に祖父から暴力を受けており、具体的には灰皿で頭を殴る等。幼稚園で祖母が働いていた事により、学区の違う幼稚園になり、小学校で浮いてしまって虐められたという経験をしている、私が子供の間は自宅療養中である、後に精神科に入院…家で暴れて、入院させるしかなくなったのである。)
私の居室環境:私が概ね9歳以下まで祖父、兄、私の3人で寝ていた、畳であり、冬季にはカーペットを敷く、ダニが発生しやすい環境である、テレビ、ゲーム機が置かれている。
ゲーム音やテレビの音で睡眠が侵害された記憶がある、祖父が部屋で煙草を吸うのだ、鼻炎が悪化する遠因になった可能性もある。
幼稚園の頃、帰るとぬいぐるみ、お気に入りのタオルが隠されていた、抗議した、目暗(失明)になっても良いのかとの声、目と肌触りのいいタオルやぬいぐるみ…それならぬいぐるみを選ぶと意思決定をした、後にもう一度似たようなことがあり、お別れするが、猫を飼ってしまった、もふもふは捨てられない。
2歳か3歳からの保育園にて登園拒否、怖がって泣いて嫌がるようになり、祖父は連れて行ったが、保護者側が折れた、登園拒否のきっかけは鼓笛隊の練習が厳しかったのだろうというのが私の幼少期の理解であり、保護者は昼寝の時間が嫌だったのではと捉えていたように思う、教育関係の知識から客観的には家庭環境が普通では無いから、まず保護者との愛着不全や本人の資質が想定されたであろう。
【現在考えるとアレルギー性鼻炎を既に患っていていたとしてもおかしくないのである。】
エリクソンの発達段階仮説に寄れば、乳児期の保護者との関係性が成功すれば基本的信頼感という力を得て、失敗すると不信感という状態になると言われていて、長い人生に影響を与え続けるとされている。
満4歳児からの幼稚園は2年間ほとんど休みなく出席できた、幸せだった、
家庭連絡簿が一通(4歳児クラス2学期・3学期の観察記述)残っている、記載する。
2学期:幼稚園生活に馴染み、友達を大切に思いながら広之君なりに精一杯頑張っています。
生活習慣面では、自分の身の回りのことを自分でするという気持ちになかなかなれず、とても苦痛のようでしたが、毎日の繰り返しの中でゆっくりではありますができるようになっています。
友達と一緒に遊びたいという気持ちが強く、誰とでもかかわっていくのですが、はじめての遊びには自信がなく、負けん気の強い所もあって、しばらくは教師と一緒に遊び、雰囲気に馴染むと気分がほぐれスムーズに仲間入りします。運動会ごっこでは走るのが速く、リレーでは活躍していました。
いろんな物へのこだわりが強く、きゅうに泣き出したりします。よく聞くと、丸の形が歪んでいるとか、紙が汚れているとかで、広之君に取れば大変な事のようです、でも機嫌はすぐ直り、気長く見守っていきたく思います。
3学期:3学期が始まりしばらくは、冬休み気分がぬけきれず集団生活のリズムを取り戻すまで時間が掛かりましたが、次第に友達の動きに合わせて行動できるようになってきました。
マラソンや乾布まさつもすすんで参加し、衣服の着脱もてきぱきできるようになり、少しずつ自分ですることの喜びがでてきました。
特に給食は嫌いな物でも努力して食べますし、おはしも正しく持つように気を付けているようです。
室内でグループで遊ぶことが多く、ゲーム的な遊びになると、勝つためにいろいろ考えをめぐらしています。
絵画は形に拘り、なかなか表現しようとしませんが、制作面ではやってみようとする態度が見られるようになりました、今の調子で年長になっても頑張りましょう。
出席日数1・2学期170/173 3学期52/56 合計欠席日数7日。
今でも恩師と言って良い程先生を慕っている、家庭連絡簿は私の一生の宝物である。
健康診断記録:乳歯虫歯、日本脳炎ワクチン接種、結膜炎、アレルギー性結膜炎と二重の表記になっている、耳鼻科検診は無く、耳科耳疾という項目があり異常無しである、視力は両目ともA。
だが小学1年で登校拒否に陥った、切っ掛けは音楽の時間中にズボンを下ろす悪戯をされた事だと記憶している、相手方の母親は子を連れて家まで来て謝ってくれ、和解したが、自分で歩いていくことが出来ず、学校が怖いと言って引き返したり登校しないようになった、引き返して何故行かないのか、との答えに風邪だと答え、熱を測るが平熱そのような事が続いた、徒歩での登校は諦め祖父がバイクで連れて行くようになった、好転すればそれで不登校は解決するはずだったが、好転はしなかった。
【未発見、未治療のアレルギー性鼻炎による大きな不快感を抱えていた所に、悪戯をされる、その悪戯でどれ程不快感を感じた心を参照する、参照した所不快感があり、大きな他害を受けたと錯覚する、そして大騒ぎになる。
シャクターとシンガーの情動の二要因説のラベリング理論で見ればこうなる。大人たちは個人の資質と未熟さの表れと理解し、学習や発達、成長により治る事を期待するしかないと考えていたのではないか。】
上記でトラブルになった彼は、何時の頃か転校して市内の別の学校に通っていて、たぶん転校の理由は家庭の事情だと思う…母子家庭で差別されがちで、そして私の祖母の対応が厳しかった、いわゆるあの子とは遊んではいけませんである、6年生のある日、卒業文集の作成のために彼に会いに先生は私を連れて行ったのです、お好み焼きを店舗で食べました、つまり学校はこの問題が私の不登校のきっかけと認識していたと推測できそうです。
祖父が学校へバイクで連れて行くのは難しくなり、父親が車で連れて行くようになった、車種はセフィーロである、CMは井上陽水が担当し食う、寝る、遊ぶ。がキャッチコピーの車種。
最初連れて行く時に、そもそも車に乗りたがらず、祖父と二人で車に押し込み、誘拐同然で連れて行かれ、玄関前で待っていた教師に引き渡され、私は大泣きをした、玄関横の廊下にランドセルと荷物と共に大泣きする私、ある種の晒し物でした。
毎朝父親に学校へ車で連れて行って貰うのだけど、家を出る時間は7時50分からと決めていました登校中の生徒を見ると怖いと私が言うので、時間を遅めにしているのです、学校に近づくにつれて、恐怖を感じて、帰りたい帰りたいと泣き出すのです、それで学校前に来ても怖いと降りられない、親の仕事は8時に店を開ける予定なので、機嫌が悪くなってきます、仕方ないと思います、家の主な収入源なので、このようなことをする時間は親には無いのです、ついには声を荒げ始めて「降りるんかい、降りないのかはっきりしろ」と怒鳴ります、私は降りる日もありますが、降りられず車は家に帰ります、親の機嫌はますます悪く、怒鳴り散らします、お前なんか死ね、死んでしまえ、縄買って来てやるから首を吊って死ねというのです。
家に帰り車から降りて、逃げるように家に帰り、布団に潜り込みます、精神的ショックからの昏倒と言って良いでしょう、2時間から3時間寝込み、10時半か11時か、回収車や竿だけ屋、営業車の生活音、件の登園拒否になった保育園の子供達の声が聞こえてきます、数百メートルは離れているのですが、まだ自然豊かな畦道や堤防沿いを走らせて運動させていてその声です、話が逸れましたね、昼に祖母の作る料理を食べ、その頃には親の機嫌も治りますが、時には祖母からも強く言われることがあり、母親がまともならおまえは折檻されて当然だ、生まれてこなければよかった等のようなことを言うのです、現在の反出生主義の走りでしょうか、でも仏教系宗教の目的は輪廻転生からの解脱=成仏であり、生まれてこないのが一番いいのだという主張はある意味正論なのでしょう、でも仏教の概念を知らなければ精神的虐待でしかありません。
学校が終わって兄や級友が帰ってくるまでゲームをしていました、低学年の頃はSFCが、高学年頃はニンテンドウ64やPSをしていたと思います、高学年の頃同級生が貸してくれたゲームは楽しかったです。
地域柄、新しく開発された土地で、住民のライフサイクルが同期していて、近しい学齢の子供たちが多く住んでいて家庭、学校以外の第3の遊び集団が形成されていました、これは現代でも新規開発された住宅地なら観察することができるでしょうか、その集団の外から団地に住む子も時には加わったりして、居心地は良かったと思います。
3歳上の兄の世代がその集団をリードしていて、その弟たちが加わって一つの道を占拠してボールで遊んでいました、車が来たら脇によって通す、他の家にボールが飛び込んだら、チャイムを鳴らして取って貰う等ルールに則って遊んでいましたね、家の中でテレビゲームで遊ぶ時間と、外で遊ぶ時間を半分ずつ取って遊ぶ感じで、日が暮れてあたりが暗くなるまで遊ぶ感じです、中学校に上がったらこの集団から退出して、中学校の友人と遊びに行動範囲を広げていくのでしょう。
話が脱線しすぎました、まあ兄とゲームをするのですが、対戦ゲームをして負けると、兄はきれるのです、コントローラーを叩きつけたりしました、【この時の兄は兄は鼻炎を患っているように推察します、鼻炎を患っていれば起こすだろう行動をしているのです。】、また私は学校へ行かない間、練習できるので上手です、接待プレイをできればよかったのでしょうが、それで喧嘩になる、相手は3歳年上ですから普通にボコられます、仲の良い私から見て4歳年上の近所の遊び集団の長は止めてくれたのですが、兄は抑えられずにエスカレートです、布団を被せて蹴りつける、果ては、性的な意味合いを含むと見られかねない暴力も受けました、どうしてこう歪曲に表現するのかと言えば目的が性的快楽ではなく、マウントを取って相手を辱め、自尊心を破壊する事が目的のように見えるからです、学校に行っていないやつが、どうして俺をイラつかせるのだ、弟の癖に…という事でしょう、学校のいじめでも良くある手法ですが、行う側の理由は様々です、ただの知的探求心から過去の経験による学習の出力、純粋な悪意まであります、私は被害を受けました…これを連鎖させてしまいました、加害者側になってしまったのです、親による児童虐待の世代間連鎖は20数年のサイクルが掛かりますが、児童間暴力は速い速度で次の世代、次の世代へと連鎖します、何故なら、行えば一時的にマウントを取る側になれて、ストレスから解放されるからです、ですが一瞬の開放、快楽と引き換えに永遠の苦しみを得ます、もうただの被害者ではない、加害者になってしまった、今まで被害者として兄を心の中で恨んでいた言葉が自身に帰ってきます、こうなると、自身でケアすることは出来ませんが、隠し通してしまいました、隠し通せば通すほど深刻化していくのです、誰か大人に加害を止めてもらって適切に叱られるか、心理専門職のケアを受けるべきでしょう。高学年の通知表に影響が出たのはこの影響と考えられます。
じゃあこれが不登校問題の根本原因か、と言えば違います、高学年に起きた現象がより低学年の時や、保育園の私に影響を与えることはありません、因果関係が破綻してしまいます。
3年か4年生の時、兄と喧嘩をして、台所にある包丁を掴みました、これで刺しておけば、自分は児童相談所に保護されたのでしょうが、自制が効きました、さすがに家もやばいと思ったのか兄は母方の家で暮らすようになり、一応防衛は出来たのでしょう、その時の喧嘩で破壊された家の傷があります。
2年生前後の頃、学校の参観日に親からホケンの人が行くと聞かされました、要するに児童相談所か地域の民生委員は、虐待の問題ないだろうか探りに来たのでしょう、私もホケンの人と話して、後に母親にこういうことがあってねと話したら母親は何が起こったのか察して、家に電話をかけました。
当事者は私なのですから、どういう嫌疑で接触したのか明かして貰えないと、救援の求めようがないじゃありませんか、主権者は子供では無いのですか。
何かの牽制のつもりだったのなら、親は間違ったことをしているという認識が無いので無意味です。
小学1学年の通知表:1学期学習の様子、行動の様子はだいたいできる/もうすこしがんばろうの2段階評価であり、体育の元気よく運動するがもうすこしがんばろうになっていて、加筆されプールもがんばろうねとある、それ以外だいたいできるとなっている。
出席日数は76/80、担任のことば:毎日、元気に頑張れました、学習中は真面目に課題に取り組むことができました、又、初めてプールに入った日、こちらから声をかけなくても自分で入ることができてえらかったです、これからも何事もまずやってみるということが大切です。担任印
【プールも頑張ろうと書かれている=全体として駄目だったが、初回は入れたとあり、次回以降は入らなくなった…という事は行動が変化したのであり、人間や動物の行動の変化は快・不快によって変化する、
アレルギー性鼻炎はプールによって悪化する病気であり、悪化すれば不快感を伴い、行動の変化をもたらし、このような評価になったのではないか。】
1年生2学期、3学期の学習のようす、評定、観点の所見共に3段階評価であり初見は優、劣のみ記載する、何も記載されない物はふつうである。
国語教科評定:中 観点の所見が優:2学期文を正しく読みとる。
観点の所見が劣;2学期のみ、自分の考えや感じたことを書く。 2学期、3学期かなや漢字を正しく書く。
算数教科評定:中 所見優:2学期 数や計算の意味を理解し、計算をする。所見が劣:基本的な図形が分かり。観察したり、作図したりする。
生活教科所見優:2学期3学期 遊ぶ、育てる、作る、調べるなどの活動に楽しく取り組む。
音楽教科所見劣:3学期楽器を上手に使う。
図工教科所見劣:2学期楽しく表現に取り組む。絵や版画で豊かな表現をする。
体育教科所見劣:3学期色々な運動ができる。
行動のようす
学習のじゅんびを忘れない。劣:2学期3学期
登板のかかりやしごとをねっしんにする。劣:3学期
やくそくやきまりを守る。劣;2学期
身のまわりの整理整とんをする。劣:2学期3学期
人の話をしっかり聞ける。劣:3学期
出席日数は2学期65/87 3学期49/57 ※1年生の年間欠席日数は34日である、不登校は年間30日以上を不登校とするという基準と早退や遅刻の評価が無く、授業の出席時間数も記載されない点、学校の敷地に来ていれば登校とカウントできる点を念頭に置いて頂きたい。(これは児童の努力を認め、配慮する美点であると同時に教育サービスを提供できていなかった可能性を覆い隠す悪習でもある。)
担任の言葉:二学期げんきにがんばれました、係の仕事も声をかければがんばってできました。これからも、自分からやってみようという気持ちをもってがんばりましょう。三学期:進級おめでとうございます一年間よくがんばれました。担任印 1学期とは担任印が違っている、筆跡は…同じとみえる。
健康診断の記録:齲歯、ツベルクリン反応+ 視力Aその他異常無しである、2.3年の健康診断記録は紛失しており、健康診断の記録は1年と456年の記録のみが残っている、4年外斜視の疑いあり、姿勢右肩下がり、5.6年には視力低下が記録されていて、5年に行われたモアレ検診は受けていない、嫌がって受けなかったのだ、後日連れて行かれたがそこでも拒否である、概ね健康診断は行われた時は受けている。概ね肥満度は±2%以内であり、若干身長が高めである、耳鼻科の健康診断は1,3学年のみの実施となっている。
(登校拒否が始まってからの私を思い返すと、どもり、緘黙、睡眠時驚愕症、服やタオルを噛む癖、爪を噛む等がありストレス抱えていたんだなと思います。)
小学2年生の通知表:
国語教科評定:1-3学期共に中。観点の所見が劣:自分の考えや感じたとこを書く。(3学期)自分の考えを話す(2学期)文字を整えて書く(1-3学期)かなや漢字を正しく書く。(1-3学期)
算数教科評定1学期上2、3学期中。観点の所見が優:物の計算や意味を理解し、計算する。(2.3学期)
量の意味が分かり量の大きさ比べや測定をする。すじ道をたてて考える。
生活教科観点が優:いろいろの活動を通して新しい事に気づく。(1学期) 劣:感じたこと、思ったこと、考えたことを表現する。
音楽教科観点が劣:楽しく歌う(1学期3学期)楽器を上手に使う(3学期)興味を持って聞く(2学期)
図工教科観点が劣:絵や版画で豊かな表現をする(1-3学期)粘土で豊かな表現をする(3学期)工夫をしてものを作る(1-2学期)
行動のようす:優:あいさつができる。(1-3学期)当番や係のしごとをねっしんにする、(3学期)
劣:学習のじゅんびを忘れない。(1-3学期)みんなと仲良く遊べる(1-2学期)やくそくやきまりを守る(1-3学期)身のまわりの整理整頓をする(1-3学期)けんこうや安全に気を付ける。(1-3学期)
好ききらいせずに楽しく食べる。(2学期)
担任のことば:1学期、4月当初に比べると、学校へうまく来られるようになっているなと思います。
また宿題もやってこられるようになり、これからだなと思っています、2学期は欠席なしを目標に頑張りましょう、学力は十分にあります、がんばってね。2学期、1学期に比べると当校は良くなってきたと喜んでいたのに後半欠席が多く残念です、学習能力は抜群なのにもったいないです。3学期:とても頑張って学校へ来れてうれしいです。
出席日数:1学期64/76 2学期70/86 3学期54/57 合計欠席日数31日。
3年生の通知表は紛失した。
4年生の通知表:国語教科評定3学期とも中である。観点の所見が優:自分の考えを話す。(1学期)文章の内容を読み取る。(1学期2学期)話の内容をききわける。(2.3学期)観点の所見が劣:自分の考えや感じたことを書く。(1-3学期)文章を整えて書く(1-3学期)漢字の送りがなを正しく書く。(1-3学期)
社会教科評定:3学期とも上である、観点の所見が優:世の中の出来事やようすがわかる。(1-2学期)観察したり調べたりする。(3学期)物事を正しくとらえ、判断をする。(3学期)興味を持って取り組む。(2学期)
算数教科評定:3学期とも中である。観点の所見が劣:数の計算や意味を理解し、計算をする(1-2学期)
理科教科評定:3学期とも優である。観点の所見が優:自然のようすがわかる。(1-3学期)興味を持って取り組む。(1-3学期)
音楽教科評定:1.2学期が中で3学期が下である、観点の所見が優;興味を持って聞く(1-3学期)
観点の表情が劣:楽しく歌う(2学期)楽器を使い演奏を楽しむ。(1.3学期)楽譜や記号が分かる(3学期)
図工と体育共に下であり、観点は書かれていない、参加しなかったものと推測される。
行動のようす:人の話をしっかり聞ける(2-3学期が優) 劣;学習の準備を忘れない。(1-3学期)身のまわりの整理整頓をする(1-3学期)
担任のことば;(1)理解力があり、特に算数では次々と学習を進めていくことができました。今後は計算や漢字など各自鬱に定着させるため、忘れず練習していきましょう。
(2)音楽の時間、意欲的に合奏の練習をすることができ、たいこをとても上手にたたくことができました。漢字の練習などコツコツと学習することの大切さにも気づいていけたらもっと持っている力を延ばしていける事でしょう。(3)周回発表ではスライドをとても上手にうつしてくれましたね。五年生でも何事にも前向きに参加して言って下さい、進級おめでとう。
5年生の通知表は紛失している、6年生の先生と同じ方である、6年の担任のことばを読む限り、6年生の状況より悪そうである。
6年生の通知表は教科の評定はされていない、ほとんど教室に行けなくなっていて、別室登校、保健室登校になった影響と推察する。
行動のようす:学習の準備を整える、身のまわりの整理整頓をする、当番や係のしごとを熱心にする(1学期2学期)マナーを守り楽しく食べられる(1学期2学期)、これらは無評価である。
行動のようすが優:みんなと仲良くできる(1-3学期)自分の考えをはっきり言える(1学期)
行動のようすが劣;あいさつができる(1-3学期)
評定のページにA4サイズの紙が3枚貼りつけられ、担任のことばが長く語られている、教室へ行けなくなったので代わりに長く書いてくれたのだろう。
担任のことば:1学期は友達と遊ぶことが増え、休み時間はほとんどいつも6年のワークルームで遊んでいます。
9-10時頃に投稿し大休けい前になると、教室の外へ来て、授業が終わるのを待っていることが多い。
調子の良い日は廊下で町ながら授業をいっしょに受ける。もっと調子の良い日には席について授業を受ける。
6月末には2日続けて朝から帰りまでほとんどずっとクラスメイトと一緒に行動した事があった。その日には理科の人体の学習で発表もするし、国語のテストも受け、聞き取りのテストはとてもいい成績でした。しかし、一日出来たからと言って「次も…」というのは岡田君にとってプレッシャーになりそうなので、声かけはしていない。
この1学期は以前に比べて教室付近ですごす時間が増え、また図工など1組だけでなく、2組の学習にも参加している、投稿がスムーズになり、欠席も4/30(遠足)5/24(眼科受診)6/1(調子が悪い)7/6(かぜ)の4日だけであったこともうれしいことだ。
2学期も、毎日の生活は1学期と同じように過ぎていきました。
新しい経験は運動会マスゲームのテープ係を本部のテストでやったり、こども科学館への社会見学、卒業アルバムの写真撮影などがありましたが、その中でも一番は修学旅行参加です、「泊まるのは無理」だから「修学旅行の参加は無理」と考えるのではなく「泊まるのは無理」なら「一日だけ参加しよう」というように柔軟に考えたことで修学旅行に出かけ思い出を作りました。これからもこのような柔軟な考え方で岡田君の経験を増やしていくことができると思う。そのためには修学旅行でお父さんにわざわざ京都まで来ていただいた様に、大へんな御協力をお願いすることになるかもしれませんが。でも、御協力のおかげで修学旅行にだって参加できたのですから。これからも「どうしたら岡田君のがんばりや経験を増やせるのか」を考えて行きたいと考えています。
6年生の発表周回のため、ライト係のしごとを覚え、参観日には〇〇君と協力して劇を盛り上げてくれました。文集は本人の意思で参加しなかったけれど、自分の考えを言えたので良かったなと思います。
お別れ遠足送られる会と友達といっしょに行動していい思い出が増えたようです。人前に出る事が苦手な岡田君が舞台に並んでいるのを見て、とてもうれしく思いました。お別れ会の「人間バスケット」などでもとても楽しんで、いきいきしていました。
そして卒業式。練習に参加して舞台で証書を受けとり。呼びかけをし。みんな一緒に歌う姿を見て1つ峠を越えたような気がします。
中学校でも、楽しい思い出を作ってくれることを期待しています。
出欠日数1学期73/77 2学期76/84欠席8が訂正され訂正印により欠席12とされている。3学期52/54
合計欠席日数16日
中学校の通知表と健康診断記録は残っていない。
私の記憶によれば、徒歩通学は無理であった、1学年1学期の中間テストまで授業を受けたが、その後級友にガンを付けられたと感じ攻撃、トラブルに、そして保健室登校になった。
この頃、耳鼻科へ受診して蓄膿症の治療をした、膿性の鼻汁から透明の鼻汁に変わり、蓄膿症は治ったと判断し通院を止める。やめる時にもいざこざがあった、私はこの薬は飲めないもう一度診断を受けなおさせてくれと言ったのだが、親はその薬を飲まないのなら医者に行く意味が無いと親はきれた。
出された薬は院内処方の為、処方箋が無く分からない、マクロライド系の抗菌薬を継続服用したと私は理解している。どうして受診したのか合理的に考えて、学校の検診で治療の必要ありと促されたのだろう、1学期の健康診断に参加した覚えがある、それ以外に機会が無いのである。
※蓄膿症、副鼻腔炎とは鼻炎が発生した時に細菌感染が成立して発生する病気であり膿が入った黄色い鼻水になる、アレルギー性鼻炎は透明である…
以降、1年の中盤から2年、3年と授業に出られず、保健室で寝て過ごしていた、3年のある時、担任の男性教員とトラブルになり登校を止める。
高校は近くの高校に進学、1学期の中盤でトラブルを起こし、以降行かなくなる、3年在籍しやめる。
囲碁部で個人戦県内2位の成績を残し、全国大会や近畿大会に出場した。
私はずっと自身の不登校に悩み続け、高認を取ったが、進学しても不登校になれば金を浪費する事になるのを恐れ、母親の使っていた教職の専門書と無料で利用できる放送講義やインターネット検索で情報を集め考え、ネトゲや掲示板、ネット小説で息抜きをしつつ過ごした、資金は親のすねをかじってはいたが節約、節制である、株式運用で生活費を賄っている。
人生のレールから外れているが、人の道を歩きたいと望んでいる。
学位は無いけれど、学習時間と意欲と洞察力と想像力は負けない。
社会に出てはいないが、他者を思いやる義侠心は人一番あると自負している。
私の天職は教育者であり、10代後半の頃に教員や養護施設の先生、いずれは親や里親になりたいと願っていたが、これらの職業は学歴を得て教員免許を得たり、配偶者を得なければならず、不登校を経験した事で進学に関する情報が無い、19歳の時に高認は取ったが、体力面で問題があり、歩いて体力を戻す、毎日2時間から3時間程度歩いた、22歳の頃、2009年、障害者差別解消法ができ、合理的配慮を求められないか考えた、漢字の学習が不調だったのは書字障害の可能性がある、義務教育分+αの漢字学習教材を買って、ノートに書いて埋めていく…多少は書けるようになったが、漢字を想起する事が上手くいかず、書けないのだ、小学生の頃から上手くいっていなかった、書字障害はこの頃には研究が進んでいて、論文を読んだ、音韻と書字の連合が上手くいかないと漢字の書字障害になるのではないかとの研究があった、つまり、発話が上手くいかない状況になっていると漢字の学習が躓きやすく、難しいということだ、私の場合ストレス性のどもり、緘黙の状況に、登校されるときにストレスでなっていたように思う、後ほどわかる事だが未治療のアレルギー性鼻炎もあるとなると、音読を渋ったり喋る口数も減るのではないか。
2012年頃、放送大学の放送番組を聴講し始め、母親の実家から教育関係の教科書を貰い学ぶ、放送大学では心理臨床や心理学の講義が充実していて、外国語や数学以外は概ね視聴した、内観法という、自身に起きた経験とその時の心の動きを想起する方法が紹介され、やってみた、思い出した内容をPCのメモ帳に書いて家に残ってた通知表等の資料と突き合わせていく…、これは家でやってはいけなかった、昔、親に言われたことが蘇りその言葉を親や家族にぶつけた。
2014年頃、学校や行政に対して、無理やり登校させたのが問題だった(登校をさせたときに暴力が介在し、その結果緘黙やどもりになり学習障害が発生した等々)のではないかと訴訟を検討するが、これは無理であった、当時の教員は去っており、見つからず話も聞けない、学校の指導要録等の資料は廃棄されてしまっている、学校へ来ない子供の親に登校を指示するのはまあ通常の業務内という事だろう。
この頃に、耳鼻科でアレルギー性疾患の診断を受け、治療を始め継続している、けれどまだ鼻炎が不登校の原因だとは気が付かなかった。
そして不登校は私だけでは無く日本全国に蔓延している原因は何だろうか、という「不登校問題」そのものの根源へと関心が移っていき、2021年ごろ、一つの学校、行政側の失策、違法行為を見つけて、仮説を紡いでいった。
私の仮説とは学校の健康診断において、耳鼻科検診が法律の通りに行われていない事で、健診の機会を逸し、耳鼻疾患が治療に到らず、その耳鼻疾患の影響で児童生徒が「学校恐怖症」「学習の不調」「生徒間のコミュニケーションの失敗、いじめ等の被害提訴、防衛的攻撃」「睡眠障害」「いじめ等の加害」「自律神経の乱れ、起立性調節障害」等々を引き起こし、それが不登校増加や少年非行増加の原因になったのでは、というものだ。
私は幼稚園の健康診断でアレルギー性結膜炎との診断を受けていて、アレルギー性鼻炎も当然患っていたと推測できる、例えば花粉症とはアレルギー性鼻炎の症状とアレルギー性結膜炎の二つで一つ、通年性のダニアレルギーでもこの二つの病気は併発する、不登校とは通年性ダニアレルギーによる鼻炎が根本ではないかと言いたいのだ、ダニアレルギーは甘く見てはいけない、花粉症とは違い、自己認識されずらいという特性があり、本人が思ってるよりずっと重い症状に実際はなっている、学校で検診は小学校6年間で2回しかなく、異常は指摘されず治療はされなかった、故に不登校に陥っていたと考えるのだ。
1981年に、日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会が「重点的健康診断について」という論文を公表していて、この前後に学校が法令の基準以下の健診方法を実施するようになっていったことは想像に難くない、そして必要な法の改正をしておらず、耳鼻科の学校医も違法の状態であると承知をして行っている、それに応じて不登校が大きく増加し、少年非行の第三の波が起こっているのだ、私は怒りに震えた。
法令にはすべて意味がある、法律は保護する対象を守るために制定されていて保護する対象を「保護法益」と呼ぶ、法を破ると保護法益を損なう、これは真理である、例として道路交通法が破られていると事故が発生する、食品衛生法を破れば食中毒等の危険が生じる。
逆に道路交通法を守りつつ事故を生じさせるのは難しいのではないか、食品衛生法を順守して、偶然に食中毒が起きるだろうか。
行政が破ったのは学校教育法、学校保健法等々であり、これらの保護法益は児童の健康と学習権、社会権等の権利の保証の確保、ひいては社会や国家の利益ではないか。
疾病を治療されず、学校へ行くことが困難になり教育を受けられなかった者は日本では大変な不利益を受ける、学校は社会へ入っていくために通らなければならない場所であるから、
学校へ行けなければ社会からも排除される、そして学校が機能しなくなれば、本来なら労働参加できた者が参加しないことになり社会は活力を失い衰退に向かい、国家も衰える。
当然である、本来は日本の権力構造は一番上に国民、国民に選ばれた国会議員、国会議員に選ばれた内閣、内閣に仕える各種行政機関と役人、各種行政機関の依頼を得て働く専門職=耳鼻科医であるに関わらず、それらがすべて逆転しているのだから、何時から国会の上に耳鼻科学会が君臨したのだろうか、あまりにも馬鹿げている。
耳鼻科学会内で議論したとしても、都合の良い情報のみを取り、都合の悪い情報は無視をして進めてしまうだろう、「集団思考」に陥りやすい条件がすべてそろっているではないか。
そして罪は結局は国民に帰結するのではないだろうか、それが民主主義国家である、国民は行政が勝手なことをしないように監視する義務があったのではないか。
私は幸せなことに家に生きていく最低限のお金があり、困窮しなかったが、より貧しきものはどうなっただろうか、警察に補導され、鑑別所、感化院や少年院…人生の裏道見ることになった者はいないか。
少年審判は少年が非行に至った原因を究明することを目的とすると言うが、学校、行政が無法をしている可能性を検討したのだろうか、少年審判に国選弁護人は付かないのである。
小学校の同級生に少年院に行った人がいると聞いた、その子は小児喘息で体育を休んでいたのを私は記憶していて、小児喘息とはアレルギー性の喘息であることは想像でき、ならば私と同じように鼻炎を治療されなかったのではないか…その結果が少年院への収容だとすれば…見ている神(読者)は憤りと憐れみを持って下さるのではないか。(喘息とアレルギー性鼻炎は一つの気道、一つの疾患として一体的な病気であると理解されている、ワンエアウェイ、ワンディジーズである、アレルギー性鼻炎を治療することで喘息の症状も和らぎ、逆もまた然りという事らしい。)
私は訴訟を考えた、自分が原告となって、国と地方行政を相手取り国家賠償請求訴訟を行い、是正しようとした、正直言って険しい道である、資金も労力もかかる、そして、この物語の中では敗訴した、一人では無理だったのだ、社会に発信して仲間を募るべきだった、でも人を信じられない性格に育ってしまっている故に、今まで一人で調べる道を進み続けた、司法書士に長年相談をして協力して貰い、書面を作成して提出したが、相手は国で専門の部門、法務省訟務局が対応し資金も人員も豊富である、私は一人で学歴も無く無名である、この物語内の日本では説が正しいか否かではなく、誰が言ったかで裁判をするらしい、学者は口を噤み、国は金を使い、有利な証言を買い、司法は国の味方であった。
勇者や英雄、神の使いの類、ユニコーンや麒麟が現れて、国が好転し全てが良くなることを望むのに、誰かが手を上げたら値踏み、袋叩きにして殺すのだ、獲麟である。
私に神仏の加護や後光が無かったのが原因であろう、私は生まれた時から何かに呪われている、穢れている、私を生んだから母親は統合失調症を発症したのだ…などと考えた時もある、ピアジェによれば子供は自己中心性を持った思考をするものだそうだ、我儘な人という自己中ではなく、身の回りで起きた出来事は自分が原因で起きた事だと考える、私は前世に何か大きな罪を犯しているのかもしれない。
私は『韓非子』(和氏篇十三)に登場する和氏だったと自嘲し、自分の人生を振り返る、不登校でいる間と自身の不登校を考え、訴訟をしようと動いている間にもう三十の後半、裁判が長引けば四十を超える、何かの職業を選び進学したり就職をする年ではない、既に家族は死んで一人で生活をしているが酷い孤独に襲われる。
(現在不登校の家族を抱えている方や学校関係者へ、耳鼻科へ連れて行って病気がないか確認してください、何らかのアレルギー性疾患を患っているならアレルギー性鼻炎を疑い、継続的に治療を受けさせてください、それだけで好転する可能性があります。
深刻化して引きこもりになってる方のご家族の方へ、とりあえず身体的な疾患がないか、
小中の健康診断記録があるならよく読んで、過去治療していない疾患があったなら治療する所から回復を図るといいと思います、私も検診記録を何十回も読み込み、これ不味いのではと思った次第です。
またお子さんはあなたが死んでも何とか生きていけるし、生活保護を貰えば自活できるくらいはできます、その前準備として家事や簡単な料理を覚えさせましょう、抱え込めばあなたは早死にします、ただ民間の有料サービスは悪質業者では無いかと疑いましょう、狼は羊の皮をかぶって現れてお金を持っていきます、楽をしようとすれば付け込まれより苦境へと追い込まれます、行政を使うべきです、外出できる所まで回復すればいろいろな支援事業にも参加できると思います。
また子供に家の資産状況を説明して認識を共有するべきです、資金が無いのを分かれば考え、動き始めると思います、特に兄弟姉妹がいるなら財産相続も絡んでくるので、関係者全員で話しておくべきです、紛糾したら司法書士、弁護士を使いましょう。私は骨肉の争いしましたよ、裁判の経験を積むためにはいい経験になりましたが。
私と同じように耳鼻科検診の不実施があるならば訴訟も手でしょう…此方も日本では険しい道です。)
地域は既に衰退の兆候があり、もう同級生は同じ地域にいない、都会へ転出していった、同級生の成功と幸福を祈るばかりだ、周りから上手くいってるように見える人にも悩みがあり、
落伍者の私にも喜びはある…だが、可愛かった幼馴染は結婚をして子供もいると風の噂に聞いた。
スーパーが撤退し最寄りのスーパーまで徒歩で片道一時間半かかるようになった、移動スーパーを利用しているが利用料が掛かり支出も増えた、鉄道があるからまだ良いが、いずれ廃線となり、地域の衰退に拍車をかけるだろう、そして最後に小学校の統廃合も決まり、無くなる時が来るだろう、当時は怖くて逃げていたが今は学校が愛おしく感じる、愛憎というのか、いずれ誰もこの校舎に通わなくなり、校舎は死体のように存在し続ける、私は時にその校舎を眺めに行き、賑やかな空間を呼び起こすだろう、あの空間に加わって居たかった、何時までも何時までも。
もし自殺を選択する時が来たのなら、学校に忍び込み屋上に上り、校門をみえる位置にロープを掛けて首を括ろうと考えていた、そこからなら通っていた幼稚園が見える筈だ、引きこもっている間に廃園になり、今は別の幼保園が移転し新しい建物が建てられ活動が始められている、且つて生活していた教育機関が消え去る悲しさは私だけの物だろうか、全国的にこれからの日本で見られる光景だろう、漢詩の春望を詠んで寂しさを紛らわす、今までは復興しただろうがこれからは野に帰り、いずれ森林の中に学校の遺体があるようになる。
自殺に難しい方法を取ろうと考えるのは衝動的に自殺しないための自分なりの自己防衛だと考える、そして恐ろしい事に…拡大自殺も頭に過って危険な時があった、
私はこう考えて抑えた、起こした後に刑事裁判で弁明するより、先に民事裁判を起こしたり、立候補して自分の境遇と社会の不平を訴え改善を求めるのが筋ではないか、という事だ。
また本当に業腹で学校、耳鼻科医、行政、国、国民が憎いので滅ぼしてやりたいと心から思っているけれども、仮に人の身で大量殺人を計画して実行しても殺せるのはせいぜい数十人だろう、それだけ殺人をしても、統計的には誤差である、何もしなくても毎年50万人も日本人は減っていく、何より社会全体で悪事をしたのに一部の人に被害が集中するのは不公平だろう、それよりも不遇の今を耐え抜いて、人生を生き抜いたなら…どれ程惨めでも、誰かが褒めてくれる人がいる筈とキリストの垂訓を心に刻んだのだ。
家族の死で様々な宗教を学んだけれど、私は一つの宗教に帰依はしない、神仏に救いを求めるではなく神仏の知恵を借りて救う側に立ちたいのだ…ありとあらゆる宗教宗派や学問の理論を糧として自身を教祖とし、他者に布教をしないで一人で研究を続ける宗教ならば、悪徳宗教に引っかかる可能性は無く、誰かを惑わせることも無く、他人の宗教を否定しない寛容な考え方が出来るようになると思う、別に私だけの思考ではなく、日本人で無宗教という人は実はこのような考えでは無いだろうか、だが海外で無宗教というと完全な野蛮人というイメージである、宗教の役割として教化という側面があり、無宗教=教化されていない人=野蛮人という事だ。
確かにそういう日本人も見かけることはあるけれど、そこまで多くない。
どう呼称するのが適当なのかは分からない、無宗派でもない…、ただ日本はインド→中国→日本に伝来した仏教と中国から日本に伝来した道教、儒教、土着信仰である新道、さらにキリスト教が調和した素晴らしい宗教観を持っていると思う、身に沁みついているから無宗教であると答えてしまうのではないだろうか。
ただし、日本神道となると、仏教や儒教、道教の要素に、西欧の国家宗教的な帝国主義の傾向があり、それが身に沁みついていて、無宗教であるという自認になり、日本神道的な宗教感で思考し、行動してしまっていないだろうか、日本新道の根幹は国生み、神生み、黄泉国訪問、天照大御神が生まれ、天孫降臨と天皇家の正当性を主張する為の物である。
誤解されない為に書くが、昭和天皇は戦後罪を償い続け、責任を全うしたと思っているし、上皇様、天皇陛下も国民の心を慰撫し、皇室外交によって、日本に貢献して下さっている。
私が問題と思うのは国生み、神生み神話に置いて、親殺し、子殺しが扱われていることが、日本の子供の扱いに対して厳しい影響を与えていないだろうかという点だ、日本は子供を大事していると思いたい一方で、第二次大戦後の戦災児、浮浪児への扱いが余りにも惨かったのではないか、戦後を過ぎても、多数の児童養護施設で虐待が行われ放置された。
改善の動きが始まるのは1995年に千葉県船橋市の児童養護施設「恩寵園」で起きた虐待事件を受けて2002年に児童福祉法が改正されてからである、胸糞事件なので、知らない読者は見てほしい。
孤児のみならず学校教育や保育所で体罰は当然であったし、家庭でも当然であった、そして現在では子供を育てづらい社会であるとの訴えが多い。
保育園や幼稚園、学校の周辺住民が子供の声が騒音であるとして追及してくるのは、日本、韓国、中国ぐらいでは無いだろうか、これらは少子化の最前線を走っている国々である。
言うまでもないことだが、明治に入って国家神道が国教となり、教科書でも日本神話は取り入れられ、国民の価値観として児童軽視、男尊女卑は刷り込まれていったのは想像に難くないし、戦局が厳しくなるにつれ、教育もより皇国的な物になっていったのではないだろうか、鬼畜米英と言って、国家権力以外の者を弾圧しただろう、教育家は別だったと言えるだろうか、踏み絵を行い、従わぬものを追放したのではないか、国が行わずとも、国の意向を忖度して国民が焼き討ちを行うのだ、
そもそも、敗戦が決まった時に公的文書を焼き払うなど誰に対して何を隠したのだ、敵国に対してのみらず、善良だった自国民からの追及を避けるためだったのではないか、公職追放となった戦犯たちは、次々と公職復帰を果たして帰ってきた、禊は中途半端に終わった、形を変えて大日本帝国は現代に蘇っている、担ぐ神輿が国家神道から新自由主義に変わっただけではないか、私が戦前の事を引っ張ってくるのは理由がある。
重点的健康診断を決めた医師はおそらく、当時の60代の方が多かったのではないか、先の大戦で徴兵された方もいるのではないか、それならば大日本帝国軍の悪習も引き継いでいないだろうか、法規や軍旗を破り、自身の属している集団利益を優先とする員数主義である、それが影響したのならば、もう同じ過ちは犯しませんと誓った平和への祈りを破っていないだろうか。
いよいよ話を本題の異世界転生or転移に進むのだけれど、異世界転生をするためには神の力、即ち宗教の力を借りるのが手っ取り早い、化学の力でこの世と異世界の境界をぶち壊して移動するという方法もあるが、これはSFの分野になり私には到底不可能である、どれほど学べば可能になるだろうか、私は子孫を残せないので未来からSF的な何かが来たりはしないのである。
異界の神が特別な能力を持つ人間を必要としていて、今までニートだった私を見つけ、呼び出してくれて、その転生先が自分に都合の良い世界などという、ご都合展開は読者もお腹いっぱいに違いない、読者もお話の中にいる私からすれば上界の神であり、そのような展開はお許しにならず執筆してる神にこの展開はおかしいと苦言を呈し、本を閉じて物語が動かなくなるに違いない、私が転生するためには転生する必然の理が必要になる、ふんわりとした神様ではなく、特定の神様でなくてはならない、多数の神に問いかけても救ってはくれない、傍観者効果で誰か助けて下さいでは誰も助けてくれない、自分以外の他の神が助けを出すだろうと様子見をするのだ。
勇気を出して特定の神を指定して助けを求めないといけない、その神と私に何らかの縁があると主張しなければいけない。
神生み神話の火之迦具土神と私の罪は出生によって母を殺したという点で同質性があると考えた、火之迦具土神は出生により母は死亡し、黄泉に囚われ黄泉津大神となった。
火之迦具土神は父の振るう神剣「天之尾羽張」によって殺され、様々な神が生まれるが、火之迦具土神のその後は記述されていない、その後は私が語ろう、火之迦具土神は神格を表す権能を剥奪され只人となり
私たちの住む現世、葦原中国の庶民の子として転生を続ける宿命を背負った、加具土命は権能を失っても神であるから、宿った庶民の母を病ませ、殺してしまう、そして孤児として乳の味を知らずに育ち、生涯女を知らずに苦しみの中で生き、死を迎えるが黄泉の国へは行けず、次の女の腹に宿る。
彼がこのような罰を受ける事になったのは、①母神である伊邪那美を殺した尊属殺である。②彼の尊属殺により、神生みは完遂されず、神が足らぬ故に不完全な世界となり、現世は悲しみの絶えない世界となった、①と②の要素がある罪は現世の法では大逆罪に当たると考える、大逆罪は死罪よりも重い罰として族殺や凌遅刑が規定されている場合も有る。
彼は数多の生涯の中で、常に苦しみながらも、自らの宿命を考え、気づき、時には国を支え、国に尽くし、国に諫言し、国に反逆して死んだ、神の権能を表せなくても、伊邪那岐と伊邪那美の実子である、彼は出世し贅沢をするために努力をしているのではない、罪を贖い、母を生き返し、両親の再婚を願い、両親の子としてもう一度生まれたいと願っているのだ。
このように設定して、自分と神に深い縁がある…と思いこみ、普通ならば祀っている神社に足を運び、お賽銭を奮発し、神と対話を続けるのが良い…のだと思う、神社に仕えて、ボランティアをし、そこに伊邪那美様が居ると振舞い、心の平穏を保ちつつ余生を終えて、亡くなった時にお迎え頂けるかもしれない、夫や実子または里子として迎えてもらい癒して貰えると思い込めば幸福に死ねる、黄泉津大神としての性質から死を安らかに、ピンピンコロリしてもらえるかもしれない、ゾンビっ子フェチ属性も行けるなら尚良しだが、逆にいざ対面した時に逃げ出せば、伊邪那岐の二の舞になるので注意が必要…精神力を鍛えておく必要があるか、これから孤独死する予定である私に相応しい…深く信仰すれば、財布の紐も少しは緩くなるだろう。
神社がもし現世の児童福祉へのチャリティー性を打ち出せば、注目を浴びて、信仰者も増えるのではないかと提言する、何度も言うが日本は恵まれない子への保証が少ないのだ、全日本で子育て、子の育ちを応援する必要があるが、それは税金によって取っていくだけでは国民の対立を煽ることになる、なぜ子供を作れる恵まれた家のために貧しい一人の私がお金を払うのだと…来世利益を夢見させてくれるのは宗教であり、日本の在来宗教に担って貰いたい、日本人を食い物にする悪徳宗教は要らない。
(皇室が行う位階の贈呈や褒章の付与がそれなんだろうけど、長年公共事業に勤め上げた人が最低ラインであり、縁遠い話である、そのような職にも付けない人は居るだろう。)
だが、ここはネット小説の場、そのような事よりも、定番の異世界トラックや転生チートだろ!との電波を受信して話を戻す、国生み神話や黄泉国訪問神話は天照大御神に都合の良いように書かれている、伊邪那美の火の神を生んでそのせいで死んだ、というのは執筆者や編纂者、当時の天皇家の意向が多大に含まれているのだ、火之加具土命は天照大御神やスサノオの兄に当たり皇位継承権は上位である、天照大御神やスサノオが加具土命を誅殺し、隠蔽するための作話とも読める、または伊邪那岐と加具土命が対立して加具土命が殺され、怒った伊邪那美が離婚を申し渡し黄泉国へ加具土命を探しに出かけ、伊邪那岐が追いかけたという可能性もある、この場合、加具土命が伊邪那美を殺したというのは、伊邪那美が生まれてきた子を可愛がるあまり、夫と妻の中が疎遠になり、これが夫にある帝にとっては妻の死であり、我が子が死ねば妻は前の優しい妻にと子殺しをしたが鬼の形相で追いかけられる伊邪那岐…反撃して妻を殺し、そして自殺。
現代でも良く流れるニュースである、または加具土命が養子で天照大御神たちが実子、またはその逆…真相は闇の中、どこの皇室も男子継承故に、歴史書が帝に都合のいいように書かれるのは常である…、
伊邪那岐が縄文人の王であり、天照大御神が渡来系の弥生人の王であり侵略を禅譲という形で正当化した物であるとも考えられる。
シュレディンガーの猫ならぬ、シュレディンガーの伊邪那美様、伊邪那美様ガチャなのだ、多様な伊邪那美様が居るならば、私が火之加具土命と名乗る声を拾ってくれる伊邪那美様が居てもいいだろう、私は転生や転移が叶うのだ、彼女は死も司る女神様、一日千人も日本に住む憐れな者を黄泉国へ導いてくださる、死は救いである、私は生の執着から死の渇望に変わっているのだ、どの伊邪那美様が出ても私は愛して見せよう。
異世界召喚の定番では、召喚先が儀式を行うが、それでは駄目である、此方から行うのだ、白日昇天という逸話をご存じだろうか、晴れた日の正午に街中である者が衆目の中、空に浮かび上がり、仙人になったという逸話である、誰かに注目され観測される事が必要である、では儀式の時刻は昼の街中で良いのか、といえば今回は違う。
これは天に上る話で、私は黄泉に行きたいので丑三つ時(午前1時から3時)の街中で儀式を行うのだ。
儀式の内容は演説である、白日昇天の話はつまり、お偉方に演説を聞いて貰えて、要職での採用が決まり偉くなったという事である、ならば黄泉に行きたい場合も演説するのだ。
ただ、住宅街の丑三つ時で演説するなど迷惑甚だしいので、真似をする時は場所を選んで頂きたい、私は早速SNSや二次元裏@みつば、オカルト板で異世界転移の儀式を行うと告知し休み、間に合うように家を出た、月日や鬼門、月齢、その他いろいろも調整するのが望ましいが失敗したらまた考えればいいと能天気である、失敗したら他の方法を探すのだ。
警察にイベントの届け出もするべきだろうか、そもそも自分は無名で心配は無いだろう、SNSフォロワー1桁の男で今まで発信したことが無い。
移動中、月を探してみると、どうやら今日は新月だったようだ、運がいいやら悪いのやら。
現代で演説といえばやはり地方都市のJR駅前、ここならば寝ている人もいないだろう、携帯の時間を見れば1時を過ぎた所、パラパラと人が幽鬼のように歩いている…終電を逃した人だろうか、そろそろ始めるか、演説の経験?ないよそんなの、花壇の淵に上り目立つように…ちょうど街頭のライトが当たる位置に立つ。
「えー皆さん、お話を聞いてくださいSNSや二次裏、オカ板で宣伝した者です、知らない人もお時間頂ければと思います、私は不登校の引きこもりでしたが、皆さんに聞いて貰いたいことがあります。」
何度も繰り返して人が集まるのを待つ…10名と少しと言ったところだろうか、こんな時間に良くいるよなぁ…これだけ居れば十分だろう。
「スマホ持ってる方は、動画撮影をお願いします、肖像権を放棄します、何か起きたら拡散お願いします、皆さんに危険が及んだら行けないので十分離れて撮影お願いします。」
面白がってか、もし事件が起きたら金になるからかパラパラとスマホを向けられる、肖像権の放棄等も動画に残るように繰り返す。
「それでは演説を始めます、ご協力ありがとうございます、ヤジも飛ばして貰えたら盛り上がるのでお願いします、議論をしましょう。」
パラパラと拍手をくれる人がいる…意外と日本も捨てたもんじゃないな、静まったら始めよう。
「私は小1から長年不登校でした、皆さんは不登校児に対してどういった印象を持っていますか、建前や本音…もあるでしょうが、不登校児はずるい、怠けてるという声は昔が主流だったと思います。」
「学校のクラスに影響が出て、清掃班の分配が難しくなったりして、負担になっていないか私は心配でした、実際負担だったと思います、同じ班に不登校児が出ると負担が増えますから。」
「不登校児は宿題を提出しない子も多かったでしょう、私も宿題はまったくしなかったです、こう思った事はありませんか、宿題をしておらず、叱られるのが怖くて学校をずる休みしているのだと。」
「関連付けて考えてしまうのは仕方ありません、相関関係はあると思います、登校している子供達と不登校の子供の宿題提出率を比べれば歴然でしょうから。」
「宿題は学校へ提出し先生に評価をしてもらうことが褒美となって行う動機となるのではないでしょうか、明日学校へ行けるか分からないなら、宿題をする動機付けが損なわれているのではないでしょうか。」
「相関関係がある事と因果関係がある事は違います、因果関係もどちらが原因でどちらが結果かはよく吟味しないと分からないと思います。」
「そして因果関係を推察する時に、私たちは自分の置かれている立場で判断しがちです、学校で宿題を回収する時にはおそらく、宿題を出すのが嫌だから休んだのだと考えるでしょう、ですが、違う場面では違う事が原因で不登校になったのだと推察すると思います。」
「それは客体である皆さんでもそうですが、主体である本人も同じでした、故に不登校の原因を子供に聞いても、その時の状況から原因を推察して言うばかりで、解決に繋がりません。」
「故に、不登校児の親や不登校になっている本人、学校の先生、級友の皆さんはとても苦労しているのです。」
「そして、時には、不登校になったのは学校が怖い、教室が怖いと言いました、それは学校の前まで連れてきたときには学校が怖い、学校に入った後は教室が怖い、だからここにいるのだという推察です。」
「私の不登校の原因はアレルギー性鼻炎だったと考えるようになりました、毎日が鼻炎が辛く、タオルを複数枚持って鼻をかんでいました、ポケットティッシュでは学校の途中で切れてしまい、鼻がかめず辛かったのです、重症から最重症だったように思います、重症の鼻炎は睡眠時無呼吸症候群や睡眠障害の原因となり、自律神経の乱れ、起立性調節障害をもたらす可能性が指摘されています。」
何故その状況で治療しないのか…との声
「病気だと気が付きませんでした、風邪だと言っても、熱が無いのなら気のせいだ、学校へ行ってる間に治る、自律神経の乱れ…などと言って居ましたから、家や学校は自律神経失調症≒起立性調節障害(OD)と考えていたと思います、毎日置き薬の風邪薬を飲んでいました、過剰摂取にならないように自分で計算して、風邪薬を飲めばなんとなく体調が良くなる、風邪薬には第一世代抗ヒスタミン薬が含まれていて、鼻炎を短期間ではありますが抑えられるのです。」
「市販の風邪薬【カイゲン】の味が好きでした、飲めば楽になるので…でもこの薬、一日三回で、昼には取らないと効果が薄れるのです、学校で服薬する習慣など躾けられていませんから、昼頃には体調悪化を訴えて帰る…という感じでした。」
「確かに風邪薬の説明書には、長引く場合には医者にかかるように等を書いていましたが、鼻炎という概念が私には無かった、というのも…感染症や風邪ではないかといつも考えていました、
エンドレスで、熱の出ない風邪に掛かっているのだという仮説です何種類くらい、かぜの症状を引き起こす病原微生物が居るか分からなかったものですから、調べてみました200種類…まあ順番に掛かり続ければ可能かもしれませんが…そう都合よく感染するわけがありません。」
「私たちは学校で予防接種があったり、幼稚園の出席表の最後のページに出席不可能になる伝染病が書いてあったり、欠席する時には体温を報告していたと思います。」
「伝染病予防は学校衛生では大変必要な事だと思います、ですが、伝染病か否かという二極の物差しのみで、子供が身体的に健康か健康ではないか計ることになっていませんでしたか。」
「本人も、学校も、家庭も思考停止状態だったのだと思います、アレルギー性鼻炎は失念されていたと思います。」
「ですが、日本耳鼻科学会学校保健部の【重点的健康診断について】という論文の中で…これは1981年に出された論文でありますが、近年、旧来型の耳鼻疾患は減少傾向を辿り…
アレルギー性鼻炎が増加の傾向を示していると書かれていて、これは学校保健に関する論文ですから、アレルギー性鼻炎が子供達の学校生活に影響あると耳鼻科の学校医は認識していたのではないでしょうか。」
「耳鼻科の学校医はマンパワー不足で大変な状況に置かれていると窮状を書かれていました、実際そうなのだと思います、ですが自分たちで議論をして結論を出して、その結果を学校や地方行政、教育委員会に働きかけるのはどうなのでしょう、法令に定める基準を下回っています、学校保健安全法第十三条には毎学年定期に児童の健康診断を行うとあり、同法の施行規則第六条には耳鼻科の検診は他の健康診断と並列に書かれています、他の検診と同じように毎学年定期に行わないといけないのに私の学校は概ね三年に一度の頻度でした。」
「解決策は重点的健康診断以外にもあったはずです、医師を育成して増やせばよい、耳鼻科検診医の報酬を上げて転科を促せばよい、一般診療の報酬を下げて、学校医の報酬に回せばいいではありませんか、一般診療よりも、学校で法律の通りの検診が行われるほうが良いに決まっています、6月30日までに検診を終わらせるという縛りを耳鼻科に限り破り、一年かけて法の基準を守るのも手だったではありませんか、どのような判断が最善か判断するのは国会であり、日本耳鼻科学会や教育委員会が判断する事ではないはずです、
どうして解決策の模索を国会や行政に委ねなかったのでしょう、それは医師の利権が脅かされるのが嫌だからではありませんか。」
「どのような仕事も、法の網がかかっていれば、法の網の範囲内で仕事をしなければなりません、民間が破れば、関連省庁がやってくるでしょう、それなのに学校という、公共の機関でなぜ堂々と破るのが許されるのか、私にはわかりません。」
「耳鼻科検診の回数が少なくなるという事は起きてる問題に対して、耳鼻疾患が原因ではないか、と考える機会を逸することになるのではないでしょうか、これは家庭の責任でしょうか、私の家は学歴が低いです、学校の言う事を盲目的に信じていました、自ら考える能力の乏しい家庭なのです、我が国は誰でも等しく教育を受けられる…という建前がありますが、耳鼻科医の仕事を家庭や教師に丸投げされては誰でも等しい教育など実現しないのです。」
「アレルギー性疾患の調査は、長年かかって調べられました、国民の税金によって行われた研究です、学校現場への調査や健康診断記録の分析もあって、国民である私たちは不可能な事であり、国に研究を委ね、国の報告をもって私達は知ることができ請求が可能になったと考えるのです、また健康診断を法の通りに行っていなかったことは児童及び保護者の行動を制約していたとも考えられます、そしてアレルギー性疾患対策基本法が2014年6月27日に成立しており、この日の翌日から全国津々浦々までアレルギー性疾患の有害性を全国民が認識した事になりました、時効はこの時から動いていると考えて訴訟を計画しました、訴訟類型は債務不履行請求事件です、この場合時効は利を行使することができる時から10年です、2020年に改正された法で時効が短くなりましたが、、改正前の事件の時効は10年ですので2024年6月27日?28日?には時効が成立します。」
「債務不履行請求事件とは、今回の事案に関してはこういうものです、児童には学校保健法に則った検査を受ける債権があって、学校には学校保健法に則って健康診断を行う債務がある、約束の通りに行われなかった結果生じた損害を債権者である子供は債務者である学校に対して請求することができるというものです、そして帰責事由の証明義務は債務不履行請求ならば被告である行政側にあり、子供側が有利です。」
「学校の耳鼻科検診の逸脱と不登校やそれに付随する金銭的損失がどこまで認められるか分かりません、因果関係の説明が裁判官に届くかどうかです。」
「私は法律関係の資格を持っていませんが、これも自学で導き出しました、心当たりのある方は本当に正しいのかは自分で調べるか、専門家に聞いて、訴訟を検討してみてはいかがでしょうか、弁護士が居ないので、現在は集団訴訟が取れない状況です、時効が成立しますと、基本救済を求めることができなくなり、救済特例法の制定を目指して選挙に出るしかないでしょう。」
「まあこの世界ではどういうわけか…負けたという事です、さて、ここからが転生の本番です。」
…いよいよ慟哭の時、温まった喉をフルに使い、声は天を貫き、地を揺るがす、長年貯めこんだ怒り、悲しみ、今までの苦しみを全て吐き出すのだ。
「私の真名は火之加具土命、私を生んだ結果、国生み、神生みの女神、伊邪那美命は亡くなり、神生みが中断され、必要な神が日本には生まれず、この国は不完全な国になった、母神が亡くなったのは私の不徳の致す所、日本の子供達が昔も今も涙を流し、苦しんでいるのは私に責任がある、私は自らの力で、贖罪を果たし、これから生まれてくる未来の子供の救済を目指したが、私の力では救済は叶わなかった、母神であり黄泉津大神となった伊邪那美命様、私を貴女の胎内への帰還を許して頂きたい、貴女の胎内で新たな神に生まれ変わり、真なる理を復活させ我が国に祝福と神具を齎さん、陰極陽転、陽極陰転、陰陽別離、陰陽同根、他力本願、地皇天皇、天皇地皇、陰陽和合、急急如律令。」
稲光があたりを包み、体が衝撃で射抜かれ、轟音が周囲を振るわせる、私の意識は途切れた。
私の演説と落雷直撃動画は拡散され、議論が交わされた、まったく空に雲が無いのに、雷が落ち、遺体は残らず、これはフェイクだという者、だが多数のスマホが映像を捉えており、フェイクにしては難しいとの声、演説の直後に雷に打たれるなど、神が天罰を下したか、彼の言う通り黄泉津大神の手下の雷神が迎えに来たか…などという薀蓄が語られ、少なくとも私の説が真剣に検証されるだろう、それだけが私の望みだった。
この続きはどうしようか、と考えています、伊邪那美と伊邪那岐が再婚して、火之加具土命も赦されて帰還して、黄泉国で家族で暮らすのもいい、けれど、伊邪那岐は天に居なければいけない。
スサノオが日本書記ではやってきて根の国の国主になるとあるから、火之加具土命とどのように絡むのか。
死後の世界は仏教の伝来と共に泰山地獄もやってきて、怖い場所になりますが、原始日本ではどのような信仰だったのでしょう、やはりアイヌのように神様がいる世界と人間界の二つと考え、天国と地獄の国があるという考えでは無いと思います、そのような世界観で黄泉国の役割は…やはり現世での疲れを癒してまた遊びに行くための力を貯める場所であってほしいと思うのです。
不登校や引きこもりの時に、小野不由美先生の「十二国記」シリーズ。上橋菜穂子先生の「精霊の守り人」シリーズと触れられたのは幸いでした、アニメから入って、原作本揃えてしまいました、泰麒やチャグムに感情移入していたのです。
日本神話で火之加具土命が早々に離脱して語られないのと同じように、十二国記の麒麟が欠けているのも、原作者が昇天した後に、読者や後の世代が作品世界に入ってこられるようにするための仕掛けなのではないか、などと想像する次第です。
呪文はルビ振りませんでした陰陽は男女とも読めるし、親子とも読める、富めるものと貧しき者とも、学歴の優劣、学力の優劣、加害者と被害者、二項対立の全てが陰陽の二文字で表せられる、有利に立ってる側も地位に怠けて学ばず傲慢に対立する側を扱えば嫌っていた側に落ちてしまう、同じことをしてしまう、同根は曹植の七歩詩から持ってきました、他力本願で神仏の力を借りてでも陰陽和合してほしいという願いです。