まずいもの探訪記
東京の街も変わった。
小生がまだ学生時分だった戦時は街中に必ずまずい飯をくわせてくれる食堂があったものである。それも二度のオリンピックを経て様変わりし、あの側溝からくんできた水に泥を入れて煮出した様な香りを漂わせたしなびた味気のない風景はいつしか姿を消した。
だがしかしえらいもので、国際都市という名のもとに無機質無個性な機械化された小綺麗な街となった東京でも幾ばくかのまずい食い物にありつける機会が年に数回はあるものである。
西友なんていうのはその代表格で豚の餌かと見まごうくらいの茄子のチーズ焼きが総菜コーナーにおいてあったり、明らかに御法度の二度揚げをしていそうな油の味しかしない天麩羅なんぞは戦前ですら味わえない悲哀を感じさせる。その中でも私が声高にしてお伝えしたいのがオイ・キムチなる朝鮮の漬物を似せて作られた残飯に限りなく近い代物である。辛子に漬けられた大根を胡瓜に挟み食すのだが、この大根も胡瓜も見事に水分が飛んでいてみずみずしさの欠片もないのである。一口食べて小生は思った。便器だ。便器の味だ。後にも先にも便器の味がした食べ物はこれだけである。本当の便器でもこんな味はしないであろう。
この朝鮮便器漬物を食べるまでは私の中でまずいものといったら尋常小学校の給食のジャージャー麺かメリケンで出されたサラダが頂点として君臨していた。ジャージャー麺の本場岩手では麺の上にひき肉と胡瓜を乗せるのだが、小生が通学していた時分の尋常小学校では麺の中に胡瓜を混ぜ込むのである。これがひどく不味い。便座カバーの味がする。それと双璧をなすのが米国に野球観戦にいった際にシアトルで食べたサラダなる西洋の漬物の様なものである。これがまあ一言で言うと草だ。草。口の中が大草原不可避である。トイレで例えると便器の後ろにおいてある観葉植物の味がする。聞くと西洋、ことメリケンとエゲレスでは皆この様な素材の味をふんだんに活かした物ばかり食べているというのだから驚きだ。
しかし便座カバーも観葉植物も食べられるだけまだいい。小生は3年前西友であの便器漬物に出会って初めて一回口に含んだものを戻しそうになった。涙ぐみながらそれを茶で胃に流し込んだ時、その自虐的ともいえる悲壮感にノスタルジーさえ感じるのである。