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ショートショート通信  作者: 小林小話
9/9

自由をちょうだい

 踏まれそうになりながら、雑踏をすり抜けて、路地裏に入る。

 

 腐った食べ物の臭いがつんと鼻をつく。座ろうとした途端に、隣の室外機がぶおおと威圧的な声を上げ、生ぬるい息を吐き出したのにびっくりして、飛び跳ねる。室外機から少し距離を置いて、座りなおした。

 

 ちょっと走っただけなのに、もう疲れてしまった。思うように動かない。ここ数日、ほとんど歩いてもなかったせいだ。前までは、このぐらいの距離では少しも疲れなかったはずなのに。


 ここまでくれば、そう簡単には見つからないかな。


 安心すると、お腹が空いていることに気づいた。しまった。逃げてくる前に、しっかりと食べてくるんだった。それに、家を逃げ出してきたから、これからは明日の食べ物にも困ってしまう。家で食べていた、おいしいご飯を思い出す。逃げてきたのは失敗だったかもしれない。逃げてこなければ、少なくとも今みたいに、空腹に悩む必要はなかったんだ。


 いや、そんなことはないと、浮かび上がる後悔の念を首を振って振りはらう。逃げてきたことは、間違いじゃない。あの家に縛られ続けるぐらいなら、死んだほうがましだ、と自分に言い聞かせる。お腹が空いているせいで、弱気になっているだけだ、と奮い立たせた。


 多分、わたしは周りから見れば恵まれていたんだろうと思う。家族はわたしを愛してくれていた。そのことは、認める。わたしに向けられる笑顔や、おいしいご飯を思い出す。暴力を受けたり、相手にしてくれなかったりする子のことを考えれば、わたしは恵まれていたほうだ。


 ただ、わたしにとって、そして家族にとっても悲しいことに、彼らの愛し方は、徐々に、わたしの望む方向とは違ってしまった。


 信じられないことに、ある日から、わたしは家の中で首輪をつけられることになった。外に出る時とか、時々は外してくれたけど、それ以外ではずっとつけられていた。まるで犬がつけるみたいな、赤い首輪。窓枠にくくりつけられているリードが届く範囲までしか、わたしは家の中で動けなかった。結び目の位置は高く、わたしの背が届かないところに作られていたせいで、解くことはできなかった。首輪をつける理由は、わたしが暴れるせいだと言われた。わたしが部屋を散らかして困るからだと。また、わたしを守るためだとも言われた。転んだりぶつかったりして、怪我するのが心配だと。どっちでもわたしにとっては同じことだった。彼らはわたしを守るためという建前の元、わたしを縛った。


 わたしの生活は満たされていた。暴力に怯えることもなく、空腹に悩む必要もなく、愛情も与えられていた。


 でも、わたしは満足できなかった。


 わたしには自由がなかった。


 あれでは、まるで犬か家畜かのようだった。そんな生活が、これからずっと続くんだと考えると、たまにすごく怖くなる時があった。


 首輪を外してくれるよう、わたしは何度も訴えた。部屋を散らかさないようにするから。少しぐらい怪我しても平気だから。でも、わたしの言葉は家族には聞き入れられなかった。わたしがしつこく訴えかけると、彼らは愛情のこもった笑顔を向けて、決まってこう言うのだ。


「つらいでしょうけど、あなたのためなんだから」


 この言葉に嘘はないと、わたしは思う。

 

 彼らにとってみれば、ほんとうにそうすることが、わたしのためになると思ってるんだろう。


 違う! そんなの、間違っている!

 

 わたしは叫びたかった。


 それがわたしのためになるかどうかを、どうして、わたし以外が決めることができるんだ。


 わたしは、嫌だ。いくらわたしのためだからって、自由がない生活なんてまっぴらごめんだ。わたしは首輪なんかに縛られていたくない。リードがぴんと張った時の、喉元に首輪が食い込んで呼吸ができなくなる瞬間が、わたしは大嫌いだ。


 今日は朝早くから、家族で出かける用事が会った。わたしも一緒に行く予定だったそうだけど、どういった事情か、わたしだけ家で留守番をすることになった。もちろん、首輪はついたままだ。わたしはチャンスだと思った。換気のために、階段にある小さい窓が普段から開いているのを知っていた。わたしの身体なら、あの窓を通ることができる。首輪さえ外せれば、そこから逃げ出すことができる。


 大人しくしてるのよ、そう言い残して家族が出て行ってから、わたしは首輪を外しに取りかかった。首と首輪の間に指を入れようとしても、隙間がほとんどなくて、うまくいかない。そこで、わたしはリードを壊すことにした。リードは布でできており、そこまで頑丈そうではなかった。爪で引っ掻いたり、歯を立てたりを繰り返してどうにかリードを千切ることができた。そうして、家族が帰ってくる前に、わたしはあの家から急いで逃げ出してきた。


 もう捕まらないだろうとの安心感と、久しぶりに走った疲れとが合わさって、急に眠くなってきた。お腹も空いてるけど、それはまた起きてから考えよう。路地裏で、身体を丸めて目を閉じた。わたしの意識はすぐに薄れて、心地よい眠りへと落ちていく。


 頭を撫でられている感触で目が覚めた。もしかして家族に見つかったのだろうかと、慌てて飛び起きる。腰を下ろした見知らぬおばあさんが、びっくりしたような顔でこちらを見ていた。このおばあさんがわたしの頭を撫でていたんだろうか。おばあさんは何も言わず、ただ、にこにこと微笑んでわたしを見つめている。わたしはおそるおそる、おばあさんに近づいた。おばあさんがわたしの頭を撫でようと手を伸ばす。わたしはされるがままにしておいた。皺だらけの手が、わたしの頭をゆっくりと撫でる。


 しばらくして、おばあさんが両手を差し出したので、わたしはおばあさんの懐に飛び込んだ。わしゃわしゃと全身を撫でられる。それから、おばあさんはわたしを抱えたまま立ち上がり、歩き始めた。


 おばあさんに捕まってはいるが、それは縛られているわけではない。今おばあさんに捕まっているのは、わたしの意思だ。もし、また首輪でもつけられるのなら、また逃げ出せばいいだけだ。


 わたしは誰にも縛られない。

 

 わたしは自由だ!


 おばあさんがわたしの喉をくすぐる。


 くすぐったくて、わたしは思わず、にゃあ、と鳴いた。

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